第11話

「あと、ひとつ訊いてもいいか?」

 これも答え難かったらいいんだが、と黙していたセドリックが再び遠慮がちに訊ねてきた。

 なんでしょう、と笑んで返してきたアシアへ、セドリックは出入国管理所での出来事について、口にした。

 セドリックは役人や上官が、アシアが導師だと知ったときからアシアへの対応が変わったのだ、と思っていたが、思い返してみればアシアが導師だ、と知る前から彼らはアシアに対して急に慇懃な態度をとってきた。

 そう、アシアのカバンから何かを見つけたあの場面から、状況が一変したように思える。

「その、アシアが持っているカバンの中には、何が入っているんだ?」

 彼らが顔色を失くすような、とんでもないものが入っているに違いなく、知らなかった方が良かった、と後悔する可能性が高いが、これ以上驚くことの何があるか、といった考えもあり、ゆえに恐る恐る、といった体で問いかける。

 そのセドリックの問いに、あぁ、と特になんでもない風な返事とともに、

「コレ、ですね。」

とアシアがカバンから無造作に取り出したのは、赤紫色に染められた、いかにも手触りの良い上等そうな布、だった。

 布の色を見て、セドリックは嫌な予感しかしなかった。

 アシアは、今はオウカ国に住む導師だ。では、オウカ国の国色はと思い返す。セドリックの記憶にあるのは、まごうことなく赤紫色だった。

「もしかして、ソレにはカサブランカの大輪の刺繍とか、盾に重なるように2本の交差した剣を挟んだ2頭の獅子が刺繍されている、ってことは、ないよな?」

 知らず、眉間にしわが寄ってしまっている。

「されていますけど?」

 それが何か問題でも?といった感のアシアの態度に、セドリックは手綱を持っていなければ自分の頭を抱えていたところだった。

 知人の役人たちが顔色を失った理由が、彼らの上官が額に玉の汗を浮かべていた理由がこれで納得できた。この布を見つけた時は、それは心臓が止まる思いだっただろう。導師に対する不敬どころの話ではない。大国の王族に通ずる者へ、不敬を働いたことになる。役職の首が飛ぶ、ではなく、物理的に首が飛ぶ話だ。役人ひとり、上官ひとりの首が飛ぶだけで済めば良く、下手をすれば国家間の問題ごとになる。

 大きなため息をつき、肩を落とすセドリックへ、

「この外套は、師の使いでライカ国へ赴く際に、師から無理やり持たされたのですが、コレを持たせてもらったおかげで、野宿の時にディフに寒い思いをさせずに済み、助かりました。」

と、アシアはいつもの笑顔で話す。

「あのなぁ。おまえなぁ。」

 ため息とともに、セドリックが思わずアシアへ放ったその言葉は、自分の息子や娘、村の若者といった自分より下の者へ使う、荒く相手を嗜める言葉使いだ。それは王族に通ずる者に対して、導師に対して使えば完全に不敬となる。いくら当の本人の許可があったとはいえ、許容範囲を超えた言葉使いだ。それでも、そのような言葉が口をついて出てしまうほど、出入国管理所に詰める知人の役人たちへの申し訳なさと、アシアへの呆れとがセドリックの中で募ってしまった結果だった。

「僕だって、コレが何を意味するかくらい、解っていますよ。」

 アシアは、自分を窘めるような言葉を放ったセドリックへ、怒りを見せることはなかったが、

「だからちゃんと、彼ら役人の言う通りに僕は素直に従ったでしょう?」

身体を少しずらし、セドリックに向き合う体勢となり、

「コレだって僕は要らない、って断ったのにノアが無理矢理カバンに突っ込むから、仕方なく持ってきただけです。」

持参していたのは本意ではなかった、と、彼にしては口調は丁寧なままではあるが、少し拗ねた感でセドリックに言葉を返してきた。

「・・・お怒り、ですか?」

 アシアのその態度につい、改まった口調でうかがうセドリックへ、

「セドリックに対して怒る理由は、何もないですよ。」

と、アシアは軽くため息をつくと首を横に振り、

「怒るとすれば、ノアに対してです。」

と、否定する。

 しかしすぐに、そうですね、と言葉を続け、

「セドリックに怒る理由をあえて言うとすれば、今、僕との約束を違えたことです。さっき、今まで通り普通に話してくださいって、お願いしましたよね。」

にこり、とセドリックに向けて微笑うその表情には、若干の怒りと何故か淋しさが混ざっているように見えた。

 アシアはいつも「にこやか」だが、注意深く観察すれば、その中に微かに彼の感情が混ざっているのが、なんとなくではあるがセドリックは解ってきたように思う。

「悪りぃ。アシアのご不興を買ったのかと思って、つい。」

 それとも、彼がセドリックに対して、理由はわからないが感情を表すようになってきたのか。感情を表出する相手として、自分は導師である彼から気に入られている、もしくは何故か懐かれている、と受け取ってもいいのだろうか、と不遜な感情がわきあがってくる。

「じゃぁ、ソレはアシアの師である導師様の所有物なのか?アシアのモノではなく?」

 セドリックのその問いにアシアはうなずき、

「現王から2代前のオウカ国の国王から賜ったと聞いています。ノアも僕も人の階級には興味はありませんし、重要性も感じていません。だから、ノアもこれを賜ったからといって、重宝がることも家宝とすることもなく、普通の外套としてすぐに使っていたようですし。」

ほら、とアシアがその布を広げて見せると確かに色褪せ、薄汚れており、綻びやほつれ、小さな穴が所々にあって、くたびれ感は否めない。

「でも、さすがに質の良い布を使っているようで、100年以上は経つのにまだ今回のように使えます。ただ、このエンブレムの刺繍が施されていなければ、さらに使い勝手は良かったのですが。」

 悪びれ感のないアシアのその言に、セドリックは再び窘める言葉を思わず放ちそうになったが、さすがに今度はそれを堪えた。

 アシアにとっては、導師にとっては先ほどアシアが言ったように、階級などはまったく頓着しないのだ。王族も貴族も商人も農民も誰もが、彼ら導師の中では等しく「この世界に住まう『人』」でしかない。階級に拘るのはここに生きる自分たち、『人』だからだ。導師と人とでは価値観がそもそも違うと、セドリックはアシアとの会話の中でそう感じた。だから、アシアに対してそのことについて窘めるという自分の行為は、おこがましいということも、なんとなく理解できた。

 そうは言っても、ディフは先ほどアシアが否定したように導師ではない。彼は階級のある世界の中で生きている『人』だ。その彼が導師であるアシアに対して、またオウカ国のエンブレムの刺繍が施された外套を、夜着代わりに使わせてもらっていることに、恐れも怯えも覚えず、慄きもせず、それを持参しているアシアにただ単純な信頼だけを寄せているように見えるのは、何故か。

 それは、

「ディフは、その布の意味するところを知らない、のか。」

セドリックのその言葉にアシアはうなずき、

「彼は、教育を何も受けていませんから。」

「『導師』が何を意味するかも?」

そうです、とアシアは答える。

「そもそも、僕が導師であるということを言葉にして明らかに伝えたのは、先刻ですし。」

 セドリックは勢い良くアシアへと振り向くと、

「さっき、俺に見せ付けたアレが、ディフへも初めてだったってことかっ?」

驚きで声がついつい大きくなってしまい、セドリックは慌てて自分の膝の上で寝ているディフを見遣るが、彼は身じろぎせず変わらず小さな寝息を立てていた。

「まさか。」

 アシアは静かな笑いで否定する。

「ここまで来る間、野宿もしましたから、幾度となく水を出したり火を熾したりしていましたよ。ディフは最初、それを不思議そうに見て色々と訊いてきましたし、訊かれる事に僕は丁寧に答えたつもりだったのですが。」

 そこでいったん言葉を区切ったアシアへ、セドリックは、それで、とその先を促す。先を促されたアシアは、少し言いにくそうに口ごもりながら、

「彼の理解の範疇に入りきらなかったようで、途中からそういうものなんだと、納得できないことに納得してしまったようですね。」

追い追い、理解できるようになるだろうとも思ったので、と言い訳がましく付け加え、苦笑いを浮かべた。

 アシアのその言い訳じみた答えに、本日何度目かの呆れたような小さなため息を、セドリックは落とす。

 しかし、アシアの取る不思議な行動や現象に対して、知識がなく真っ白な状態のディフだったから、アシアへの拒否感が生まれず、また納得できない自分が未熟だから、と彼はアシアを全面的に受け入れたのだろうか。

 否。それだけではないだろう。それだと知識がない者の皆が、導師を恐れず受け入れることになってしまう。彼が、自分が導師だと語ったとき、一瞬にしてその場の者を飲み込むような、恐れ、畏れが支配した。ソレは知識があるなしではなく、本能が拒否する気配だった。

 では何故、ディフはアシアに対して恐怖心を抱くことなく、共にこの地まで来ることができたのか。それはディフが、「アシアに買われた子ども」といった強弱の関係の理由でだけではなく、あの宿屋でアシアがセドリックに対して、ディフとの関係を親子だと肯定した場面の、ディフが見せたあのときの表情が、彼のアシアへ持つ感情をすべて物語っているのではないだろうか。

「この辺りは、家畜を放牧する場所なんですね。」

 アシアが斜め前を向き見遣る方向には、いつしかヤギや牛などの家畜が数頭、暢気に草を食んでいる風景があった。放牧地に着いたということは、セドリックの自宅までもうすぐそこだ。

「あぁ。もう少し先は広大な畑になっていて、その先に居住地が点在するんだ。」

 そうセドリックが言う傍から、荷馬車は放牧地を過ぎ、畑の間のくねっている道をゆっくりと進んで行く。その畑には村人達が幾人か作業をしており、彼らはセドリックを視認すると手を振り、挨拶をしてくる。セドリックもそれに答えながら、彼の家族の待つ自宅へアシアとディフを招き入れるため、帰路についた。

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