火と氷のブライダルブーケ

大田博斗

火と氷のブライダルブーケ

 時は明治。西洋の文化が流入し、衣食住や建物の変化が顕著に見られるようになった華やかな時代。


 とある植物学者が1人、白衣を着て、暗い研究室にこもっていた。


 30畳ほどの広さがある研究室。と言っても、使い捨てられた倉庫だった。歩くたびに床の木が軋む音が聞こえる。天井は木の柱が剥き出しになっていて、腐りかけ。等間隔に窓があり、月光が斜めに地面を照らす。建物の隅の方には、蜘蛛の巣がいくつかできている、古くさい倉庫だ。


 中央に置かれた机のそばで佇む男。ヒョロっとした体つきは頼りなさを物語っていた。天然パーマが入った黒い髪の毛。頬骨がすこし浮かびあがっている痩せた顔。眼鏡をかけている。


 男は佐藤悠一さとうゆういちといった。悠一はスポイトに液体をとり、机の上にある植物に少しずつかけていく。


 植物の葉の上を液体が滴れて落ちて行く。窓から入ってくる月光が液体をキラキラと照らしていた。


 ヂカッ!!


 目を刺すほど眩しい光が辺りに走った。悠一は驚いたように入り口の方を見た。


「悠一さん、また集中しすぎてましたね?」


 微笑みながらそう言った彼女が、明かりをつけたようだ。入り口の近くにあるスイッチに手をそえていた。


「サユリさん、どうも」


 悠一はスポイトを机の上に置いて、着物に身を包んだ女──山田サユリの方へ歩み寄った。悠一はさっきまでとは全然違った表情を見せた。微笑み、活気に溢れた顔だ。


 サユリは深紅色の着物を着ていた。きれいに飾られた髪型。大きな瞳にすらっとした鼻と口。流麗な姿はまるで違う世界の天女のようだった。


「前来た時から少ししか経っていないのに、またこんなに植物がたくさん」


 サユリは辺りを見渡しながら言った。


 窓が無い壁沿いには植物の棚が何段にも重なってできていて、3メートルほどの高さがあった。その棚が建物の壁を一面覆っていた。


 棚には緑、赤、黄色、紫、たくさんの色の草や花たちが生息していた。まさに、植物博物館にいるかのような気分になる。


 また、部屋には机が9つ、3列に3つずつ置かれており、真ん中の列は机の上に実験器具や実験中の植物が置かれていた。


 残りの机には小さな観葉植物や花が置かれていた。ツルを伸ばしているものもあり、床に届きそうなほどだった。


「サユリさんが前にお越しになったのは、4日前でしたね。また色々研究をしていたら、植物たちが増えてしまいました」


 微笑みながら悠一は語った。サユリもそれを見て笑った。


 サユリは手さげから新聞紙に包まれたものを取り出した。


「今日は、近くの店で売られていたカステラを買ってきました。休憩にお茶でもどうです?」


 包みをガサガサと剥がして中身を見せた。黄色のスポンジがフワッと、そしてザラメが多く入った表面。襲ってくるあま〜い香り。


「うわ!美味しそうですねー!その椅子にかけて、待っていてください。すぐに紅茶をいれてきます」


 研究室の部屋の隅に置かれた小さな机。そこで2人はいつも会話をしたり、お茶をしたりしている。サユリは椅子に座って悠一を待っていた。


 建物入り口のすぐ横のドア。そこを開けると悠一の私部屋となっている。悠一はそこに住んでいた。


 白衣を脱いで柱に立てかけた。簡易的な台所で湯を沸かし、ティーパックに茶葉を入れ、コップにそれを入れる。湯を注ぎ、少し待つ。


 ──


「お待たせしました。佐藤家特製!紅茶です」


 コトッ


 サユリの座っている前にコップを置いた。


「まぁ、なんてきれいな色!匂いも華やかですね〜」


 サユリは目をキラキラさせながら紅茶を眺めていた。悠一はサユリの目の前に座り、その様子を見て微笑んだ。


「ここで作った茶葉を発酵させたり、乾燥させたりして1から作ってますから。美味しいと思います」


「嬉しいです!では、カステラと一緒にいただきましょう」


 2人は最高のお茶の時間を楽しんだ。


 2人は実は付き合っていて、週に3回ほど、会ってはここでお茶をしている。それだけが2人の唯一の楽しみだった。


 いや、それ以上ができない事情があった。


「……次はいつ、会えるでしょうか?」


 話も潮時となっていた時、悠一が尋ねた。


 サユリは机の上にコップを置いて、俯いた。そのまま、コップの淵についた赤い紅を持参した白い布で拭き取りながら言った。


「もう、会えないと、思います」


「えっ……!?」


 悠一は椅子の背もたれに、もたれかかった。体から力が全て抜けていくのを感じた。


 ──サユリの家は医者の家系であった。サユリの父はサユリをと結婚させるために、他の医者の奴と結婚の話をつけていたのだ。それはつい1ヶ月くらい前のこと。


 しかし、その頃にはすでに悠一とサユリは付き合っており、2人は結婚も前提だった。


 そんな時に急にサユリの嫁ぎ先が決まり、悠一とサユリの結婚の話は白紙。


 そして今日、ついに結婚日が決まり、それの報告にサユリは悠一のもとを訪ねたのだった。




「……また、あまりにも急すぎて、僕は理解が追いつかない……」


 悠一はズボンの布を強く握りしめた。あまりにも悔しくて、不甲斐なくて、そんな自分に嫌気がさした。


 いや、本当はもう分かってた。いつか、この時が来ることを。それがもう来てしまったのだ。


 そうか。さっきの脱力感。それは、今まではどうにかなると信じていたことが、ついにどうにもできなくなってしまったという現実を受け入れたと、自分に言い聞かせるためのフリなんだろう。


 僕は抗わないのではない。抗えないのだ。この運命に。


 サユリは泣いていた。瞳からは溢れんばかりの涙がこぼれ落ちていた。


 サユリは徐に立ち上がると、俯きながら座っている悠一に抱きついた。


「悠一さん、私はあなたからたくさんの幸せな時間をもらいました。たくさん聞けた植物の話も、研究の話も……とても興味深いものばかりでした。もっと、聞きたかった……。


 そして、それを語る悠一さんの顔も大好きでした。笑う顔も、真面目な顔も、もっと見たかった。


 いろんなところにも行きたかったです。本当に自生している植物を現地まで見にいったり、そこでお泊りしたりしたかった……。


 ……初めて会った時、植物に対する深い愛、優しさを向ける眼差しに私は惹かれた。そして悠一さんの優しさを、私は愛した。愛し愛された私は本当に、ほんとうに幸せでした」


 悠一も、サユリを抱きしめた。目からは意図せず涙がこぼれ落ちた。


「あぁ、サユリさん。僕も、……」


 『幸せだった』という言葉は、悠一の喉からどうしても出てこようとはしなかった。


 数秒、沈黙が続いた。2人の鼓動は共鳴していた。何度も何度も、2人の温かさを確かめ合ったような瞬間だった。


 お互いの手が解けた。


「もう、お別れですね」


 そう言うと、そっとサユリは離れて行った。悠一も立ち上がり、入り口まで見送った。


 サユリはドアを開けた。ドアの先はもう秋の気配を消して冬が訪れそうな奇妙な気候だった。ドアから入ってきた風がヒンヤリとしていて、2人がさっき感じあった温もりを、すんなりと奪っていくかのような寒さに悠一は襲われた。


 振り返って、サユリは悠一の顔を見つめた。哀しい目をしていた。


 いくな!!


 ……なんて言えばものすごく楽になれるのだろうな。


 そんな言い訳をしないといけないほど、僕はちっぽけなプライドだけを彼女の前で守り続けた。


 ガッチャ……


 サユリの背中を隠すようにドアが閉まり、研究室にはドアの溜息が響き渡った。


     *     *     *


 別れは、案外あっさりとしたものだった。なぜこんなにも大切なものは、すぐに消えてしまう、手からすり抜けてしまうのだろう。


 僕の彼女はお家柄のいい金持ちの男に、取られてしまったのだ。


 あまりの悲しさから、今日は朝から何も手につかなかった。


 ドンドン


 入り口のドアが低くなった。悠一は音を立てずにそのままその場に座り込んだ。ガタガタと体が震え始める。


 どんどんどんどんドン!!!


「おい、出てこい!!クルクル頭!!今日こそは溜め込んだ借金、全額返してもらうぞ!」


 まただ。またあいつらだ。


 ──悠一は借金を抱えていた。だが、それは父親が遊んで作った借金だった。父親は母親と悠一に借金を抱えさせて死んだ。母親は身を粉にして働いて、借金を返済していたが、過労で倒れた。


 悠一は13の時に1人になった。それからはずっとこうして借金取りに追われている。まだたんまりと残っているのだ。


 子供の時から植え付けられた恐怖は、未だに悠一の心に深く傷を負わせている。震えはいわば、本能的なものであった。


「ろくに働きもしないで、植物ばっかり育てやがって!金も返す気になれねぇのか!好きなことで食っていける社会じゃねえ!今もその辺で子供や貧乏人は死んでいってる。


 明治になっても社会は何も変わってねぇ!変わったのは金持ちだけだ!いい加減、金を返せ!」


 悠一は息をひそめて、借金取りが帰っていくのを待つ。


 バン!!


 ドアが壊された。そして、借金取りが3人入ってきた。悠一は震える体をなんとか制御して、立ち上がり、逃げる。


「待てや!!」


 走り込んできた借金取りにあっけなく取り押さえられ、地面に顔を叩きつけられた。


「ったく、なめたツラしてやがる。おい、金を返せよ!」


 借金取りは悠一の顔を引っ張り上げ、覗き込んで言った。


 そして、悠一は顔を殴られた。


 そこからはあまり記憶が無い。気づけば、体中に痛みが走っていた。


「金が返せねぇなら、首つりな。この汚い建物と土地とお前の命でどーにかしてやる」


 そう言い残して、借金取りは出ていった。


 心臓の鼓動が鳴るたびに、痛みが体を走る。何度も、なんども、僕を追い詰めてくるかのように。


 このまま、目をつむれば、僕は死ねるのか?


 もう、疲れた。


 悠一は静かに目をつむった。



 ──少し眠ったようだ。目を開けても、何も変わらない景色。


 自分はまだ死ぬ勇気すら持てない。死にたくない……。


 なんとか悠一は立ち上がった。ドアは壊されているが、もう修理するためのお金は残っていない。


 悠一は買い出しに出かけた。所持金はそれほどない。米を一杯分買えるかどうかだった。


「……あの人、ほら」

「あら、ほんとだわ」


 悠一を見た2人のいい着物を着た婦人が周りの人間にも聞こえる大きな声で話し始めた。


「あの人、あの古い建物の中で植物の研究してるんでしょ。そんな世の中のためにならないことして、お金も稼げないっていうのに」

「ほんとよね、働けないし、税金も納められないのなら、その辺でのたれ死んでいればいいのよ」

「ほんとねー、何か怪しいことしてるんじゃないの?あの研究室で」

「やだー、こわー。しかも、顔、なぜか痣だらけじゃない?」

「よしてあげなさ〜い。きっと借金取りに追われてるのよ。何もできないし、お金も持ってないから」


 2人は大笑いした。周りにいた高価そうな着物を纏った人たちも、蔑むように悠一を見ていた。


 その通りだった。植物学者なんて、建前で、本当はただの働いていない人間。義務から逃れ、借金取りから逃れ、社会からも逃れてきた。


 今までもずっとこんな冷やかしはあった。でも、難なく乗り越えられてきた。


 サユリがいたから。


 今までなら、何も思わなかったのに、何も苦しくなんて無かったのに。


 あぁ、最悪だな。僕の人生。


 何も買ってこずに、研究室に戻った。気づけば夜になっていた。


 活力が失われて、ただ、座ることしか出来なかった。地面から季節外れの冷気が身体を徐々に侵食していく。


 目の前には、サユリの姿はない。窓から差し込んだ月光が、目の前の誰も座らない椅子を静かに照らしていた。


     *     *     *



 この生活を悠一は一週間も耐えられなかった。やはり会いたい。もう一度、サユリに……!!


 そう思った、午後一番。頭で考えるより、先に手が動いていた。


 悠一は手紙を書いて、それをビンに入れた。ビンを持って悠一は外へ走り出した。


 悠一とサユリは連絡手段が取れない。なぜなら、婚約者がいるのに、他の男と付き合っているとバレたらサユリが危険だからだ。


 だから、サユリの家の隣を流れる小さな川に手紙が入ったビンを流して普段から連絡をとっていた。サユリは返信できないが、急に会えなくなった時や、研究室に居ない日を伝えるために悠一がよくしていた。


 悠一はその川につくと、ボトルを投げ入れた。きっとサユリはこのボトルに気づく。そして、もう一度会いに来てくれるはず、そう信じて。


 


 川のすぐそばにある居間。大きな窓の向こうには手が届きそうなほどの所を川が流れている。


 サユリはそこからひたすら川を眺めていた。一週間、寝る間も惜しんでひたすら。サユリの瞳には、もう光が灯っていなかった。


「サユリ様、お食事置いておきます」


 住み込みの女性が食事を持ってきた。サユリは無視をして、ただ川を眺める。


 いつ流れてくるか分からない、だから目は離せない。確証はないけれど、必ず、ボトルは流れくる……!


 サユリもまた、そう信じていた。


 チカチカッ


 太陽の光を反射して、何かが泳いできた。サユリは高揚し、その瞳には光が灯った。


 まさに、悠一が投げ入れたボトルだった!


 サユリは勢いよく立ち上がり、窓から身を乗り出して、手を伸ばした。ボトルを手につかむと、それを抱きしめた。


 溢れそうな涙をこらえながら、急いで手紙に目を通す。そこにはただ『もう一度、会いたい』と書かれていた。


 サユリは勢いよく居間から飛び出した。


「あの子ったら、明後日には結婚式だって言うのに……」


 両親が何やら小さな声で話しているのが聞こえるが、そんなのどうでもいい。早く、会いに行きたい。それだけが、今のサユリの行動を全て支配していた。


「おい!どこに行く!!」


 父親の呼びかけを無視して、サユリは家を飛び出した!


 外はもう陽が傾いていた。橙色に染まった道をひたすら、ただひたすらに走っていく。


 1秒でも、1秒でも早く……。





 季節がまるで狂ったかのように寒い夜だった。悠一は悴む手先を握りしめて、角で座り込んでいた。


 ガチャ!

 

 真っ暗な倉庫、廃材の木で修理したドアが勢いよく開いた。悠一はドアの方を振り返る。そこには、月光に照らされたサユリが息をきらしながら立っていた。着物はとても汚れている。


 悠一は立ち上がってサユリに駆け寄る。サユリは疲れのせいでその場に倒れ込む。


 悠一は倒れ込む寸前でサユリを抱えた。2人は抱きしめ合う。


 2人は存在を確かめ合った。確かに、たしかに今ここに君がいるのだと。


 お互いの白い息が上がる。


 手を解いて見つめ合った。


 もう、体は温かくなっている。




「ついてよかった…。会いたかった、悠一さん」


「僕も……。本当によかった。会えた……!!」


 2人は涙をこらえて話す。


「それししても、顔どうされたんですか?痣だらけで」


 サユリは悠一の顔を撫でた。心配そうな声で言う。


「これくらい平気さ、サユリさんこそ、疲れたよね」


「ううん、会えて嬉しいから、疲れなんて吹き飛んじゃった」


 悠一はサユリを担いで、椅子に座らせた。



 少し時間を置いて、2人は話した。


「ごめんなさい、今日は急いでて、何も持ってこれてないの」


「いいよ、そんなの……」


「それよりも、どうしましょう?私、結婚2日前に家から逃げ出してしまいました」


 そう言ってサユリは微笑んだ。


 2人は涙を流しながら笑った。


 少しの間の後、悠一は立ち上がった。少し歩いて行き、サユリに背を向けながら話す。


「なぁ、サユリさん」


「なに?」


 悠一は振り返った。その顔はどこか嬉しそうで、哀しそうで、少し微笑んだ顔だ。


 青い月光の光が悠一の顔を照らしていた。






「心中、しよう」




     *     *     *


 悠一の答えはこれしかなかった。2人で生きていくという未来はもうこの世界には、無い。だからせめて、2人の時を、ずっと、過ごしたいと思ったのだ。


「はい」


 サユリの目からはまた涙がこぼれそうだった。


 それでも、サユリはもう涙を流さなかった。黙って、耐えていた。


 心なしか、吹っ切れたような表情をしていた。その選択しかないと、サユリも分かっていたようだった。覚悟は決まっていた。


 僕は何て弱いんだろう。どうしてこんな決断しかできないんだろう。彼女を幸せにしたかった。この世界で、叶うならば、叶うなら……。


 だが、もう決めた。


 後には引けない。


 悠一は棚に置かれていた枯れた花を一つ、手に取った。それを机の上に置き、サユリに見せて、座った。


「この花は?」


「この花は吸血植物なんだ。この世には存在しない花、いや、そもそも見つかってない花だから名前はない。


 この花は、血を吸わないと枯れる。だから今は枯れているけれど、血を吸えばまた花が咲くんだ」


「どんな花なの?」


「……分からない。咲かせてみないと。ただ、2つ異なる血を混ぜるから2色が混ざる色か分離している色の花になるだろうと思うんだ。


 これを、僕とサユリさんで咲かせよう」


 悠一はサユリの、瞳をじっと見て言った。


「きっと綺麗な花が咲きますね」


 サユリは微笑んだ。悠一は一度頷いて、同じように微笑んだ。



「……じゃあ、始めよう」







 ───結婚式当日。


 サユリの家の別邸が式場になっていた。



「花嫁が来ない?どういうことかね?」


「すいません、一昨日に娘が失踪いたしまして、帰ってこなかったのです」


「こんなにもう人も集まってる。早くなんとかしてくれんと」


 参加者たちは式を今か今かと待っていた。話していた2人はサユリの父と、お相手の父だった。


「今日は中止にしよう、病院には今日も処置を待つ人がいるんだ」


 お相手の男が言った。黒いスーツに身を包んでいて、お金持ちであることが容姿から分かる。


「お、お待ちくださいませ。今全力で娘を探しておりますので」


 サユリの父は男の手を握って男を止めた。


「もう離していただけませんか?」


 男はサユリの父を睨んだ。


「あっ、すみません」


 サユリの父は握りしめた手を離してしまった。


 男が帰ろうとしていた、その時だった。


 ドアが開いた。参加者は全員後ろを振り返り、バージンロードの上を運ばれてくる白く長い箱を見た。運ばれていくその先には、サユリのお相手の男が立っている。


 運んでいたのは悠一を殴った借金取りだった。キレイなスーツを着ていた。


 運ばれた白く長い箱は、男の前まで運ばれ、止まった。


「どうぞ」


 借金取りは白く長い箱に手招きしながら言った。男はその箱を不思議そうに見つめながら蓋を開けた。


 そこには、サユリの死体があった。


 箱の中にはサユリと、白い薔薇の花が敷き詰められていた。薔薇の花は純白のドレスのようで、サユリは腕と顔だけ出していた。


「……誰?」


 男は死体を睨みながら言った。そこに、サユリの父が近寄ってきた。


「サユリ?おい、サユリ、サユリ!!」


 父親はサユリを揺らしながら言った。だが、返事がない。


「死んでますよ、その方」


 男は言った。


「はい、死んでおります」


 借金取りも父親に向かって言った。


「え?いや、なんで??」


 父親はそう呟くと、膝をついた。


 ざわつく参加者。1人冷静に佇むお相手の男。


 サユリの父はあまりの衝撃で気絶して倒れた。


 男は箱の中に入っていた手紙に気づいた。そして、それを手に取った。


 『結婚祝いだ』


 男はキョトンとしたような目で手紙を読んで、1人呟いた。


「……お前も、誰だよ」


     *     *     *



「計画はこう。まず、サユリがこの毒を飲んで自殺する。そして、僕があの長くて白い箱の中にサユリを入れて、吸血植物を、サユリの心臓に突き刺す。すると吸血植物は血を吸い始める。


 サユリを箱に入れる前にあらかじめ僕の血管に採血用の針を刺しておいて、そのもう片方の針をサユリにも刺しておく。これで輸血ができる。


 サユリの血を吸い終われば、次は僕の血が吸われていく。これで2人はお互い死ぬ。そして、2人の血が混ざった花が、咲くってことだ」


 悠一は計画の全てをサユリに明かした。サユリはまた黙って頷いた。


 もう残された道はこれしかなかった。


「式場には誰が運ぶのですか?」


「実は、僕、親が残した借金があったんだ。ここの建物と土地と自分の命を渡せば、返済完了ってことになるらしいので、その借金取りに任せることにした」


「そういうことですか」


 

 準備が終わると、2人はまた抱きしめ合った。


「また少し、寂しくなりますね」


 サユリは呟いた。


「いや、すぐ会えるよ。待っててね」


 そう言って、悠一は座ったままのサユリに毒を飲ませようとした。




「……待って」



 サユリは微笑みながら言った。




「最期だから、聞かせて。


 私のこと、愛してる?」



 悠一も微笑みながら言った。



「……もちろん、愛してるよ、サユリ。ずっと、これからも」



 サユリは我慢していた涙を流して微笑んだ。


「やっと、聞けた……」


 そして、悠一は毒をサユリの口の中へ流し込んだ。


 暗闇の中、苦しみで震えるサユリを悠一はただただ眺めた。15秒ほど、サユリは震え続けた。その影が静かに地面を黒く飲み込んでいた。


 そのあと、静かに息を引き取った。流れた涙は月光にキラキラと反射していた。


 その顔はまだ微笑んでいた。


 悠一は側に置いていた白く長い箱の中にサユリを運び入れた。サユリの腕を心臓の下辺りで交差させるようにした。


 そして、悠一は血管に針を刺し、自分の血液がチューブの中を伝っていくのを見つめた。


 チューブの中の空気が抜けた時にサユリの血管にもう片方の針を刺した。


 と同時に、吸血植物をサユリの心臓に突き刺した。


 その時、花は一気に花開き、大きくなっていった。悠一も自分の血がどんどん抜けていっていくのが分かる。


 だんだんと意識が遠のいていく──……。


 ああ、やっと死ねる。やっと、死にたいと思えた。


 やっと、──……





「つまり、2人は心中したのですね」


 サユリの相手になるはずだった男は言った。借金取りが今回聞いていた、心中計画を男に話したのだ。


「意味のないことをする。死んだとしても、どうせあの世なんて無いし、会えるわけ無いのに」


「……ずいぶんと死体を見ても驚かないのですね」


 借金取りは男に言った。


「俺は医者だからな。毎日のように死体を見ている。この時代の医療なんてただの神頼みだ。何にも変わってないんだよ、江戸から。


 それに、狂った寒さのせいか死体の状態も良い。こんなもので驚くはずないでしょう。


 あなたも毎日のように見ているでしょう、死体。街中には普通に転がっているではありませんか」


「知らない人間の死体を見ても、何も思わないでしょう」


「それは俺もだ」


「……えっ?」


「あなたは何か勘違いをされている。俺は今日初めて花嫁に会う日だったのだよ。いきなり結婚が決まったからね。だから、今この死体を見た時、『あぁ、この人が俺の花嫁になってたかもしれない人なんだ』程度にしか思わない。つまり、誰なのか知らないんだよ。そして、手紙の主もね。


 だから心すら痛まない」


「じゃあ……」


「えぇ、別に2人が結婚したければ、俺はそれでもよかったんだよ。俺は今回、妻でも作ればさらに仕事に力が入るだろうという提案を父から受けて、それで妻を欲しかっただけだから。だから本当に2人は無駄死にだね。


 まぁ、それをあちらの父親が許すとは思いませんけど。


 ただ、死んだ2人がその幸せを望んだのなら他人の俺が言うとこは何も無い」


 そう言って男はただの死体を眺める。


「もし、あなたがこの死体を見て、泣いて後悔の念に取りつかれたなら、面白かったでしょうに」


 借金取りが言うと、男は笑った。


「ははは。それはそうだ。


 まぁ、この劇の中で大切だったことは2人の合意のもとで好きなように死を選べたことでしょう」


 借金取りと話が終わった男は、サユリの方を見た。


「ただ、これはやはり美しい。2人の愛の結晶と言ってもいいでしょうね。


 まるで本当に彼女が生きているみたいだ」



 サユリは赤色と青色のツートーンカラーになっている大きな吸血植物ブライダルブーケを抱えるようにして、微笑んでいた。

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火と氷のブライダルブーケ 大田博斗 @hirotohiro3rd

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