第8話

 ガシャン!!


 物凄い音とともに扉が開いて、お父さまとお義母さまが入ってきた。わたくしの頭の中はライアンの鼻血から絶賛大混乱中だ。


「っ、ごめんなさい、ごめんなさいっ、ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」

「!!」

「ちょ、何があったの!?」

「俺の鼻血に義姉上がびっくりしてしまって………」


 わたくしは何が何だか分からずに謝罪の言葉を叫び、お父さまは何が起こったか分からず固まり、お義母さまがライアンを問い詰め、ライアンが落ち着いて答えた。


「あぁー、なーんだそんなこと。ディア、大丈夫だから落ち着きなさい。ほら、大丈夫、大丈夫」


 お義母さまが、泣きじゃくって鼻水と涙だらけのぐしゃぐしゃの顔のわたくしを躊躇いなく抱きしめて、背中をぽんぽんとした。


「で?本当のところは?」

「うぐっ、義姉上がいきなり俺に告白するみたいな言葉を言ってきて………、そしたらぽたぽたと」

「あぁ、分かったわ。旦那さま、絶対にこの子ディアを安易に外に出さないでください。この子無意識のたらしです」

「?? ぐすっ、ぐす、、お義母さま………?」


 自分の鼻を啜る音が大きすぎて、周りの音がうまく聞き取れないわたくしは、困ったようにお義母さまの服の袖を引っ張った。


「あぁ、なんでもないわ。とりあえず、目が腫れてしまう前に冷やさなきゃだから、お部屋に戻りましょう。ディアの専属のメイドはどなた?」

「私です」


 メアリーが手を上げて背筋を伸ばしたままこちらにやってきた。


「………ありー」

「氷を持ってすぐにお部屋に参ります。今日の気分はなんですか?」


 幼い頃に呼んでいた愛称を呼ぶと、メアリーは顔を綻ばせてわたくしの頭をぽんぽんと撫でた。


「ひっく、ルイボス………」

「すみれ入りですか?」


 わたくしはこくんと頷いた。


「はちみつも、」

「はい、たっぷりとお持ちいたします」

「誰か、ディアのお部屋を案内してちょうだい」


 1人のメイドに案内され、わたくしとお義母さまはわたくしの自室へと入った。ライアンをいじめるはずが、結局うまくいかなかった。それどころか、いじめる対象たるお義母さまをわたくしのテリトリーに上げた挙句、励まされてしまっている。


「失礼いたします。メアリーです」

「どうぞ」


 お義母さまは堂々としている。

 今日も作法やらなんやらで難癖をつけてあげるつもりだったのに、1度も粗相をしていない。それどころか、綺麗で美しくて、それでいて模範的だ。


「奥さま、お嬢さまを宥めていただき感謝いたします。侍女であるとはいえ、なにぶん平民である私が表立ってお嬢さまをお助けすることができずにいましたので、本当に助かりました」

「え、あなた平民だったの!?私には上級貴族のお姫さまにしか見えなかったわ」


 メアリーは元貧民街の孤児だ。わたくしを産んだ母親に拾われて今があると聞いたことがある。だが、いつも堂々としていて物怖じしないところから、貴族のお姫さまにしか見えないのだ。

 それに、メアリーは鮮やかな金髪に藍色の瞳という上級貴族によく見る色彩を持っている。そして何より魔力も豊富だ。


「………めありー、こうちゃ」

「はいはい、ただいま」


 ぐすぐすしながら命じると、メアリーは苦笑しながら紅茶を淹れ始めた。ふんわりと優しいすみれの匂いが広がる。心がほっと落ち着くのと同時に、物悲しい気分になる。


「今日のおやつは砂糖漬けのすみれを使ったケーキですよ。一切れ食べましょうね」

「………うん」

「蜂蜜はどのくらい入れますか?」

「ーーースプーン1ぱい」


 メアリーは心得たと言わんばかりに頷いた。綺麗な横顔をぼーっと眺めていると、お義母さまが静かな口調で話しかけてきた。


「ディア、ライアンの鼻血はよくあることだから気にしないで」

「………………」

「う~ん、もし気になるのだったら、鼻血の処置方法を学んであげて」


 お義母さまの声は子守唄のようだった。うつらうつらと眠たくなるような穏やかな声音だ。わたくしはこんな時にも真っ赤な目で静かな微笑みを浮かべている。わたくしは微笑み以外の表情を知らない。わたくしは泣いていても怒っていても、悲しんでいても、笑うことしかできないのだ。


「ねぇ、あなたはどうしていっつも笑っているの?」

「………………ティアラが笑っていなさいって言ったから」

「ティアラ?」

「乳母」


 ここまで言ったところで、ぴたりとメアリーの手が止まった。メアリーはわたくしの方を向いて首を振っている。


「………わたくしと関わった人間は不幸になるわ」

「それはあなたが疫病神と呼ばれていることと関係があるの?」

「………………………」


 お義母さまは知っていた。わたくしが“疫病神”と呼ばれていることを。なら、どうしてわたくしにこうやって真摯になってくれるのだろうか。本当に不思議だ。心の底から不思議だ。


「メアリー、紅茶」

「ーーーーはい、ただいま」


 室内にはこの後、人の話し声が聞こえることはなかった。

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