欠落者怪奇譚『DEVIANT』
灰汁須玉響 健午
第1話
私は毒蛾だ。
たとえばそれが昼間なら、蝶に
たとえば巧く優雅に飛べば、蝶に見紛う可憐さがある。
私は毒蛾だ。
決してどこかに留まれはしない。
ひとたび留まろうものならば、蛾であることに気づかれる。
闇に生まれた私には、どんな光もまぶしく映る。
蝶が求める太陽も、ただ燃え盛る篝火も、誘蛾灯すら、同じに見える。
暗く冷たい現の空に、掠れた夢を描いては、ほんの刹那の逢瀬でも、光を求め舞い狂う。
たとえその身を焼かれても、灯りの中に混ざりこむ。
私は毒蛾だ。
蝶を夢見て舞い遊び、炎に焼かれる醜い虫だ。
推定自殺(決)
◆
私は目を閉じた。
まぶたの中で、目玉を回転させるように動かす。暗闇の中で焦点合わせるような、少し特殊な感覚。私はこれをスイッチと呼んでいる。感情が高ぶれば、無意識に発動するその『眼』を制御するための、自己暗示のようなものだ。
私の眼にかけられた鍵は二つ。
一つは異能封じのピアスとブレスレット。特別な素材で作られており、体に術式の一部を編みこんで効果を発揮するものだ。普段は両方ともつけているが、これはあくまで、無意識下での能力の発動を阻止する為のものなので、任意で外すことが出来るようになっている。
もう一つは、精神的なスイッチ。このスイッチを設けることで、切り替えを意識させ、逆に『切り替え』なければ発動できなくするものだ。
この二つが解除された時、私の『眼』はその真の姿を現す。
頭の中でカチリという音が鳴って、私はゆっくり眼を開ける。
フィルターに覆われたような、青く寂れた世界が視界に広がる。
天気が変わったわけでも、景色が変わったわけでもない。変わったのは、私の眼だ。
目の前には、一人の少女。背丈も歳も私とそう変わらない。大学二年生と言っていたから、正確には、私より一つ上か。黒くて長い奇麗な髪は、自分が愛し、憧れる者を真似た結果らしい。
鋭い視線とヒリヒリするような殺気。その鬼気迫る形相は、二十歳やそこらの女性のものではない。彼女はもう、とっくにこっち世界からいなくなってしまっている。境界線を越えてしまった者。
そして、先ほど見た動き――私の手から逃れた動作と今の手合いで理解した。彼女は異常な身体能力を持つ異能の者だ。能力の正体は、おそらく制限解除(アウトリミット)。人間の体が現状で発揮できる最大値に近い出力を従来備わっている安全装置を無視して行使する技術で、デメリットは言うまでもなく体への過度な負担だ。
リスクとリターンのかみ合った、魔法とも呼べない魔法であり、。事実、トップアスリートたちは、心身共の訓練によって三分の一ぐらいまでは制限を取ることが出来る。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
ただ重要なのは、目の前の少女は、およそ常人の予想も出来ないスピードとパワーで動くということだ。だが、実は私にとって、それも大して重要ではない。彼女を含むこの景色を視界に入れてしまった時点で、ほぼ勝負はついていた。
私は彼女と眼を合わせる。
あと五秒。
懐疑的な観察眼は、こちらの行動を読み取ろうとしているようだ。身体能力の制限が外れているということは、動体視力などの制限も外れているということで、私が普通の人間だとしたら、私が動いてからでも十分に対応できる能力を持っていると自負しているわけだ。
本来ならそれは正解だろう。
しかし――
この私『央城巴月(おうじょうはづき)』を目の前にした場合、重大な勘違いが三つある。
第一に、彼女の力である制限解除を実は私も使えるということ。
第二に、一歩も動くことなく彼女の息の根を止める手段が私にはあるということ。
第三に、そもそも私は普通の人間じゃないということ。
前提からして間違っているのだ。眼を逸らさずに、私は小さく笑う。もう十秒以上見詰めている。この視界は、すでに私の支配領域だ。
「我は死。凍て付く静寂。冷たい沈黙。侵食する絶望、或いは、果てに停滞する無」
抑揚も無く、ただ淡々とそれを口にする。意味は分からない。昔、骨董書集めを趣味にしていた祖父が口にしていた言葉だ。おそらく魔道書の一説。私には、魔法を連想する一番古い記憶だ。
「何ですって?」
少女は私に聞き返す。でも、私は構わずに続ける。言い忘れていたが、この力をつかうのに、もう一つ条件がいる。それは、呪文の詠唱。
「我は極寒と冥府の女王」
これも、見境のない私の力を暴発させないために、ある知り合いが後付けした制約の魔法だ。
私は、銀色の髪を掻き揚げながら、それを口にする。
「凍てつく太陽(サロウ)」
「な、に?」
彼女がそう言って、不可解そうな顔をする。次の瞬間、その顔はさらに驚愕のものに変わる。
静まりかえるような冷気が、瞬時に辺りに広がった。
乾いた高い音が
「えっ、なに、これ」
彼女はやっと自分の身に起きている異変に気づいたようだ。
どうやら、足が動かないらしい。それもそのはず。おそらく彼女の下半身は硬く凍り始めており、同時に、すでに死に始めているのだから。
「もう感覚がないでしょう? 手の先、足の先、頭を除く四肢の先端の方から、ゆっくりと感覚が冷めていくの。そうね、無くなっていく。空っぽになっていくというのかしら」
私は言った。視線をはずさないまま、ゆっくり彼女に近づいていく。
「あなたは狂気に取り付かれた人だわ。自分の欲望に従うあまり、決して越えてはいけない一線を越えてしまった。でもね、こっち側は、もっともっと異常な狂気に満ち溢れているの。そんな中で、あなたは生きていけないわ」
彼女に手の届く距離まで近づく。奇麗な髪。奇麗な顔。それなのに、こんなに醜く恐ろしい表情を宿している。彼女は狂気に落ちた、哀れな人間だ。それゆえに、たまたま境界線を越えてしまっただけの、いわば事故にあった人のようなもの。
それでも、憎しみや怨恨といった明確な理由のない殺しを、四人もしてしまった罪は重い。何より、私の逆鱗に触れてしまった。
「なにをしたのよ。なんなのよ、これ」
取り乱した彼女からは、先ほどの鬼気迫るものはなく、逆に恐怖に怯えているのが見てとれる。
「狂気が狂気に怯える瞬間、私は私を一番認識できる。私は今の自分が一番嫌い。でも、この自分がいないと私は成立しない。分かる?」
私は彼女の頬に触れた。
うっすらと温かみが残っているが、それもあと少しで冷たくなるだろう。
「怖い? 寒い? ……感覚が、死よ」
再び、私は彼女と眼を合わせた。
「あ、青い、眼」
震える唇から、か細い声が漏れる。彼女は死の恐怖で満たされているようだった。
「凍れ」
私は彼女の瞳に向かって、そう言った。
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