52, 限界
視界がぼやけてきた。
馬の背で揺られ続けたせいで、腰は痛みを通り越して感覚がなくなっていたし、疲労から来る眠気が度々シャロンウィンを襲った。
先ほどから、馬の走り方に乱れが出てきている。これほど疾走すれば、いくら駿馬と雖も限界が来るだろう。
シャロンウィンは、これ以上この馬を走らせて苦しめたくなかった。
「止まって」
シャロンウィンが言うと、馬はすぐに従った。
誰の言うことも聞かない暴れ馬だが、シャロンウィンの言うことは聞いてくれるのだ。
シャロンウィンは馬から下り、自分の足で走り出した。
ずっと馬に乗っていたせいで足が上手く動かなかったが、無理やり足を進めた。
「走るのよ、シャロンウィン。ブランデンを助けなきゃ」
シャロンウィンは一人、自分を叱咤して走り続けた。
だが、それも長くは続かなかった。
真夜中から夜明けまでの短い眠りを除き、4日間、ひたすら馬に乗り続けてきたのだ。
体が言うことを聞かないのも無理はない。
息が苦しくなった。
喉の奥に血の味がした。
足がもつれた。
「あっ」
シャロンウィンは弱々しい叫び声と共に地面に倒れ込んだ。
「ダメ、行かなきゃ……」
シャロンウィンは立ち上がろうとしたが、途中で力尽き、また倒れた。
視界の端に、フェルカの森の木々が見えた。
――あと、もう少し、ほんのちょっとなのに……
私はここで死ぬのだろうか?
愛する人を助ける方法を知りながらそれを実行できず、目の前にある故郷にもう一度足を踏み入れることもなく。
目の前が次第に暗くなってきた。
夜が来たからではない。目が見えなくなってきたのだ。
逆らえぬ運命に逆らおうとして脈打つシャロンウィンの心臓の音が頭の中で鳴り響く。
シャロンウィンは急に、あることを思い出した。
なぜかは分からないが、今朝のジャールとのやり取りが鮮明に脳裏に蘇った。
――気を付けて、シャロン。必ず無事に帰って来るって約束してくれ
――約束するわ
そうだ。私はジャールと約束したのだ。必ずドルウェット城に戻るんだ。
彼の黒い瞳を見つめて、無事に戻ったと言わなくてはならないのだ。
どうしてこんなことを思い出したのか、自分でも分からなかった。
私が愛しているのはブランデンのはずなのに。
だが、おかげでシャロンウィンは再び、残った気力をかき集めて目を開いた。
そのときだった。
あの懐かしい地響きが、横たわるシャロンウィンに伝わってきたのは。
リズミカルに地面を蹴る蹄の軽やかな音。
目を向けるまでもなかった。かつて毎日聞き続けた音を忘れるはずがない。
間もなく、シャロンウィンは柔らかな鼻面が自分の肩に触れるのを感じた。
シャロンウィンはそっと上を見上げた。
朝露に濡れた木の実のように艶やかな黒い瞳がシャロンウィンを見下ろしていた。
雪の如く白い毛並み、沈みかけた太陽の光を受けて金色に輝く尻尾と鬣、輝かんばかりの立派な角……
「チェルニー」
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