第1章
第5話
「兄さんら、旅人かい?どこまで行くんだ?」
馬を手に入れオウカ国へと出発し、休み休みで3週間ほど街道を走らせ、ようやくこの国と隣国との境にある村にたどり着いた。
陽が暮れるまではまだいくばくかあるが、国境を越えた先、すぐに宿がある村が見つかる保証はない。ここ2日の旅路は、村はあったが宿がなく野宿だった。また王都からここまでの間、たとえ宿があったとしても、村によっては旅人を泊めることができるような代物でないところも少なからずあり、野宿せざるを得ないこともあった。アシア一人旅であれば野宿が続くことも苦にならないが、今回はディフが一緒だ。彼の体力を鑑みて、アシアは無理をせず泊まることができるのなら今夜はこの村で宿を取り、早めに休むことにした。
国境が近いせいか、今まで泊まってきた宿屋より賑わいがあり、旅人が多く見られる。繁盛、とまではいかないが、それでもその宿屋の1階の、食事処のテーブルの半分は陽が高いうちにもかかわらず、すでに埋まっていた。眺めてみると行商人が大半を占めているが、いで立ちからどのような職業なのかわからない人たちも混ざっている。
2階の部屋を取り、食事に、と1階へ降りてきた時に、職業不詳のうちの一人の、がっちりとした体格で日焼けをした、金髪を五分刈りにした、歳の頃は40歳前後と思しき中年の男からアシアたちは声をかけられた。
アシアは特に目立った、身体的に何か特徴があるわけではないのに、人から声をかけられやすい。白金色の髪のせいかと思い、人目につくところに出るときはフードを目深に被っているが、それでも今のように声をかけられることが多かった。アシアの師も街を歩いていると、導師だと知らないにもかかわらずよく声をかけられる、と言っていたが、彼らは直感で『導師』を見抜いているのではないかと思ってしまう。箱庭の人々とは違う魂魄ゆえの異質な者だからかだろうか。
それがアシアにとっては煩わしかった。人嫌いではないが、人好きでもない。あれこれ詮索され、どのように答えようかと思案している時間が他人にとって長いのか、いつの間にか無口、愛想がないといったレッテルが会話の中で貼られていることが多かった。それに反し、師である彼女は人と会話をすることが楽しそうだった。歯に衣着せぬ物言いが多いはずだが、歳の功の豊富な知識と培われてきた会話術でアシアが見る限り、いつも人の輪の中心にいた。
「オウカ国までの、長旅です。」
フードを剥ぎ、ディフを促して先に近くのテーブルに着かせ、アシアがその男の対応をする。
「親子かい?」
と先にテーブルに着いたディフを視線で示しながら訊かれ、
「そうです。」
するり、と即答していた。アシアのその声を聞いたディフは一瞬軽く目を見開いたが、少し照れたような嬉しそうな表情を見せた。
男はアシアとディフを見比べながら、まったく旦那と似てねぇなぁ、と言うが、
「彼は母親似、なんです。」
とも、答える。
それはそうだろう。白金色の髪に琥珀色の瞳の大人と、黒髪と黒と見紛うほど深い藍色の瞳の子どもとの組み合わせだ。血のつながりがあるようには見えないだろう。
しかしながら、「母親似」というのも嘘ではない。ディフは母親にも父親にも似ているだろうから。
アシアの答えに男は、ふぅん、と納得していないような返事をするが、すぐにそのことに関して興味が逸れたのか、それよりも、と、
「子連れの旅は大変だろう。見た限りあんたら馬もなさそうだが、まさか歩いてオウカ国まで行くつもりじゃないだろうな。」
その問いに対してはアシアは特に答えず、いつものふわりとした笑みで返したあと、ディフが待っているテーブルに着いた。
これまでの道中もそうだったように、馬はこの村に入る前に放した。その理由としては、この国のたいていの村は、アシアが安心して預けることができる馬小屋を持っていないことと、馬もアシア以外の者に世話をされるのを拒んでいたからだ。
放された馬は村近くの森や林に入り込んでしまうが、そのまま逃げてしまうのではなく、アシアたちが村から出てくるとどこからともなくアシアたちの前に戻ってきていた。
それを不思議だと、アシアへ訊ねるディフへ、
「『彼』が僕たちをオウカ国まで、責任をもって連れて行ってくれるという約束のもとに、僕は『彼』を仲間にしましたから。」
『彼』の名前はガイと言うそうですよ、と、特に不思議なことではないと答えた。
アシアはディフからすれば、とても不思議なことをさも当然のことのように話すことが多々ある。ディフはアシアとの約束通り解らないことは色々と訊いてみるが、返ってくる答えもよく理解できないことが多い。やり取りを繰り返せば繰り返すほど、頭の中がこんがらがってしまうため、途中で黙ってしまうこともあり、出立して3週間が経つもののふたりの間にはまだぎこちなさが残っていた。
そもそもアシアはあまり口数は多くない。どちらかと言えば無口だ。ディフもアシアとその点はとても似通っている。
それにディフにとって自分の村から出るのは初めてのことであり、見るもの、聞くもの、食べるもの、通り過ぎるものすべてが物珍しく、アシアが返してくれる答えの咀嚼よりも、目に耳に口に随時飛び込んでくるそれらの情報に気が散ってしまうのも、仕方がないことだった。
それでも当初はアシアにだけ従順であり、ディフに対しては鼻であしらっていた馬も、ディフがアシアから聞いたとおり『彼』の名だという、ガイ、と呼び掛けたとたん、従順な態度へと変化したその様子を目の当たりで体験したことで、アシアの話す内容は理解できずとも飲み込むべきだと思うようになった。理解できないのは自分がまだ幼く経験が少ないためであり、経験を重ね、歳を重ねるとともに理解できるようになるだろう、との考えに至っていた。
「ちょっと、耳寄りな情報なんだけどな。」
男はアシアに軽くあしらわれたにもかかわらず、挫けずに図々しくも空いている椅子をアシアの隣に持ってくるとそこに座り、
「国境を越えた先にある俺の村まで、ふたりとも運んでやるよ。もちろん、金は貰うがな。」
安くしとくよ、と商売の話を持ちかけてきた。
態度は図々しくもあるが、彼は人好きされる雰囲気をまとっており、ニッ、と笑うその表情からも彼の人懐っこさがうかがえた。この雰囲気を持っている彼の周りには常に人が寄ってくるだろうし、また友人、知人も多いだろう。
その証拠にアシアに話しかけている最中にも、彼のそばを通りすぎる男女問わずから、気軽く声をかけられていた。
そのような彼からの持ちかけ話に少し首をかしげたアシアへ、
「実は、ここから少し先の村に俺の娘が嫁いでいてな。少し困っていそうなので、俺の村から食料を運んで行ったんだ。明日、空の荷馬車で帰るのももったいなくてさ。で、アンタ達を運ぶと、ちょっとした小遣い稼ぎになるだろ。」
その理由を話してくる。
そして、それに、と少し声を潜め、
「最近、この国から俺の住んでいる国へ出て行く人が増えてきててさ。まぁ、いわば難民なんだが。こちらから出国する分には大丈夫なんだが、そのせいで俺の国の出入国管理所がこちらから入国する者に対してピリピリしている。以前のように審査なく、簡単に入れなくなっているぞ。」
男は、自分は村が国境沿いにあるため生まれた時からよくこの国に出入りしており、両国の出入国管理所の役人と旧知の仲だとのことだった。
「まぁ、アンタ達は見たところ、難民っぽくないし、普通に旅人に見えるから大丈夫だと思うが。それでも、分からないからな。」
俺と一緒だと煩わしい事柄が起きることなくスムーズに入国できるだろう、と、運賃代プラス保険料でひとり3でどうだ、と身を乗り出しながら交渉してきた。
「そう、ですね。」
男の提案にアシアは少し思案する。確かに一見、アシアたちに移動のための馬はないように見えるが、実際はガイがいるので今後の旅に不便はない。しかし役人たちといらぬ揉め事は起こさない方が良いだろう。アシアにその意図ではなかったとはいえ、ディフをあの男から買っている。
そのように考え、
「では、お願いしましょうか。」
それを受け入れた。
「よしっ、交渉成立ってことで。」
男はセドリックと名乗り、代金は男の村に着いてから支払うことで話はつく。
「僕はアシアです。彼はディフ。」
アシアがセドリックから差し出された握手を受けながら、自分たちの自己紹介をする段階で、ディフが小さな声でアシアの名を呼んだ。
「アシア、あの。・・・ガイはどうするんですか?」
この村に入る前に別れた旅の相棒。彼を置いて行くのだろうかと、ディフは心配顔になる。
「なんだ?連れがまだいるのか?」
ディフの口から漏れ聞こえた『ガイ』という単語に、セドリックはもうひとり、連れがいると思ったらしい。
「アシアとディフのふたりなら、俺と一緒に御者台でいけるが、3人だとなぁ。ひとりは乗り心地最悪の荷台でいいなら、な。」
荷台分は安くしておくぞ、と3人で8の数字を出してきた。
「いえ、彼は人があまり好きではないですので、難しいですね。」
アシアはセドリックの小気味良い交渉言葉に苦笑しながら、
「ガイには僕から、行く先で落ち合うよう話しておきます。なので大丈夫ですよ。」
と、心配顔のディフへ返し、セドリックへは先ほどの交渉内容の変更はない旨を伝えた。
セドリックはアシアの返答に、そりゃ、残念だ、と少し大仰に惜しがる。その様子は茶目っ気があり、不快な印象を与えない。彼の特性というべきところだろうか。
アシアは惜しがっているセドリックへ、苦笑を浮かべたまま、
「では、このお店のお勧め料理を教えて頂けますか?それをご馳走しますので、ご一緒しませんか?」
と、思ってもみず夕食に誘っていた。
その言葉にディフが少し驚いた顔をしたが、誘ってしまったアシア自身が一番驚いている。
アシアからの言葉にセドリックは一瞬で満面の笑みとなり、お安い御用さ、と言うなり、
「おーい、大将っ。こっち、旅の途中でここに初めて寄ったんだとよっ。」
カウンターの向こうで忙しなく動く、この店の店主に大声でそう声をかける。店主はその言葉に、任しとけ、と言わんばかりに片手をあげた。
ほどなくして、テーブルに3人前以上に見える量の地元料理とアルコールが、店主手ずから運ばれてきた。それらをテーブルに並べると店主はアシアの肩をポンと叩き、
「セディにはいつも世話になっているからな。酒はサービスだ。坊主はたくさん食べてけ。」
追加がいるなら遠慮なく言ってくれ、と言い残し、カウンターへ戻っていく。
ここのこの料理、美味いぞ、とセドリックは手馴れた手つきで料理を取り分け、
「ディフ、だっけ?大将が多めに盛ってくれたんだ。たくさん食べな。」
と、ディフの前にはことさら多くの料理を取り分けた皿を置き、
「オウカ国まで先は長いぞ。体力付けないとな。」
人懐こい笑顔を向けてぐいぐいと、ディフに食べるよう薦めてきた。
セドリックのその態度にディフはちらり、とアシアをうかがうが、アシアも笑んでうなずく様子に、はい、と返事し、誰よりも先にその料理に手をつけ始めた。
ディフが食べ始めたことにセドリックは優しい笑顔を浮かべると今度は、
「アシアはこっちだ。」
と、店主が置いていった酒瓶からアシアと自分のグラスにアルコールを注ぎ、グラスを合わせ軽く鳴らす。
「明日、よろしく頼みますね。」
アシアのその言葉に、任せとけ、と笑い、二人で杯を空ける。
セドリックのおかげで、思ってもみなかった賑やかな夕食となった。
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