3 沸々と寂寥を

 夕飯は鍋にしよう。

 初詣から帰ってきて、寝て、起きて。ぼんやりとした頭でそんなことを考える。

 テレビのない部屋なんて慣れて久しいのに、今はそのがらんとした殺風景が恐ろしいもののように感じられた。建て付けの悪くなった私の箱も、こんなときばかりは外の賑やかな空気を受け入れてはくれないようだ。

 どこからか楽しそうな家族団らんの声や、若者の賑やかな奇声が聞こえてくる。結局のところ私と彼らは違うのだと、明確に意識させられる。

 だから今夜は、鍋にしようと思った。

 家族が解体されるとき、当たり前のように共有物も分けられた。

 みんなで仲良く使っていたはずのものが、誰かひとりだけのものになる。それがひどく寂しくて、だけど、あの時間をそのままにしておきたかったのは私だけであったらしい。

 家族の時間がひとつ、またひとつと切り取られていくのを、どんな顔で見ていただろう。

 あんまりたくさんのものを手にしてしまえばきっと、過去にしがみついてしまう。そう思って、私があの家から持ち出したものは多くない。

 そのうちのひとつが、鍋だ。

 なんの変哲もない鈍色のもので、かつては家族団らんの象徴として食卓によく登場した。冬がくるたびに心と身体をほかほか温め、私の大事な箱を満たしてくれた。

 正月に包丁を使うのは縁起が悪いというけれど、切れてほしくない縁どころか、誰かとの繋がりすら持たなくなった私には関係のないことだ。適当に野菜や肉を切って、買い置きしていたキムチ鍋の素と一緒に火にかける――。


 熱々の汁が舌を脅かし、喉を炙り、腹に溜まっていく。そこからじんわり温まる身体が悲しい。熱くて辛いキムチ鍋が美味しいことが、悲しい。私の身体は、生きている。

 ひとりには多すぎる具材が、それでも少しずつ減っていく。

 この鍋は家族団らんの象徴だったのだ。

 今は寂寥と化した思い出ばかりがぐつぐつ煮込まれている。どこかへ置いてきたつもりの寂しさはいつの間にかそこにあって、私はやっぱり食べてしまう。寂しさというのはそうして永遠に循環していく。


 時が経てば和らぐのは、しっかりとした箱を持った人だけなのだと思う。

 風化した箱はどこか味のある雰囲気となって、誰かに「素敵だね」と言ってもらえる。そんな相手がいなくても、たとえば自分の心がよく収まっていれば、安心していられるだろう。

 私の箱はもう鍵をかけてしまったし、心なんてとうに転がり出てしまっている。

 ……なんて無様な。

 心だけでもと、なんとかもとの場所へ戻そうと試みているけれど、がさがさで居心地は悪いし、ハリボテのように薄っぺらくて不格好だ。

 寂しさを食べたはずの身体は憎らしいほどに温まっているけれど。

 なんだかもう、その選択をしてしまってもいいような、そんな気がしていた。

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