⑫決着
【這い寄りし影】へと近寄りながら、その長い棒を有らん限りの力を籠めて叩き付ける。無論、相手は腕を上げて弾こうと構えたが、
「…ごあああっ!?」
棒は腕を支点にして折れ曲がり、化け物の後頭部を激しく叩いた。
「…フレイルなんぞ、お前らが知ってる訳ぁないだろうよ」
棒の先に太く硬い骨を動くように縛り付けたそれは、昔使われた脱穀棒が元になった武器だ。剣だの槍だのと、刃先の鋭い武器ばかりが持て囃されるが、遠心力を生かした振り子の威力は馬鹿に出来ない。今まで打撃に無警戒だった化け物も効いたのか、ふらりと身体を揺らしながらたたらを踏んで耐えると、反撃とばかりに腕の先の爪で攻め立ててくる。
…ただ、フレイルってのは防御には向かない。振り子が生かせなければ只の棒切れだからな。
カツッ、カツンと何とか相手の攻撃を受け流していくだけで、フレイルの柄はボロボロになる。直ぐに投げ捨てると腰に提げていた次の手斧に持ち替える。もう、残された武器は多くない…結局、こうなるのは判ってたが。
振り抜き易い石の手斧を両手に持ち、化け物の乱れ打ちを何とか凌ぐ。このまま持久戦になれば、また武器は壊れてしまう…そうなる前に決着を付けなければ、俺は死んでしまう。そうなればこいつは野放しになり、ゲームどころか現実の電脳空間まで侵出してくるだろう。
…と、別行動していた義体の方が漸く目的地に着いたらしく、サーバーを幾重にも取り囲んだ防御壁を破り始める。後はタイミング次第か…。
「…さて、この辺りで終わりにするぞ」
その言葉を皮切りに、俺は最後の一手を打った。全力を引き出す為に、今まで封印してきた奥の手を解放する。
…【這い寄りし影】は獣を喰らっては取り込み、最後に人間を喰らって補完したと思ったのだろう。
だが、人間は決して最強ではない。数で勝り、武器を使って獣達を蹂躙してきただけで、単体の能力は高くない。
…だから、数百万、いや数千万年の間に培って来た能力は、獣の方が高いって事を教えてやろう。
【 強制介入・パスワード改竄・全パラメータ調整・能力コピー実行 】
無機質なプログラムを実行し、新たな能力を俺のアバターに上書きする。こんな事をすれば直ぐ運営にバレて強制退出されるに決まってる。だが、それをさせない為に義体を使って運営のサーバーに強制介入し、大量の空データを流し込んで一時的に麻痺させた。膨大なデータを流し込まれたサーバーは対応に追われ、義体を引き剥がそうとセキュリティプログラムを発動させているだろうが、電子戦特化型の義体は電脳空間内では迷彩仕様になっている為、その姿を捕捉する事は難しい筈だ。
「…お、おお…おおおおぉっ!!!」
口から言葉にならない雄叫びを
無論、黙って殴られる筈も無く、化け物は何本も腕を振りかざして俺を切り刻もうとするが、その動きは所詮、人間の範囲。お前が得たのは最強の人間の範疇に過ぎず、それ以上じゃない。
押し寄せる銀色の爪の奔流をすり抜け、滑るような足取りで俺は更に接近し、両手の手斧を猛打する。懐に飛び込まれた化け物は距離を保とうと後退るが、腕を増やし過ぎたせいでバランスを失い、機敏な動きにはならない。
「おらああぁっ!! そんなもんか!? 人間の真似で終わりかよ!!」
口から語気強く叫びながら、何度も何度も石斧を叩き付ける。傍らで見ていればきっと、さっきまで余裕で受け流していた筈の化け物が、今は防戦一方に転じていた。
左右からの連撃、そして不意を衝いての蹴りや頭突きまで織り交ぜながら、俺が次第に化け物を圧倒し始める。その全ての攻撃の幾つかは化け物の身体へと到達し、奴の体液らしき物を流させられた。但し、それだけだ。
「がふっ、ふっ…ふっ…」
相変わらず言葉を話さない【這い寄りし影】は、荒い息を吐きながら背中と肩から生やした8本の腕を揺らし、俺の手斧を捌いていく。さっきまで何度か身体を傷付けられたものの、段々と動きに無駄が無くなってきた気がする。やはり長期戦になれば…こちらが不利か。
思い切って全力で攻めるべきだな、それも出来るだけ短期で終わるように…そう考えた俺は、呼び出せる刺青の内に含まれていない、地上に於いて最も高い能力を持った生物を想像し、具現化させた。
その瞬間…単純な欲求に支配された俺は、その欲求が呼び起こす衝動に身を任せる。
目の前の【 】が俺に向かって腕を振り下ろす。それを現実には存在しない《尻尾》で軽く払い、足で踏みつける。【 】が引き戻そうと力を籠めるが…10トン近い体重の俺が爪先で踏み締めただけでブツリと千切れてしまう。
俺の両手から何か落ちるが、気にならない。どうせ持てやしないのだから。直ぐに【 】が攻撃を再開するが、発達した後ろ足の瞬発力は恐ろしい程の速さを発揮し、容易く【 】の目の前へ到達する。
そして俺は、最も激しい欲求…食欲から生じる飢餓感に
…バツンッ、という音と共に閉ざされたアゴの間から、【 】の腕が3本地面に落ちる。寸での所で避けた【 】が身体を捻りながら距離を取る。そのまま俺の死角に入ろうと横に飛び退くが…鋭い聴覚で向こうの動きを的確に捉えた俺は、大きく吼えながら一歩踏み出した。
「ごあ"あ"あ"あ"ぁっ!!!」
…人間の声帯では決して再現出来ない咆哮と共に、アゴを閉じながら頭から突進する。ただそれだけの動作で、【 】は木の葉のように宙へと舞い、地煙りを上げながら転がった。
だらり、と両腕を垂らしながら真正面を向き、【 】に向かって再び突進する。腕の半数を失った【 】は、ずるりと新しい腕を再生させると爪を密に交差させ、防御態勢を取る。
…気にせず、噛み付く。
咬合力が8トンにも及ぶ強力なアゴで、その球形に組み合わされた硬い爪を噛み砕いた。バキリッ、と硬い物を強引に潰す音を立てながら楕円形の窪みが生み出され、消え失せた箇所から黒い液体が噴出した。
ああ、そりゃそうだろうな…ティラノサウルスから見れば、人間の姿をしていようが何だろうが、そんなモノは脅威にすらならない。
…但し、そんな生き物を長く具現化させられる程、俺の身体は持たなかった。いや、正確には双方の情報誤差を補完させられる程のポテンシャルが、俺のアバターには無かったのか。
【這い寄りし影】が倒れるのと同時に、こちらも全身の力が抜け、膝から崩れ伏した。
「…な、何が起きてるのっ!?」
隣で戦いを見ていたポンコが、思わず叫んでしまう程…ヒゲさんは相手を圧倒していた。ううん、全然違う…ヒゲさんじゃない何かが、ヒゲさんの身体に乗り移って戦った感じだった。
何本も突き込まれた爪が見えない何かに払い除けられたかと思うと、軽く踏みつけただけで腕の1本が千切れ落ちた。そして、大きく一歩踏み出しただけであっという間に相手の目の前まで迫り、そして…何かが起きて、化け物の腕が3本消えた。
直ぐに腕を再生させた化け物だったけど、ヒゲさんが真っ直ぐ突進して体当たりすると、交通事故にでも遭ったみたいに軽々と弾き飛ばされて地面に転がった。見ているこっちの背筋が寒々とする位、ヒゲさんは相手を圧倒し続けたけれど…
「…ヒゲ、たおれた!」
と、ニイが叫ぶと同時に直ぐ走り出し、私も彼の背中を追う。最後は化け物の身体が何かに噛み砕かれたみたいに消え失せたけど、ヒゲさんもばったりと倒れてしまうし…一体何がどうなってんの!?
…誰かが、俺に近付いて来る。もし、【這い寄りし影】なら、俺は直ぐ殺されてしまうだろう…その位、俺は体力を消耗して動けなかった。
だが、その誰かは俺の頭の傍にしゃがみ込むと、頭を抱き抱えるようにしながら起き上がらせて、身体を支えてくれた。
「…サキか」
「ヒゲさん!! 大丈夫なの!?」
俺を起こしながらサキが顔を近付けてくる…今の今まで、こうやって彼女の顔をじっくり見た事は無かったかもしれないが…
「…なあ、ホントは元グラビアアイドルでした、ってオチなんじゃないか?」
「…は、はいぃ?」
…あ、グラビアアイドルを名前の元ネタにしてたって事は、彼女には話してなかったっけ…。
「…ヒゲ、げんきだな」
「お、おお…ニイも来てたのか…」
ボソッとニイが呟いた瞬間、隣に座ったオトがバフッと鼻息を吐いた。なら、きっとポンコも居るに違いない。
「…あっ! まだあいつ生きてるみたいよ!?」
そう思いながら何か言いかけた時、サキの声に従って首を向けてみると、【這い寄りし影】が少しづつ身体を再生させ始めていた。やはり、物理的な攻撃だけじゃ…太刀打ち出来なかったか。しかし…もう武器も何も…
「…ヒゲ、これとこれ、つかえ」
と、ニイが握り締めていた骨の小刀を差し出してくる。武器になると言えば確かにそうだが…ん? もう1つは…
「…おや、いってた。狩りにこれをつかうな、つかうとにく、くえなくなるって」
そう言って差し出したそれを見て、俺は全てを理解した。
まだ、再生半ばの【這い寄りし影】に近付くと、奴は腕の1本を少しづつ曲げ伸ばししながら確かめるように動かし、その先端から爪を徐々に形成していく途中だった。それが完了すればきっと、今の俺には歯も立たないだろう。しかし…
…トスッ、と軽い手応えと共に細く削られた骨の小刀が、奴の胸元に突き刺さる。無論、奴の身体に致命傷を負わせられる程の威力は無い。直後にドカッ、と激しい衝撃と共に俺の身体が宙を舞い、受け身も取れぬまま地面の上を暫く転がってから止まった。
「…畜生…派手に叩きやがって…俺はハエかってんだよ…」
憎まれ口を叩きながら立ち上がろうとしたが、直ぐに次の一撃が加えられ、再び地面に倒される。どうやら…向こうは簡単に殺すつもりは無いようだ。
ほぼ全ての腕が再生し終わり、爪も元通りの長さに戻っている。俺の方は…無理が祟ってろくに戦えそうにない。
…もし、【這い寄りし影】が喋れたとすれば、俺に向かって別れを告げながら、頭上に振り上げた腕に力を籠め、そして振り下ろすだろう。
「…身体も元に戻って、もう勝ったつもりだろうが…それでも俺の勝ちなんだよ…」
…だから、代わりに俺は奴に言ってやった。手の中に残された骨の小刀と、そして…注意深く栓をして何かを保存していた、空の木筒を見せながら。
「…即効性なんだよ、トリカブトの毒ってのは…」
そう告げた瞬間、【這い寄りし影】は傍目から見ても直ぐに判る程に苦しみだし、それでも俺を殺そうと腕を持ち上げていたが…やがて、崩れるように倒れ伏した。
…ニイの父親が彼に遺した唯一の形見は、骨の小刀と…狩りには使えない、猛毒のトリカブトの根を干して作った粉末だった。
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