第10話

 大木のそびえ立つ休憩場所から村へと続くなだらかな坂道を少し登ると丘の頂上になり、そこから村に向かっての景色が一望できる。

 丘の上から見える景色は、村に向かって左手、西の方向は隣国との境になる山々が連なり、その裾野は森に覆われている。森は山の裾野より北から東方向へと広がっており、森から少し離れたところに村の居住地が確認できた。

 大木を過ぎた辺りから村に向かって進むごとに、少しずつ空気が変わっていく。あの大木を村の入り口だと言われている意味が、アシアはなんとなく解った。空気というより、気が少しずつ気持ちの良いものに変化していっているのだ。

「気持ちの良いところですね。」

 と言うアシアの言葉に、

「そうだろう。この辺り、村の周辺は他のところより特段空気が澄んでいて、気持ちが良いんだ。」

セドリックはそのように自慢気に返答するが、アシアの意図することを理解しているのか、その返答内容では定かではない。が、アシアの言う意味が本当に理解していようがいまいが、彼がこの土地に愛着があることは間違いはない。

 お腹も満たされ、荷馬車の心地よい揺れと、気持ちの良い気とそよ風と、早朝からの出発とここまでの間のさまざまな出来事による疲れが重なり、ディフはセドリックの隣でうつらうつらとしだした。

「村まではもう少し先だし、寝ても良いんだぞ。」

 と、セドリックが眠そうに目をこするディフに声をかける。そのたびにディフは首を横に振り眠気と戦っていたが、とうとう眠気に勝てずセドリックにもたれかかるように身体を預けてきた。セドリックは彼が自分に寄りかかってきたタイミングで彼の身体を引き寄せると、その頭を自分の膝の上に置く形で上半身を横に倒す。

 それに対してディフは少し身じろぎ若干の抵抗を見せたが、セドリックがゆっくりと優しくディフの黒髪を撫でると、その心地よさと襲ってくる眠気に抗えず、そのまま膝の上で小さな寝息を立て始めた。

「手綱を捌くのに、邪魔になりませんか?」

 僕が抱っこしますけど、と申し訳なさそうに申し出るアシアにセドリックは、気にするな、と答える。

「子どもが小さかった時はこれが普通だったからな。しかも両隣り、ふたりともが同時に寝るんだ。」

 足が痺れて大変だった、と思い出し笑いをする。

 その話の内容から、セドリックには子どもが隣国の村へ嫁いで行った娘ひとりだけでなく、もうひとりいるように受け取れ、

「娘さん以外にも、お子さんが?」

と、アシアはそう問いかけた。

 その問いかけにセドリックはうなずき、

「息子がひとりいる。18歳になった先月、独り立ちさせるために家を追い出したばかりだ。追い出したと言っても、近くに居を構えて、ウチの畑や家畜の世話の手伝いに毎日来ているし、そのついでと言って、毎夕食、食べて帰っているがな。」

そのうち、いつか結婚でもすれば寄り付かなくなるだろう、と苦笑した。

 セドリックの話から、現在は妻との二人暮しだが、彼はもともと妻と娘、息子の4人家族で、娘は2年前の17の歳に隣国の村に嫁ぎ、現在そこにはもうすぐ1歳になる孫もいるようだ。

 村長の拝命は5年ほど前、セドリックが30代半ばくらいに前任者から急に話を持ちかけられたと言い、

「長老と話し合って決めた、と言われてな。お前が適任だ、と当時の村長と長老とで頼み込まれに家まで来られたら、断るわけにはいかないだろう。まぁ、20歳を越えた辺りから、何故だか解らないが当時の村長の相談役や何かの際の村長代理を務めていたからなぁ。誰もそのことに関して異を唱えなかったし。でもって、まったく解らない仕事内容でもなかったし。」

人の世話を焼くのは嫌いじゃないしな、と人懐こい笑顔を見せる。

 人好きされる人柄だからだ、とアシアは彼との話を聞きながらそう思う。宿屋のときもそうだった。あの場に居合わせた全員と知り合いかと思ってしまうほど、誰からも彼は親しげに話しかけられていたし、彼からも積極的に話しかけていた。

 その分、得られる情報量も多いだろう。情報量が多くなればなるほど、次に打つ手の選択肢が増え、また誰よりも一歩早く動ける。長老たちからは、そこを見込まれてのことなのだろう。

「ところで、ひとつ訊いていいか?」

 答え難かったらいいんだが、と遠慮がちなセドリックの改まった問いかけに、どうぞ、とアシアはうなずく。なんとなく、彼の訊きたいことはわかっている。

 アシアから促され、セドリックは少し緊張した面持ちでひと呼吸置いた。そして、

「ディフは、」

と、ディフの名を口にしたとたん、アシアは全部を言わせることなく、

「人の子です。」

導師ではありません、と即座に返答した。

 アシアがディフと一緒に旅をしてきたこの間、彼からは導師候補の片鱗は一切見受けられなかった。そのことから彼は導師ではなく、このまま箱庭の住人として生を全うする可能性が高いと踏んでいるが、アシアが名を与えたことで彼が今後、どのように変化するかは予測はつかない。

 なぜなら、アシアはディフとの縁は偶然ではなく、必然ではないかと思っている。

「城下街で僕に声をかけてきた男性に、僕がこの子の保護者になることを申し出て、了承を得たので彼を引き取りました。」

 ディフとの出会いの経緯をそのように話すアシアへ、

「・・・貧困街で売人から、だろ?で、金は払ったのか?」

と、セドリックはオブラートに包まずに更に問いを重ねてくる。

 それへアシアはうなずきながら、

「今までの養育費、と称して、幾らかお支払いしました。」

にこり、と微笑う。

 導師であるアシアが、各国の人身売買への禁止する法律や条例、それに伴う懲罰について知らないはずがない。それなのに、悪びれなく返ってきた内容に、セドリックは呆れたような小さなため息をつく。

「それは人身売買だと、俺は思うんだが。」

 そう言葉を返すが、彼がディフを買わざるを得ない状況だったのだろうとも想像できる。

「彼を引き取った時の彼の名は、『ノィナ』でした。」

 アシアの少し目を伏せ、呟くように落としたその内容に、セドリックは驚いたようにアシアへと振り向いた。

「親戚だと名乗る養親に育てられていたようです。彼の両親は彼が物心つく前に他界したと、その養親から聞いて育ってきています。養親からつけられた名前が『ノィナ』だったようで、彼は彼の両親がつけた彼自身の名を知りません。」

 あぁ、そういうことか、と今朝の出立前の、ディフのセドリックへ一瞬見せた怯えに得心する。育てている子どもに『名無し』とつける養親が、良い育ての親であるはずがない。セドリックが頭を撫でようと伸ばした手に怯えを見せたアレは、やはり虐げられて育てられてきた証拠だった。

「養親は以前からの悪政で貧困だったところに、この飢饉で更に食べる物に困り果て、彼を捨てたようです。」

「捨てた?売った、ではなく?」

「売れるほどの商品ではなかった、ということです。」

 アシアは初めてディフと出会った時の、彼の様子を思い出す。手足は枯れ木のように細いのに下腹部は少し出ており、立っているのがやっとといったような、いかにも栄養失調状態の精気をなくした、泣きも笑いもしない、感情を失くした子ども。

「彼を拾った男性は、それでも彼が売り物になるかと思っていたようですが、結局は引き取り手が見つからず、男性からも捨てられようとしていたので、僕が保護者として名乗りをあげました。」

 あのまま見捨てることができず、拾ってしまった命。アシアは法を侵してまでして、ディフを買ってしまった。

 アシアから聞く、セドリックの膝に頭を預け無防備に寝入っている子どもとの経緯に、そうか、とセドリックは黙り込んでしまう。

「あの国では、珍しいことではないでしょう。飢饉から以降、あれが日常の風景ではないでしょうか。その中で僕と出会ったことは、少なくともディフにとっては運が良かった、といえなくもないでしょう。」

 とはいえ、僕との出会いが必ずしも運が良いとも限りませんけどね、とアシアは知らず自嘲した笑みを浮かべた。

 本来なら立ち寄る予定ではなかった国。

 ライカ国を出発して風の力を使い、オウカ国へ真っ直ぐ帰るはずだった。師の使いの途中で寄り道など、今までしたことがなかったのに。

 師の使いの内容も、アシアにしてみればくだらないものだ。急ぎのモノでもなく、ノアの時間が空いた時に、彼女自らがライカ国に住まう馴染みの導師へ訊ねに行けば良いような内容だった。

 アシアは自分がこの状況に置かれていることが、何かの意図が働いているようにしか思えないのだ。

 ゆえに、ディフとの出会いは必然だと思えてくる。

 もしかしたら、セドリックとの出会いも、何かの意志が働いた結果かもしれない。

 創造主の意図が、このような瑣末なところにまで働いているとは考えにくいのだが、そのような疑心をいちど覚えると、どれもこれもが疑わしく思えてくる。

 しかし、それに囚われてしまうと、今後、どの選択肢を選んでもすべて自分が選んだものではなく、創造主によって選ばされた、と考えてしまいそうだ。そうなれば、一歩を踏み出すことに躊躇ってしまうだろう。

 アシアは軽く頭を振り、その考えの執着を振り払った。

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