107 想いが伝われば


「ゆきつき……ましろ……?」


 凛莉りりは首を傾げ、その意味を理解できずにいる。


 そんなの当たり前で。


 それでも、わたしは伝えるって決めたから。


「そう。冬の“雪”と、夜空に浮かぶ “月”と、真っ白の“真白”と書いて、雪月真白ゆきつきましろ


「い、いや……。涼奈すずなでしょ……?」


「この体の持ち主はね」


 わたしは自分の胸に手を置いて、雨月涼奈あまつきすずなの体を俯瞰する。


「でも、中身はそうじゃなくて、心の方は別人なの」


「え、えっと……」


雨月涼奈この子なんかとは全然違う。やりたいこともないし、親にも関心を持たれなかった、暗くて地味な子だった。それで、もう生きていても仕方ないと思って……自分で命を……」


 その時の記憶はあまり鮮明には覚えていない。


 おかしくなった自分のことを忘れたいのか、死の間際は曖昧なものだったのか。


 それでも、生きている意味がないと感じていたのは覚えている。


「そうして次に目が覚めたら、雨月涼奈になってたの。それがわたし」


「……ちょ、ちょっと待ってよ。仮に、仮にそうだとして、それっていつからなわけ……?」


「凛莉に出会う直前、男に絡まれている人を助ける寸前に変わったの」


「……は、はあ」


 凛莉はわたしの話を理解しようとしてくれているけれど、頭の奥には入っていない。


 それでもいい。


 少しでもわたしのことを知ってくれるなら、それでいい。


「それでね。わたしが知っているこの世界は恋愛ゲームの世界で、主人公は進藤湊で、その中のヒロインがわたしと凛莉だったの」


「……恋愛ゲーム、主人公が進藤……」


 そろそろ凛莉の目が遠くなっていく。


 理解できないというより、わたしの頭がおかしくなっていると疑っているんだと思う。


 それでも凛莉にだけは話し続ける。


「嘘と思われるのは分かってる」


「……そう、だよね。さすがに」


「でも、凛莉は嘘つかないでって言ったよね」


「言った、けど……」


「わたしはずっと嘘をついていた、でも言えなかった。こんなこと信じてもらえるわけないから、だからずっと隠そうとしてた」


 でも、それも途中で難しくなった。


 つじつまの合わないわたしの行動は、凛莉には全てバレてしまって。


 その違和感は彼女の中に降り積もり、わたしとの関係性を崩していった。


「進藤くんが主人公で、わたしたちはヒロインだから。凛莉が進藤くんに惹かれてしまうことだって有り得たんだよ」


「いや、そんなわけないと思うんだけど……」


 当然の反応。


 でも、それでいい。


 ここが恋愛ゲームの世界だとか、進藤くんが主人公だとかを信じてもらえるかはどうでも良くて。


 大事なのはわたしがどう思って、どうしてそんな行動を取っていたかだ。


「だから、他のヒロイン。ここなちゃんや金織かなおりさん、二葉ふたば先輩に、興味の対象が移るようにしたかった。わたしが進藤くんと彼女たちとよく話していたのは、そういうこと」


 それがいつの間にか、彼女たちに応援してもらって。


 わたしを変えてくれて、行動を起こすきっかけになってくれたのだけれど。


「それで、6月の誕生日は雪月真白で、8月は雨月涼奈なの。わたしは凛莉に嘘は言ってない。ぬいぐるみが好きなのもわたしの趣味で、雨月涼奈はそうじゃなかっただけ」


 かけ違いが起きた理由は、中身が変わってしまったせい。


「だから、わたしが進藤くんに近づいていたのはそれが理由。わたしと凛莉の関係を壊されたくなかったの」


 大事なのはここ。


 世界がどうとか、そんな突拍子もない話を信じてくれるかはどうでも良くて。


 それを超えて、わたしが凛莉のことをどれだけ想っていたかを伝わってくれれば、それでいい。


「じゃ、じゃあ……さっきのはなに……?」


「さっき?」


 凛莉は一つ一つわたしの言葉を汲み取りながら、残った疑問を打ち明ける。


「教室で進藤と会ってたじゃん。そこで涼奈が“わたしは出来ることなら、好きな人とずっといたいの”って言って、進藤は“分かった”って……それで二人がそういう関係になったと思ったから、あたし……」


「ちっ、ちがうって。なにそれっ」


 何でわたしから逃げるのかなと思ってたけど、そんな勘違いをしていたのか。


「わたしは凛莉のことが好きだから、凛莉とずっと一緒にいるって決めたから。だから、雨月涼奈の誕生日は祝ってくれなくていいって、進藤くんに伝えたの」


「そ、そうなんだ……」


 納得してくれたとは思わないけど、それでも頷く凛莉。


「わたしは凛莉にお祝いしてもらったからもうそれでいいの。他には誰からもいらない」


 ようやく、隠していたものをさらけ出せたと思う。


 それでも、凛莉の困惑は見るからに明らかだった。


 それを否定する気はないし、頭のおかしいヤツだと思われても仕方ない。


 だけど、わたしは凛莉に知って欲しいことを精一杯に伝えるだけだ。


「――凛莉」


 わたしは凛莉の前に歩み寄って、その両手を握る。


 信じてくれなくても、この想いは本当だと知って欲しい。


「だからね、わたしの初恋は進藤くんじゃない。それは雨月涼奈あまつきすずなの恋で、わたしのものじゃない」


「それって……」


 凛莉の揺れる瞳がわたしを映す。


 わたしはそれを真っすぐに見据える、もう視線は逸らさない。


「わたしの初恋は凛莉、あなただけ。わたしは初めて人を好きになって、ずっと凛莉と一緒にいたいと思ったの……それだけは信じて欲しい」


「……っ」


 わたしが握っていた両手を、凛莉が強く引き寄せる。


 彼女の胸元まで近づいたけど、顔を俯かせていてその意図は分からない。


「意味わかんないから、マジで。そんな話、信じられると思う?」


「……思わないよ」


 だからずっと隠していた。


「普通に考えて、あたしとの喧嘩を誤魔化すための嘘だと思うよね」


「だろうね」


 だから、こんなことを話しても何も解決しないかもしれない。


 もしかしたら凛莉の気持ちはもっと離れていくかもしれない。


 それも分かっていて、話した。


「……でもさ、誤魔化すにしては下手すぎる嘘だよね。それ」


「だよね」


 もしかしたら、本当のことを伝えるんじゃなくて、それっぽい嘘をついた方が良かったのかもしれない。


 真実を打ち明けることが、全て正しいとは限らない。


 凛莉を納得させてあげられるような、優しい嘘をつくべきだったのかもしれない。


 でも、わたしはそれすらもしたくなかった。出来なかった。


 本当のわたしを見て欲しかった。


「正直、そんな話信じられないし。何言ってんのかなって思ってるよ」


「……そうだよね」


 それが普通で。


 きっとこの関係性もここで終わるのが自然で。


 それは悲しいけれど、わたしにはどうすることも出来なくて――


「……なのに、なんでかな」


「凛莉?」


 わたしが包んでいる凛莉の両手が震えている。


「意味わかんないのに、おかしいって思ってるのに。どうしてあたし、こんなに喜んでるのかなぁ……?」


「凛莉っ……」 


「もし今言ってたことが本当ならって、安心しちゃいそうになるあたしがいる。でもね、それ以上に……」


 顔を上げた凛莉の目が潤んでいる。


「初めて名前を呼んでくれて、初恋だって言われて、ずっと一緒にいたいって言ってくれて……。それがこんなにも嬉しいんだね」


 すっ、と凛莉の頬に一筋の雫が落ちる。


「……ごめんなさい。今まで、ちゃんと言えなくて」


「あたしの方こそ、ごめん……。話し聞こうともしないで、ずっと拒絶なんかして……」


「ううん、謝らないで。おかしいのはわたしの方だから……」


 もしかしたら、全てがわたしの都合のいい妄想なのかもしれない。


 だからこんな虚構のような話を受け取ってくれなくてもいい。


「でも、この想いは本当だから、それは信じて欲しい」


 もう一歩、歩み寄る。


 それは凛莉との距離をゼロにする一歩で。


 わたしから凛莉に唇を重ねた。


 凛莉から零れ落ちていた涙が、わたしの頬を伝って、共に濡れていく。


 触れた唇が離れると、凛莉の瞳は潤んだままわたしを見据えている。


「凛莉」


「……真白」


 そうしてもう一度、キスをした。

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