⑨対決



 バラザムが居なくなった後、コーケン国から使者が訪れる事は無かった。後継者選びが難航しているからか、それとも他の理由があるかまでは判らないが。


 それから何も無い日々が続いたが、それまでの平凡さが嘘のように、事態は急変したのだ。



 「…ここも、いない」


 ニイを連れて罠を見て回っていたが、いつも1匹は掛かる筈の罠は、どれも空のままだった。


 「うむ、そうだな…それにしても、ウサギ1匹見当たらないってのは…妙だな」


 俺の言葉に頷きながら、ニイは鼻を動かして匂いを嗅ぎ、鼻っ面にシワを寄せた。


 「…嫌なにおい、これ…しってる」

 「…何だい、その匂いってのは」


 俺が尋ねると、ニイは表情を曇らせながら答えた。


 「…にんげん、それと…あの、ひかるぼうの…においだ」


 そう答えた瞬間、彼のうなじから後頭部の毛が逆立ち、尻尾が真っ直ぐに伸びた。


 「ひげっ!! 何かきた!!」


 そうニイが叫んだ瞬間、森の中を黒い影が走り抜け、ニイの身体目掛けて銀色の光が伸びた。


 「…くそっ、何なんだよコイツは…」


 間一髪で槍の穂先で弾き返したそれは、伸ばされた時と同じ俊敏さで戻り、影と一体になった。


 「…ニ、ゲロォ…」


 と、突然呻きじみた声を発しながら、その影はボコボコと形を人型に変わると二本の足で立ち上がり、俺達の前に立ち塞がる。だが、その身体は真っ黒で不安定のまま伸縮を繰り返している筈なのに、再びあの呻き声を漏らした。


 「…ヒゲ、ハヤク…ニ、ゲロ…」

 「おい、まさか…お前、バラザムなのか!?」


 その聞き覚えのある声に問い掛けると、相手の真っ黒な腹部に人の顔らしき形が浮かび上がり、苦悶の表情と共に警告を発してくる。


 「…カゲ…ニ、クワレタ…モウ、ナガク…ナイ…」


 それだけ告げると、顔はボコボコと形を崩し、そして代わりに頭頂部から全く見覚えの無い無表情の顔が現れる。


 「…噂の略奪者ってのは、お前か!!」


 俺の問い掛けに答えず、人型の【這い寄りし影】はぶるりと身体を震わせたかと思うと、銀色の刃を何本も形成して腕の先に突き出し、今まで出会ったどの生き物より素早い速さで切り掛かって来た。


 「…ニイッ!! 俺から離れていろ!!」


 そう叫びながらニイを突き飛ばし、繰り出される刃を纏めて槍の穂先で凪ぎ払う。勢いに任せて振り払った刃の隙間を目掛け、槍を突き出すが背中から新たな刃が生み出され、槍を寸前で弾き返した。


 不意に視界を覆い尽くす程の夥しい刃が襲い掛かり、跳び退いた場所が爆発したように抉り取られる。たった一撃の破壊力にも拘らず、まるで至近距離で砲弾が破裂したようだ…。


 「ヒゲさんっ!! 1歩下がって!!」


 突然、双方の間隙を縫ってサキの声が響き、影に向かって剛弓の一矢が飛翔する。その威力は圧倒的で、樹木の幹に突き刺さって貫いてそのまま縫い付けた。


 「いい所に来てくれた! ニイを連れて逃げてくれ!!」

 「無茶しないで!! 私も一緒に戦うから!!」


 気丈に叫ぶサキだったが、彼女の矢筒に残る矢じりの大半は黒曜石だろう。特製の物は最初の集落で貰った2本しかないから、影を相手に太刀打ち出来るか判らない。


 「必ず戻る! だから、今は下がってくれ!!」


 ずるり、と矢から身を離した影が縫い付けられていた幹から落ち、地面に降り立った。もう猶予はないか…。


 「走れ!!」

 「…もう! 自分勝手なんだから!!」


 サキが自棄になりながら叫び、ニイを抱くとそのまま走り出す。そして影が彼女の行く手に立ち塞がろうと動いた隙に、俺は背後から槍を構えて突進した。


 奴がサキを狙える間合いギリギリの所で槍を突き立てたが、返しの付いた槍が身体を突き抜けてしまい、取り戻せない。


 「…ガアアァッ!!」


 叫びとも呻きとも言い様の無い声を上げながら、影が身体を回して強引に槍の柄をへし折って向きを変える。


 「…1対1だぜ? さあ、俺を殺してみろ!!」


 残された最後の武器、オオカミ用に作ったピッケルを構えながら、影の出方を窺う。しかし、影は先程までの好戦的な動きを止め、展開していた複数の刃も収納してしまった。


 …そうして睨み合いになりながら、俺は相手の様子を見る。背中から突き抜けた槍の穂先が胸を貫いたままだが、致命傷には程遠いのか。じっとして立ったまま、身体を動かす気配は無い。


 体力を回復させようとしてるなら、今の内に攻めるべきか。そう思ってピッケルを握り締めた刹那、影はゆらりと身体を傾かせたかと思うと、姿勢を低くして走り出した。そのままこちらに来るかと思ったが、予想に反して背中を向けて逃走したのだ。


 「くそっ! 騙されたか!!」


 悔しさに思わず叫びながら後を追うと、影は見覚えのある木の根元の空洞に飛び込み、その中へと消えてしまった。


 「…こりゃあ、ポンコの使った近道じゃないか…?」


 ぽっかりと口を開いたそれは、奥に向かって傾斜し、薄明るい地下に一直線に続いている。


 「…出直すしか、無いな…」


 有効な武器が無い今、出来る事は集落に戻り装備を整えるしかない。俺は悔しさに頭を熱くさせながら、一刻も早く戻る為、全速力で走り出した。



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