第9話
▫︎◇▫︎
Side. メアリー
今日、お嬢さまが久方ぶりに泣かれた。いつも微笑んでいるお方が、分かる人には分かる、微笑みながらの狼狽を見せ、微笑みながら泣きじゃくった。
お嬢さまはいつも微笑みを浮かべておられるから不気味だと言う人も多い。私も小さい頃から、というか、生まれて間もなくからお支えしていなければ、お嬢さまに対して恐怖の感情を抱いてしまっていただろう。
「ねぇ、メアリー」
「!! なんでしょう、奥さま」
「ディアについて聞きたいの。少しお時間をもらえるかしら」
私は話しかけてきた美しい女性に、小さく警戒心を抱いた。きらきらとした金髪に空色の瞳を持った女性であり、昨日やってきたばかりの奥さまはいとも簡単に場の混乱を収めてみせたやり手なお方だ。お嬢さまが警戒心を抱いてしまうのもよく分かる。そして、今彼女は
「………また今度にしていただけますか?」
「ーーーディアが私たちにわざと変なことを仕掛けてきているのが気になっているの。私としてもいずれ対処しなくてはならない時が来る可能性に備えて教えてほしいの」
「備えられてはお嬢さまが困りますので」
私はさっと後ろを振り返り淑女の面を身につける。こういう時、クロエさまとともに受けた淑女教育がとても役に立つ。
「あの子は大きな傷を抱えている気がするの。私はあの子に寄り添いたい。だから、あの子の過去を少しでも教えてほしい」
この人はどこまで行っても善人なようだ。ありありと伝わってくるオーラが、荒みきった心に淡くて優しい光を灯す。この人なら、お嬢さまを………。
私は僅かな可能性に賭けてみたくなった。それがお嬢さまの望まぬことでも。
「………少しだけです。サロンに向かいましょう」
「ありがとう」
私は人目につかない、今は廃れたサロンに奥さまを案内した。ここにくるのは、お嬢さまぐらいなもので、使用人すら寄り付かないような場所だ。秘密のお話をするのにはもってこいの場所だろう。
「《冥々たる闇の守護神よ、我が願いを聞き入れ、音を闇に包みたまえ、『
ーーーでは奥さま、秘密の密会を開始いたしましょうか」
私は防音魔法の詠唱終了と同時に、奥さまに向かって仄暗い微笑みを浮かべた。
「それで?何故あんなに可愛らしいツンデレ?というか、無意識の良い子ちゃんなディアが『疫病神』なんていう不名誉な名前を持っているの?」
私は静かに息を吐き、深呼吸をしてから乾いた唇で言葉を紡ぎ始めた。
「お嬢さまのお母さま、クロエさまはお嬢さまを産み落として間もなく亡くなりました。そして、乳母のティアラも同じくお嬢さまの授乳期が終了して間もなく亡くなりました」
「………ディアが疫病神と呼ばれている理由は分かったわ。ティアラ?さんはディアの乳母だったのよね?授乳期のすぐ後に亡くなったということは8歳になっているディアの記憶になくても不思議ではないはずなのだけれど………」
「お嬢さまは離乳が他の子供に比べて遅かったのです。3歳までは母乳で過ごしていましたから」
私は当時の天真爛漫な明るい表情のころころと変わるお嬢さまを思い出して僅かに笑った。あの頃は、というかあの頃もお嬢さまは本当に天使のような子なのだ。愛らしく、そして何より慈悲深い。
「だからあの子は乳母の遺言を守り続けている。そういうことかしら?」
「えぇ………」
私にはティアラの遺言がお嬢さまを縛り付ける縄のように見えている。彼女の言葉のせいでお嬢さまは、微笑み以外の表情を浮かべられなくなったのだから、当前の反応だろう。
「お嬢さまは『母』という文字のつく生き物を恐れています。私の言いたい意味、お分かりになられましたか?」
私は椅子から立ち上がり、扉に向かって歩みを進めた。そして去り際にくるりと振り返って、微笑んだ。お嬢さまのいつも浮かべているクロエさまそっくりの笑みだ。
肖像画以外の母親の顔を知らないのにも関わらず、母親そっくりとは皮肉なものだ。
「まぁ、せいぜい頑張ってみてください。私は何があろうともお嬢さまの味方です。《『
私は防音魔法を消してから、ひらりと手を振って廃れたサロンの外に出た。
「………頑張ってください、奥さま。我らが囚われの天使を救ってあげてください」
小さく祈りの姿勢をとった私は、今もお布団をかぶって蹲っているであろうお嬢さまを励ますために、お嬢さまのお部屋へと歩みを進めた。手にクロエさまの大好きだった苺をふんだんに使ったショートケーキを持って………。
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