第6話

 見上げた空にはまだいくつかの星が輝き、早起きの鳥たちもまだ寝静まっている、夜も明けきらぬ、未明。

 宿の扉を開けて出てきたアシアとディフは、宿前に停まっている荷馬車に静かに近づいていった。

「おっ、ちゃんと起きられたな。」

と、荷台にもたれかかりふたりを待っていたセドリックは、人懐っこい笑顔でふたりを出迎える。

 ディフはアシアに拾われる前は、夜明け前から火熾し、水汲み、農作業の準備等、養親よりも早くに働き始めるのが日課だった。なので、ディフにとって今の時間帯の起床は特に苦にはならない。

 特に眠たそうな表情でもなくはっきりとした言葉で、おはようございます、と挨拶をしながら近づいてきたディフの髪をセドリックは、えらいぞ、と言いながら撫でようと手を伸ばした。と、ディフはほんのわずかだが怯えたようにびくり、と身体を固めてしまった。思ってもいなかったその反応にセドリックは伸ばした手を一瞬止めたが、それでもそのままゆっくりと伸ばし、えらいえらい、と笑顔で彼の黒髪をくしゃりと優しくなでる。

「よろしくお願いします。」

と、ディフの後ろから近づき挨拶してきたアシアへ、セドリックはすぐに出発する旨を告げると御者台に乗り込み、アシアとディフに御者台の、自分の両隣に座るように示した。

 国境沿いとは言え、出入国管理所まではここから馬車で半日ほどかかる。セドリック曰く、出入国管理所には隣接するお互いの国の役人が有事の際に備えて複数人詰めており、普段なら何も見咎められることなく通り過ぎるだけの場所であったのが、こちらからの出国時は今まで通り普通に通れるものの、セドリックの村がある隣国への入国に関してはここ最近、入国審査をするようになったようだ。

「あんたら、この国を横断してきたんだろ?・・・酷かったんじゃないか?」

 飢饉のことを言っているのか、それとも以前からはびこっている政治の怠慢を言っているのか。

「そうですね、どこの村も、どの人も困っているように見えました。」

 少し濁した内容でセドリックへ返すアシアの言葉に、

「この辺りはまだ作物が採れたからマシなんだが、中央に近いほど収穫は壊滅状態だったらしい。噂では人死にも出始めていると聞いている。こういう時は弱いところにしわ寄せが行くんだ。子どもとか、年寄りとか、病人とか。」

と、苛立ちを見せた。

 そういえば昨夜、彼はこの国に嫁いだ娘のところへ支援物資を届けたと言っていた。家族の窮状を身をもって知っている、しかし彼自身の力ではできる範囲も決まっている。その、どこにも持っていくことのできない怒りが見え隠れしているように思えた。

 そして、これらの言葉を聞いているセドリックの向こう側に座っているディフの表情は、アシアからは見えない。彼もこの国に住む弱者であり、そのしわ寄せをその身をもって経験した当人だ。どのような思いでこの会話を聞いているのだろうか。

 出入国管理所に近づくにつれ、まだ昼にはいくらもある時間帯にもかかわらず、歩いている人や馬上の人、荷馬車などが少しずつ増えだしてきた。それらが増えてくるにつれ、セドリックは荷馬車のスピードを緩め、周りのスピードに合わせていく。

「入国審査をするようになって、込み合うようになったんだ。宿屋を早く出て、正解だったな。」

 アシアたちが乗っている荷馬車で追い越していく徒歩で移動の人たちは、大人だけではなく、どちらかと言えば子ども連れが多いように見える。一様に、着ているものは襤褸に近く、疲れ切っているのか進める足取りも、鉛でも足首に着けているのではないかと思えるくらい引きずるような、とても重いものに見えた。反対に、馬や馬車、荷馬車で移動している者は大人ばかりで、行商風な者が多く見受けられる。そして、国境へ近づくほど街道沿いに、徒歩での移動の人たちが座り込んでいる姿が増えていった。

「多分、入国拒否されたんだろう。」

 前を向いたまま、セドリックがぽつりと呟く。

 行くに行けず、かといって帰るに帰れず。街道沿いから外れた森には、人を襲う危険な動物も生息している。また、盗賊も増えており、治安も悪くなっていっている。この周辺なら、出入国管理所には役人が詰めており、また、親切な行商人が食べ物を分け与えてくれることもあり、自然と行き場のない人々が増えてきているとのことだった。

「ここら辺りもこれ以上増えると、そのうち取り締まりがきつくなるだろうな。」

 セドリックの言葉に、そうなれば、この人たちはどこへ行くのだろう、とアシアは思いを馳せる。取り締まりがきつくなるということは、この現状が施政者の耳に届いているということであり、この現状が改善される一端になるのだろうか。それともこの国の施政者は自分たちの享楽に夢中で、耳に届くこの現状に目を向けないか。

「まぁ、前王からこの国の評判は良くなかったからな。その前王の息子が継いでからますます拍車がかかってはいるが。・・・だから、この国の者に嫁いで行くのは反対だったんだ。」

 ご心配ですよね、とアシアが漏らした言葉に、仕方がないんだがな、と諦め顔でセドリックは肩をすくめた。

 いつものように、風の力を使いオウカ国へ戻っていたなら、知ることがなかった現状。見聞きで知ったことと実際に目の当たりにすることでは、こんなにも情報の重みが違う。

「次の者。」

 遅々としてではあったが、アシアたちに入国審査の順番が回ってきたようで、役人が手招きをしていた。手招きされ、進めていった先に居た役人はセドリックと知り合いだったらしく、荷馬車の御者を視認すると、なんだセディか、とその場の雰囲気が柔らかくなった。

「えらく、大変になってきているな。」

と、セドリックは自分たちの遥か後方まで並んでいる人や荷馬車を御者台から振り返りながら、知り合いらしき役人へねぎらいと宿屋から仕入れたのであろう酒瓶を手渡す。

「娘んちの帰りか?セディも大変だな。」

と、気安い会話を繰り広げながらそのまま通過となるのか、と思ったのだが。

「ところでアンタは、見かけたことがない顔だな。」

 アシアの顔をまじまじと見、

「・・・子どももいるのか?」

役人の立ち位置からだとセドリックの身体に隠れてしまっていたディフを確認したとたん、役人たちの空気が張り詰めた。

 俺の知人で、と言いかけたセドリックを役人は手で制し、

「仕事なんだ。悪ぃな、セディ。」

アンタがその子どもの親か?と口調が詰問調へと変化する。

 そういえば行くも帰ることもできず、街道沿いに留まっていた人たちは子連れが多かったな、とアシアは思い返した。そしてセドリックが、弱い者へしわ寄せが行く、と先ほど嘆いていたことも思い出す。それは、弱い者はこの国ではなす術もなく流されるだけとなるため、生きながらえることができるかもしれない隣国へ逃げよう、と考えるからだろう。特に子どもには希望を持たせたいと思うのが、親心だ。

 しかし、弱い者に逃げ込まれる国としては、数人単位なら目を瞑ることはできるだろうが、その数が膨らめば膨らむほど財政が圧迫される。本来なら元凶であるその国がすべきことを、何故自国の税で施さなければならないのか、国民からも施政者からも不満が出てくるのは当然のことと思えた。その結果がこの入国審査だ。

「この子の保護者は僕です。」

 アシアたちの服装は襤褸ではない。薄汚れてはいるものの、旅をする者の一般的な服装だ。しかし、子連れ、ということで難民なのではないかと、隣国の役人から警戒されているのだと気づく。

 どこから来て、どこへ行くのかの彼らの問いに、

「ライカ国での用事を済ませ、オウカ国へ戻るところです。」

いつもの調子で、ふわりとした笑顔を浮かべてアシアは答えた。が、そのアシアの応対が、役人たちの警戒心のどこかに引っかかったらしい。

 そういえばもう少し緊張するのが自然だったか、と思ったが遅かった。

「荷物を検める。」

と、荷台に置いてあるアシアの革のカバンを乱暴に取り出し、彼らはアシアの許可を得ずに中身を探り始めた。

 しばらく彼らは探っていたが、何かを見つけたのか突然その手が止まり、お互いが顔を見合わせた。そして、そのうちのひとりの役人が慌ててカウンター向こうの、事務所奥に控えている彼らの上官らしき人物のところへ駆けていった。

「アシア。」

 彼らのただならないその様子に恐怖心が湧いたのか、ディフが不安気そうな心細そうな表情を浮かべ、小さな声でアシアの名を呼んだ。

 ディフのその様子から、アシアは彼を自分のそばに呼び寄せようか、と思ったが、アシアの荷物を抱え、緊張しているのか硬い表情となった役人がアシアのそばに立っているため、彼のそばも不安が増すかもしれない、と逡巡していたその合間。上官らしき人物へ報告に行っていた役人がその人物と共に足早に戻ってきた。

「御足労をおかけし申し訳ありませんが、その荷を持ってご同行をお願いできますか。」

 役人と共に来たその上官は、慇懃な態度でアシアに話しかけてくる。セドリックの知り合いらしき役人たちは、緊張のせいか顔色が無くなっていた。

 彼らのその態度から、アレを見つけられてしまったのだ、とアシアは確信した。アシアの師が、アシアが師の使いのための今回の旅路に出る前に、アシアへ無理やり持たせたモノ。階級にモノを言わせることは非とするのがアシアの信念なのだが。

 しかしここでゴネたりするのは、彼ら役人たちの心痛が増すだけだ。そう考え、

「わかりました。」

素直に応じ、アシアは御者台から降りた。そしてこの流れに混乱しているセドリックへ、

「申し訳ありませんが、ディフを頼みます。」

と言い、不安と恐怖がない交ぜになったような表情のディフへ、

「用事を済ませてすぐに戻ってきますね。」

心配いりませんから、といつもの笑顔で伝えた。そして上官に促され先導され、カウンター奥へ入っていく。役人のひとりはアシアの荷物を大事そうに抱え、そのあとを追っていった。

 残った役人たちはアシアたちを見送った後、セドリックに荷馬車を端に寄せるよう指示しただけで彼らには何も経過の説明をすることなく、つかえている入国審査待ちの長い行列をさばき始めた。

「なんなんだ?どうなってんだ?」

 混乱した思考のままセドリックはそう口走り、知人の役人へ何があったのか説明を求めるも、彼は硬い表情のまま首を横に振り、

「今は無理だ。日を改めてだ。」

その時はお前の奢りだからな、と若干怒りを滲ませ自分の持ち場へ戻っていった。

「アシア。」

 訳も分からないまま、いきなり置いていかれてしまった小さな子どもが、セドリックの隣で連れていかれてしまった者の名を呼ぶ。その声は微かに震えていた。

 それは、置いて行かれた怖さもあるが、軽武装であるとはいえ武装した役人に、自分の保護者を名乗る者が連れて行かれてしまったといった、恐怖からだろう。

 アシアが何者なのか、何がどうなってこのような事態になってしまったのか。

 セドリックの頭に、宿屋でアシアたちを初めて見かけた時の、彼らへ浮かべた疑念が再び顔を出した。

 彼らを見た時に浮かんだ、『人身売買』の4文字。

 そう。疑ったから彼らに近づいた。これら一連の騒動はやはり、人身売買に絡んだことだったのだろうか。しかし、その割りには上官のアシアへの態度はかなり丁寧だった。丁寧すぎるほどに。

 が、それらの真偽の詮索よりも今はこの子どもへの対応が先決だと、セドリックがディフの小さな身体を引き寄せた。

 そうでなくとも連れて行かれた自称保護者の彼から、ディフを頼まれている。

「大丈夫。大丈夫だから。」

 宥めるようにセドリックがかけた声が届いているのか、いないのか。彼の微かな震えは、アシアが戻ってくるまで止まることはなかった。

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