第6話

「ディア、俺のことも構って。俺、ディアの隣に立つために一生懸命頑張ったんだよ?新入生入学挨拶はできなかったけれど、先生も言ってただろう。俺はディアと同点でディアと一緒の首席だったって」

「そう、頑張ったわね」


 感情のない言葉を返すと、彼がわたくしの方にぐりぐりと額を擦り付けてきた。

 お母さまのおっしゃった『溺愛ルートクリア』の意味は分からないけれど、多分彼の甘えん坊さんのことを指しているのではないのだろうか。だとしたら、お母さまのわたくしへ送るべき言葉は『おめでとう』ではない。『残念でした』だ。なんという地獄の所業。わたくしでは、この重っい愛を受け止められないわ。


「ディアの意地悪………」

「………そうね。意地悪で何か悪い?」

「………ディアが俺に冷たい。せっかく婚約者になれたのに………」

「そう。でも、わたくしはあなたに心まであげたつもりはないから、わたくしに甘々を求めないでくださる?」


 ライアンがわたくしからひったくるようにして奪っていた鞄を奪い返し、わたくしはメモに必要な紙とインクと万年筆を取り出した。


「さあ、王侯貴族のボンクラ共、さっさと授業を始めるぞー」


 ………なんという不遜な先生なのだろうか。わたくしはグジャグジャの焦茶色の髪に大きな瓶底眼鏡をかけた教師を、呆れた瞳で見つめた。服もグジャグジャでアイロンがかかっていない。わたくしは担任にも恵まれることがなかったらしい。この世に本当に神さまがいるのならば、わたくしは本当に物申したい。


「………はぁー」

「あぁん?なんか文句あんのか?ローズバードのお嬢ちゃんよー」

「いいえ、何も。ただ、生徒にものを教える立場の人間として、身だしなみと言葉遣いには気をつけていただきたいと、そう思っただけですわ。身だしなみと言葉遣いは、身分問わず当たり前に整えなければならないエチケットですもの」


 わたくしは無茶苦茶な担任ににこりと嫌がらせの微笑みを浮かべる。わたくしも分かっている。これが嫌がらせに分類されることであるということも、八つ当たりであるということも。けれど、もう色々と我慢ならないのだ。わたくしにも、限界というものがあるのだ。


「ふーん、ボンボンのクソガキが偉そうに言うじゃないか。なら、俺のダメなところ言ってみろよ。クソガキが」


 ………生徒に注意されてなお開き直った態度って物凄くムカつくわね。良いわよ。わたくし、売られた喧嘩は買う主義だもの。徹底的に痛めつけて差し上げるわ。

 わたくしは微笑みをできる限り最大限に深めて、鼻を鳴らしてやる。


「ふふふっ、そんなことも分からないとは、先生と名乗る資格もないのではないのですか?まあ、質問にはちゃんとお答えしますよ。わたくしはあくまでも、あなたの受け持つクラスのですので」

「………」

「まずはじめに、髪は目にかからないように切り揃える、もしくは分けて耳にかけ、櫛を通してくださいまし。そして服にはアイロンをかけてください。多少の着崩しは構わないかと存じますが、今のようにカッターシャツのボタンを掛け違えたり、情け無く鎖骨を超えたあたりまで全開にするのは教育上よろしくないかと存じますわ。最後に、『クソガキ』や『ボンクラ』という汚らわしい言葉で、わたくしたち生徒を呼ばないでくださいませ。この中には、王族や高位貴族という地位に甘えず、驕らず、必死に勉強をして立派な親の跡を継ごうとしている者もたくさんいます。そういう人間を侮辱しないでいただきたいのですわ」


 最後の方の言葉だけどうしても力が入ってしまった。わたくしはずっとずっと筆頭公爵家の娘という立場に甘んじずに、それどころか、その名に相応しいくいられるように、必死になって一生懸命に努力してきた。

 わたくしは、じっと教師を見つめて彼の返答を待った。少しでも伝わればいい。わたくしの中には小さな願いのようなものしかなかった。だって、こんな教師に期待する方がアホらしいと思ったからだ。長年教師をしている人間しかSクラスの担任は持てない。何故なら、Sクラスの生徒というのはこの国を担うことになる由緒正しい家系の生まれにして、そして、一定の上位成績を収めた子供のみが入れるクラスだからだ。


「ふっ、………ーーーあははっははっははっはははは!!」

「?」


 わたくしは唐突に笑い始めた教師に、むうっと顔を歪める。正直に言って、正面切ってここまで笑われると不愉快でしかない。というか、不愉快にならない人間がいるのだろうか。


「いやー、面白れーな。ローズバードのガキンチョは」

「だから『ガキ』という言葉はっ!!」

「わあったよ!!止めれば良いんだろ?止めれば!!」

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