第18話

「あなたが知りたいと思うことを俺は教えよう。俺の持つすべての知識を与えよう」

「何で生きてんの?」

「それを知りたい? ま……、それぐらいなら代価も無く教えてあげようか。夕焼けの精霊は俺の首を刎ねた。あなたは俺が死んだと思った。その時点で俺はことになる。あなたが俺をことにより、あなたの願いは完全に叶えられた。よって、夕焼けの精霊はあなたから代価を受け取る。他にも彼女はあなたが望んだ相手の時間を奪っている。殺したと表現したほうがあなたのつるつるの脳味噌には理解しやすいだろうか」

 だって、首を刎ねられたら死ぬもんじゃん。トドメさしてなかったってこと? 私が死んだと認識したから、目標達成して帰ってんの? こんなの詐欺じゃん。

 床に拡がっていた黒い液体が彼の影を形作る。また吐きそうになったところをどうにか耐えた。掃除してすぐに吐くのも嫌だ。もう吐けるようなものが腹の中に残ってないと思う。

 景壱は何事も無かったかのように蕾がほころんだような笑顔を見せた。怖い。何を企んでいるのかさっぱりわからない。

 頭の中に言葉が浮かんでくる。

 神を殺した人間はどうなる?

 神に近付いた人間はどうなる?

 神の怒りに触れた人間はどうなる?

 知らないよそんなこと!

「さて、あなたの先程の疑問なんやけど、お答えしておこう。代価は既に払えなくなっているけれど、知りたがっている人間に何も教えないのでは、豊かな知識の無駄遣いと言える。いいや、これは一般論になるかもしれないが、あなたの創造する物語が読まれない原因だけ教えてあげよう。まず、あらすじの意味がわからない。あらすじとしての意味を成していない」

「そんなことないし!」

「そんなことある。急に『その昔、ギュニーナ大陸の西部諸島ではアポの魔人による話があった』だけだと意味がわからない。もしかしたらこれは何かの続編かもと思ってもらえるならまだ良い。あなたのことを知らない人がこの一文だけ見ても『何これ』で終わると思う。ま……、そんなこと言うてもこだわってるから変えようがないやろね。クククッ」

 瞳の奥の星が輝いて見える。いやいや、瞳の奥に星が見えるってこと自体どうなってる? 私は、何を見ているの?

 再び、見えない糸が体に食い込んでいくように感じた。腕を撫でる。さっきは触れられなかったのに、確かに、糸がある。

 糸が肌に食い込み、肌が赤くにじんで、血をぷつぷつと膨らませる。痛い。座ってられなくて、私は床に転がった。

 景壱はしゃがんで私を睥睨する。澄み切った紺碧の瞳の奥に、刺々しい何かを感じる。綺麗なのは表面だけで、こいつは中に何かを隠してる。

「あなたは時間を使い過ぎたんよ」

「使い過ぎたって、私は普通に過ごしてただけじゃん!」

「ああ、そうやね。あなたは普通の日常を過ごしていた。繋がりタグをやって反応が無い時も周りの所為にしていた。『自己紹介で絵文両刀と言って、イラストしか添付してないのは勿体ないのでは?』と言ったフォロワーに対して『私を攻撃している』と言ったり『誹謗中傷している』と言ったりして、夕焼けの精霊にをしてた」

「だから何? 私をバカにしてるやつを消して何が悪いの?」

「俺には正論にしか見えないけどな。ただ、人間は本当のことを言われたら怒るものなんよ。……さて、あなたは時間を使い過ぎているし、今も本来なら俺と話す時間も無いんやけど、今回はサービスやからね」

「時間時間って言うけど、何言ってんの!? 使い過ぎたって何!?」

「あなたはもう知っているはずだけれど、知らないふりをしている。あなたの願いは、自分に危害を加えるもの、邪魔するもの、あなたをバカにするやつを消してもらうこと。どうして、一番簡単な方法に気付かない? どうして、あなたは、自分が世の中の邪魔になっているとは思わない? 自分の邪魔をする者を消すより、世界の邪魔になっている自分を消したほうが、時間も、労力も、最小限で済む。それだと言うのに、とても面倒な願いをした。あなたは時間を失う。等価交換として、彼女は『時間』を要求した。つまり、あなたは『自分に危害を加えるもの』『自分の邪魔をするもの』『自分をバカにするやつ』に残された時間も奪っている。あなたが奪った相手の時間を等価交換で、あなたは……どうやって支払う? 残念なことに、あなたは俺にも時間を支払わなければならない。既に支出はマイナス。今はとても優しい俺のサービスで無償提供しているけれど、これも本来なら時間を支払って聞くもの」

 糸で身を切られる苦痛で、ほとんど何を言っているか理解できない。話が長すぎて理解する気にもならない。

 だけど、私は何かを知っている気がする。あやふやな記憶の中で、何かを見た気がする。そして知っているんだ。

 ――どぉんっ! と音がして部屋が揺れた。近くに雷が落ちたらしい。本棚から同人誌が数冊滑り落ちた。その中に、春雨の本もあった。薄茶色の紙がひらひら舞って、私の目の前に落ちた。

 ああ、そうだ。こいつは、景壱は――邪神だった。

 だから、私にこんな仕打ちをするんだ。私は騙されたんだ。

「俺があなたを騙したことは一度たりともない。あなたが聞かなかっただけ、知ろうとしなかっただけ。そして、俺は邪神ではない。……今となっては、どちらでも良い話やろ。あなたの時間はもう無い。それでは、あなたの人生の物語を終焉しよう」

 邪神は奇妙なほど美しく笑うと、何かを引くような仕草をした。

 途端に私の体に糸が食い込んでいく。私はもがいた。糸を外そうと爪で引っかけて、ずらそうとした。焼かれているような熱が一気に全身を駆け巡る。

「ああああああ――!」

 言葉にならない絶叫をあげる。痛い! 気絶できたらどれほど良かっただろうか。

 左足首が切り落とされた。血が噴き出し、同人誌が赤く染まる。右足首が転がった。描きかけのアナログイラストが真っ赤に濡れる。嫌だ嫌だ嫌だ!

 ぎちぎちぎち……、左手首が引き絞られていく感覚がする。止めようと糸を引っ掻けば、手首が切れ、血が流れた。そして、左手首も落ちた。

「あなたの意識は落ちないようにしてあるんよ。痛みも今は感じないやろ? 神経系の糸を繋いで切って、変えてある。ククッ、残る首はあと二つやね。どうする? どっちから切る? どっちが良い? あは、あはははっ、あっはっはっはっは!」

 狂ってる! 何で、どうして、私がこんな目に遭わなきゃいけないの!? 私が何したって言うの!?

 首を絞められている感覚がする。やだ。死にたくない。まだ死にたくない。まだやりたいことがたくさんあるのに!

 残った右手で首の糸を外そうと必死に引っ掻いた。取れない! 糸が食い込んでいく。苦しい! 嫌だ! トーンを切る時に使うカッターが視界に入った。あれなら糸が切れるかもしれない! 床を転がり、テーブルの上のカッターナイフに手を伸ばす。届いた。あとは、これで、糸を切れば良い。

「ああ、それで糸を切ろうって考えか。それはやられた。簡単に切れてしまうなぁ。その前に俺が強く切り落としてあげたら良いだけやけれど」

 首に食い込み力が強くなった。はやく、はやく、切らなきゃ! カッターナイフの刃を出して、首に当て、切りつけた。

 血が噴き出して、天井が赤く染まる。部屋中が真っ赤に染まっていく。

 どうして……、糸、切れた、のに……?

 邪神は口角をつりあげた。その口は糸で縫い付けられ、開くことが難しそうにも見えた。黒くてどろどろした何かが私の周りを取り囲んでいる。泡がはじけ飛び、無数の虫が私の肉に齧りついてくる。

「――!」

 声はもう出なかった。喉笛がひゅーひゅーとか細い音を立てる。切り落とされた断面に虫たちが頭を突っ込み、中へ侵入してくる。皮膚の下を虫が這いずり回っている。不快感で私は床をぐるぐる回る。

「あっはっはっはっは! まだそれだけ動けるとは素晴らしいな! 面白いものを見せてもらったお礼に教えてあげる。あなたは、血管を糸と間違えたんよ。全身を無数に走る血管を糸として認識して切ると、こういうことになる。最後に、あなたが知りたがっていた春雨のことを教えてあげよう。彼女は、俺の熱心な信者なんよ。それでは、名残惜しいけどお別れといこう。ここまでの主演、お疲れ様。ゆっくりおやすみ。次は、夕焼けの向こう側で」

 細くて白い指先が何かを手繰り寄せる。

 ――そして私の意識は、闇に落ちていった。

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