第11話ー新たな日常への門出ー


 私では彼女に日常を与えられないと付け加えながら、白面を着用し直した。


「親であるかのように振る舞いはすれど、この子が人類に牙を剥く可能性が少しでも現れたら対処せざるを得ない立場なのでね」


 私が守るべきは個人ではなく、方舟に住まう民なのだと言う。

 言い方を変えれば少数のために多数をリスクに晒したり犠牲にすることはできないといったところだろうか。

 確かにステイシスの異形化が進行した際は攻撃対象に彼女を加えていたため、言っていることは嘘ではないのだろう。


「それに……これは大変重要なことなのだが。君はどうやら彼女に触れることができるようだね」


「まあ、普通に触れるけどさ……字面だけ見ると変な風に聞こえるから止めて欲しいわ」


 白面の男は本当に嫌そうにそう言うヒナキを見て軽く笑った。

 その様子を見ていたアリアは思う。

 彼があのように裏がない笑みをこぼすのはいつぶりだろうかと。


 自分に触れる触れられないなどという話をしだしたため、ステイシスは少しばかり居心地が悪そうだが。


「彼女はその身に保有するドミネーター因子の影響で他の生物に対し強いグレアノイド侵食を起こす性質がある」

 

 グレアノイド。

 ドミネーターという怪物の体を構成する大部分の物質であり、主に鉱石のような性質を持っているが一定の環境下では弾性を有したり液状になったりするこの世界にはない異世界の物質である。

 下手に触れるとグレアノイド侵食と呼ばれる現象を引き起こし、他の物質にその性質を伝播させていく。

 人体に対し極めて有害な物質であり、グレアノイド侵食を起こした生物の細胞は脆い石の様になり崩壊を起こす。


 実態としてはそんなところだが、高純度グレアノイドは核物質と同等以上のエネルギーを有しているために精製し二脚機甲戦術兵器の動力源に転用しており、ただ害があるだけではないという。


 ヒナキは大病院の地下で見た光景を思い返す。

 侵入者である兵士が少女に首を捕まれ、黒塊に変貌するところを。


「そのせいで彼女は常に他人から疎まれ、避けられていた。拘束衣で全身を覆われ、必要なときにだけ檻から出される生活が彼女にとっての日常だったのだ」


 ヒナキは思う。

 自分がその少女に触れられるからといって、少女から受け入れられるかは別問題だろうと。


「ふ、君の顔はよく確認できないが考えていることはわかりやすくてありがたいな。安心すると良い、彼女は君に多大な興味を寄せている」


「ちょっ……お父様ぁ?」


 自分の心情を見透かしたように淡々と離すそのお父様に対し、ステイシスは思わず手を振り上げてしまう。

 そのお父様はカラカラと笑いながら右手の平をステイシスに向け、落ち着きなさいと静止する。


「諸々の第一歩として君たち2人が過ごす部屋を用意しておいた。これからはそこで過ごすと良い」


「ネロもぉ!?」


「そうだ、君は彼と共にいなさい。彼が近くにいると君の中の因子の活性が抑えられる。以前と違って楽だろう?」


「……そうだけどぉ」


 ステイシスは振り上げた手を下ろし、ヒナキが座る車椅子の手すりに腰掛けた。

 突然距離を詰めてきたためヒナキは驚いていたが、もうすでに家を用意されているなどという驚きと重なってうまく感情を表せず、言葉すら出ない様子だ。


「アリア、最低限の生活用品と資金の用意を頼むよ」


「あ、はい。部屋というか……あの、一応オフィスなんですが」


「住めば都とはよく言ったものだろう」


 白面の男のものの言いように、ヒナキとステイシスは思わず顔を見合わせてお互いにため息をつき合った。

 これからの前途の多難さというか、もう好きにしてくれという諦めというか呆れというか。


 とにかく自分たちの生活はこれから一変するのだろうということだけは感じていた。


 それからヒナキとステイシスはアリアに案内されながら管制室から出ていき、ひとり残された白面の男は深く椅子に座り直し一息つく。


 そしてモニターに対し、リモコンを向けてボタンを押すと……。


「すまない、待たせたね」


《おっそい。待たされた分文句も長くなるわよ》


「新たな門出を祝していたんだ、許してくれ。結月君」


 モニターに映し出されたのは長い黒髪、碧眼の美しい女性だった。

 結月と呼ばれた彼女は先日のドミネーター大侵攻の際、たった1機で防衛ラインを守りに来た飛行する青い機甲兵器の搭乗者である。


「先日は無茶を言ってすまなかった。我々企業連合の特殊二脚機甲部隊の融通が効かなくてね」


《死ぬところだったんだけど。まあその分の報酬は確認させてもらったわ。あ、あとブルーグラディウスの修理費用も請求するからね》


「うむ、修理見積はまだかい?」


《かなり手ひどく破壊されたから見積に時間がかかってるの、覚悟しておいて》


「私の懐も無尽蔵じゃないんだ。どさくさまぎれに余計なオーバーホールをしないでおくれよ」


《もちろん。ま、ほとんど内部機関は新品と入れ替えだからオーバーホールどころじゃないんだけど》


 先日のドミネーター大侵攻の際総一朗が防衛ラインの維持を依頼した女性、それが彼女だった。

 企業連合内大部分の戦力管轄が自分ではないために、企業連合傘下企業の戦力を前線に投入できず自分のツテを使用し独断で出撃依頼をした。


 彼女は企業連傘下ではない兵器メーカー、センチュリオンテクノロジー株式会社所属軍の特殊二脚機甲のパイロットである。


 通常の二脚機甲と違い、特殊二脚機甲は反重力炉という原動核を搭載し飛行が可能。

 そしてその炉から出力されるフォトンノイドと呼ばれるグレアノイド精製物質を使用して様々な高火力兵器を扱うことができる兵器だ。


 強力ではあるが製造コストが通常の二脚機甲戦術兵器と違い倍以上かかる上、搭乗するパイロットには様々な項目適性が必要とされ、ほんの一握りの人間しか乗ることができないワンオフ機、その総称である。


 ちなみに言うと、アリアが立ち上げようとしている民間軍事会社が地面スレスレの資金難低飛行からのスタートになるのはこれにかかる費用が理由だったりするのだが……。


《駆け込み寺扱いもほどほどにしてよ。ウチだってあなた方の冷遇対応のせいで大変なんだから》


「それを物ともしない経営状況の君等だからこそ気軽に相談できるのだがね」


《ま、うちと張り合えるのなんてGNCの連中だけだしね。で、どうだったの異次元からの彼》


「その件に関して情報開示を行わないでもらって本当に助かっているよ。彼は無事私の傘下に加えられそうだ」


《それはよかったわ。まあ、別世界から黒い機体が現れたなんて言ったところで信じてもらえないでしょうけど》


 あの時、あの場にいた彼女はヒナキがこちらの世界に現れた現場を確認していたのだ。

 その現場を確認していたにもかかわらず、そこで起きたことを報告することはなく総一朗のみに伝えていた。


「彼は小さな傭兵会社所属になる。いつか君のライバルになるかもしれないね」


《小さな傭兵会社が私達の? 随分面白い冗談を言えるようになったみたいだけど……》


「ふ、冗談かな。冗談だろうな」


《……?》


「そうだ、RBは今どうしてる? 頼みたいことがあるんだが」


《彼は遠征任務中でしょう。というかGNC所属なんだからそっちで確認したらどう?》


「いや君は彼の熱心なファンだからね、状況を知っていそうだったから」


《なんで私の趣味嗜好を把握してるのよ……気持ち悪いな》


「アンテナは広く張っておいたほうがいい。それより見積早めに頼むよ。彼らが立ち上げる会社に使ってしまいそうなのでね」


《了解。また何かあったら連絡よこしなさい》


 そう言ってセンチュリオンテクノロジー所属、結月という女性は通信を切断した。

 白面の男はようやく落ち着いた身の回りを確認しながら、1本のワインを取り出して白面を外す。

 ゆっくりとした手付きでコルクを抜き去り、グラスに注ぎ……。

 方舟の最高戦力と異次元から来た男の門出を祝うかのようにグラスを振ったのだった。

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