第三十七話

 その後も沈萍は様々な近況を話してくれた。

 人数を確かめているときに突然重傷の暁晨子が現れて仰天したこと、早々に浄蓮仙府に救援を求めて夜のうちに湖を渡ったこと、今は鍛錬と治療の傍ら浄蓮仙府の内務を手伝っていること。外に出たのは犠牲者を調べに白凰山に戻った一回きりで、沈萍とその他強壮の弟子たちだけが密かに動いたのだという。山では遺体を全て荼毘に付すにとどめ、正式な儀式は全て浄蓮仙府で執り行なったと沈萍は言った。


 沈萍の言葉どおり、浄蓮仙府には見ない顔に混じってよく知った面々が何人も動き回っていた。皆が万松柏を認めるやいなや仕事を放り出し、「大師兄!」と声を上げて駆け寄ってくる——そして誰もが、また会えて良かったと涙を流した。万松柏は胸が熱くなった。破門された身だというのに、皆が万松柏の身を案じていたのだ。


 万松柏はさらに、沈萍とともに白凰山に戻った仙師から、沈萍の腕の怪我のことを聞くことができた。

 沈萍たちはなんと、白凰山で仲間を弔った帰りに魔偶の一隊に遭遇したのだった。それも自らが指揮を執り、剣を振るう奇妙な魔偶が率いる隊だったという。


「三師兄もお疲れだったのだと思います。私たちが他の雑魚どもを片付けていたら、突然人が変わったような勢いで首領の魔偶に突撃していました。かなり手強く、でも一瞬だけ、なぜか魔偶の攻勢が落ちたのです。その隙を突いて三師兄は魔偶に傷を負わせたのですが、魔偶と相討ちになって腕をへし折られてしまって」


 万松柏は複雑な思いでその話を聞いていた。明らかに無忌が深手を負った一件だが、万松柏でも手こずった強敵に一矢報いた沈萍が誇らしい一方、無忌のことを思うと素直にも喜べない。

 神妙な面持ちの万松柏に気を使ったのか、仙師は「でも、安静にさえしていれば大丈夫だそうです」と笑顔で言った。


「それに三師兄も、大師兄が来てくださって安心されているはずです。少しは気持ちも休まるのではないでしょうか」


「……そうかなあ。あいつ、俺がいると余計に世話焼きになるだろう」


「世話焼きだって、慕っているからこそなのでしょう。だってあなたは、私たち皆の大師兄なのですから!」


 一寸の曇りもない信頼の眼差しに、万松柏は思わず泣きそうな気分になった。それを苦笑でごまかし、顔をかくふりをして密かににじんだ涙を拭う。


「そうだ、ところで、暁晨子仙長に会うことはできるか? 実は仙長に、急ぎ伝える旨があるのだが」


 万松柏が話題を変えると、仙師は一瞬訝しそうな顔をしたものの、すぐに分かりましたと頷いた。



***



 久しぶりに会う暁晨子は少しやつれて顔色も白かったが、牀に座って書物を読む姿はいたって健康そうだった。それでも、万松柏が顔を出すなり穏やかな目を皿のように見開き、つんのめりながら駆け寄ってきた。


「松柏……! お前なのか!?」


 暁晨子は震える声で叫び、一礼する万松柏の腕をむんずと掴んだ。万松柏が驚いて顔を上げると、涙をこぼす師の姿が視界に飛び込んできた。


「松柏……もう会えないものとばかり思っていた……よく戻った、好徒児我が弟子よ……!」


「ご報告が遅くなり申し訳ありません。万松柏、ただいま帰還いたしました」


 万松柏は震えそうになる声を必死に抑えた。が、目頭からこぼれる熱い涙をこらえることができない。鼻をすすり、乱暴に目元を拭うと、万松柏はぐっと暁晨子を見据えた。


「実は、暁雲子師伯からの言づてがあって参りました。二人だけでお話しできないでしょうか」


 万松柏が暁雲子の名を出した途端、暁晨子の目から涙が消えた。暁晨子は頷くと、廊下をうかがってから部屋の戸を閉めた。


「師兄が私に用とは珍しい。何事だ?」


 すっと涙を拭った顔からは、再会を喜ぶ色は消え失せている。いつになく険しい顔つきの暁晨子に、万松柏は袂に仕舞った包みを見せた。


「こちらを預かって参りました。白凰仙府が襲撃を受けた日より師尊と連絡が取れない状態になってしまったとのことで、師尊の身を大層案じておいでです」


 万松柏が包みを開くと、黒ずんだ鈴が現れる――暁晨子はため息をつくと、深衣の懐に手を入れて、小さな包みを取り出し、ためらいなく開いてみせた。

 そこにあったのは鈴の残骸だった。消し炭のように黒ずんで粉々に砕け、所々に除く新雪の白からしか元の姿が分からない。


「襲撃の際に砕けてしまったらしくてな。浄蓮仙府の桃千姑とうせんこ仙長ができる限り集めてくださったのだが、邪気に晒されすぎたせいで修復できないまでに砕けてしまった」


 暁晨子は考えに耽るように、鈴の破片にじっと目を落としている。やがて暁晨子は顔を上げると、至って冷静にこう尋ねた。


「すると、師兄に聞かされたのだな。己が何者か」


 改めて面と向かって言われ、万松柏は答えに詰まってしまった――そうだと分かっていても、自分で口に出すとなるとどうしても躊躇してしまうのだ。

 万松柏が答えに窮していると、暁晨子はこうなることが分かっていたかのように険しい顔をふっと緩め、ひらりと手を振った。


「質問を変えよう。私を沈萍たちに託したあと、何があった?」


 暁晨子は万松柏をまっすぐ見つめ、これから万松柏が話すことを否定しないと言外に伝えているようだ。


 万松柏は深呼吸すると、白凰仙府の皆と別れてからのことを少しずつ話し始めた。

 魔界のこと、無忌のこと、閻狼摩と南天の兄弟のこと。無忌が万松柏を自らかくまい、怪我を癒してくれたこと。そのあと任務で人間界に向かい、沈萍と相討ちになって負傷して帰ってきたときのこと。魔界と黄泉を二人で逃げ回り、幽川に落ちたことで望遠春の記憶がよみがえったこと。そして暁雲子に助けられ、彼の庵で療養したこと――無忌と関係を持ったことは話さなかったが、他のはばかられないことは全て暁晨子に明かした。


 話し終えたときにはかまどで燃える炎のような光が窓から差し込んでいた。暁晨子はしばらくの間黙っていたが、やがて一言こう尋ねた。


「お前は、無忌をどう思っている?」

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