83 甘いもの
「それで結局、
「……ええと」
わたしの手は結局、
この状況がまずいと思えば思うほど手汗をかいてしまう悪循環で、早く放して欲しいという感情しか湧いてこない。
食欲どころの騒ぎじゃない。
「ほら、決めないとずっと手つないだままだよ?」
「放してくれたら済む話しなんだけど……」
「さすがに食べる時は手は放すからね、選びなよ」
凛莉ちゃんは完全にわたしに決定権を委ねている。
このまま時間を過ごしても状況は悪化する一方、早急に決めないといけない。
けれど、各教室を見回したがピンとくるものはない。
テキトーにこれがいいと言うのもアリかなと思ったけど、勘のいい凛莉ちゃんにはバレてしまう気がする。
次は窓から見える校門前のお店を眺めた。
「……あっ」
「いいの見つかった?」
「まあ、強いて言うなら」
「なに、どれ」
凛莉ちゃんも一緒に窓を覗き込んでくる。
肩が触れた。
「り、凛莉ちゃん。近いって」
「手を繋いでるんだから近くて当たり前でしょ」
「体が密着するのはやりすぎでしょ」
「え、涼奈はあたしと密着いやなの……?」
「……」
ダメだ。
手汗がいつまで経っても止まりそうにない。
この人とそういう会話してたらペースを持って行かれる一方だ。
話を戻そう。
「クレープ」
「……クレープ?」
校門前に並んでいる模擬店の一つを指差す。
「女子か」
凛莉ちゃんは、おいおいと口を開けていた。
一応女子だが、何なのだ。
「……どういう意味?」
「お昼に涼奈はクレープを選ぶの?」
「選んだらダメなの?」
模擬店にあるんだからいいじゃん。
「いや、もっとこう……ご飯系じゃないの?クレープってデザートじゃん」
「お腹いっぱいになればいいでしょ」
選り好みはしない。
お腹が膨れればいい。
「いや、そもそもアレじゃお腹いっぱいにもならなくね?」
どうやら凛莉ちゃんは昼食にスイーツを食べるという選択肢が許せないみたいだ。
それならそうと最初から言って欲しい。
「そんなに言うなら凛莉ちゃんが選んでよ、別にわたし何でもいいから」
「あっ、そういうこと言ってるんじゃない」
「……凛莉ちゃん、めんどくさい」
「ああ、ごめんごめん。わかった、そうしよっ」
凛莉ちゃんに手を引かれて、玄関を目指す。
手はやっぱり放してくれない。
「クレープ一つください」
凛莉ちゃんが三年生の模擬店の受付に注文をしてくれた。
「ありがとうございます。今作りますね」
陽ざしのせいか、外は廊下よりも暑く感じる。
こんな炎天下の中、ホットプレートでクレープ作りだなんて地獄だろうに。
文化祭も大変だ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
凛莉ちゃんは会計を済ませてクレープを受け取る。
……いや、待ってくれ。
「凛莉ちゃん、わたしの分は?」
全部やってくれるから何となく黙って見てたけど、数一個だし、お金は払っちゃうし。
わたしのこと忘れてるわけ?
手も繋いだままだし。
「あるよ?」
凛莉ちゃんが受け取ったクレープを持ち上げる。
「いや……じゃあお金払うし」
「これくらいあたしが買ってあげるよ」
「そんなのいいって、買ってもらう理由もないし」
「あたしのかわいい恋人のため、それ以外の理由なんている?」
「……」
こ、こいつ……。
し、心臓がもたないんですけど……。
「それよりさ、ここだと暑いし食べる場所ないから移動しよ」
「あ、えっ……」
凛莉ちゃんはわたしの話しを全く聞かない。
グラウンドに向かうと、木陰にベンチが据えられている。
わたしたちはそこに腰を下ろした。
「ねえ、凛莉ちゃん。そろそろ手放してってば」
「だーめ」
「話と違う、クレープはどうなったのさ」
凛莉ちゃんの右手にあるクレープが宙ぶらりん状態だ。
「涼奈が食べるんでしょ?」
「じゃあ、ちょうだいよ」
そして早く手を放せ。
「うん、はいどうぞ」
そう言って凛莉ちゃんはクレープを持つ手を伸ばしてきた。
わたしの口に向けて。
「……」
「どうしたの、食べないの?」
「食べたいから、渡して欲しいんだけど」
「そのまま食べなよ」
これではまるで餌付けだ。
「はい、涼奈。あーんして」
「……なんで凛莉ちゃん、そうやってわたしに食べさせたがるの」
今までも何回かあったが、凛莉ちゃんはわたしに食べさせるのが好きらしい。
それにしたってこの食べ方は効率が悪いし、手を放してくれないからやめて欲しい。
「そんなの食べてる涼奈がかわいいからに決まってんじゃん」
真面目な顔で意味分かんないこと言ってる。
「普通に食べるっ」
ていうか手を放せ。
「だーめ。あーんで食べないと手は放さないから」
「条件変わってんじゃん」
「変えたからね」
横暴すぎる。
「ほらほら、さっきから涼奈の手がしっとりしてるのは感じてるんだよ?」
「やめてって、マジでっ」
普段なら汗をかかないのに、外が暑いから余計に汗をかく。
タイミングが最悪だった。
「じゃあ、ほら。お食べ」
口元にクレープが運ばれる。
ふんわりとクレープの甘い香り。
……こうなっては仕方ない。
わたしは諦めて、クレープを頬張る。
生地はほどよく薄くて柔らかい、生クリームの甘さと苺の瑞々しさが口の中で溶け合う。
咀嚼して、そのまま飲み込む。
「美味しい?」
「……うん」
一体、わたしは何をさせられているんだ。
「ほら、もっと食べな」
ぐいっとクレープをまた押し付けられる。
「全部このまま食べさせる気……?」
「包み紙からはみだしてる分まででいいから」
単純にそこから先を食べさせるのが難しいだけでしょ。
……まあ、いいけど。それならすぐだし。
わたしは大人しく言う事に従って、そのまま何口か食べ進めた。
「涼奈って、口小さいよね」
「……見るな」
どこをまじまじと見てるんだこの人は。
とにかく、これでクレープは包み紙から姿を消した。
「ほら、いいでしょ。後ちょうだい」
「はいはい、仕方ないな」
わたしが譲歩されたみたいになってるのは謎だけど。
凛莉ちゃんは大人しくわたしにクレープを渡す。
「なんか崩れそうだから、両手でちゃんと持った方がいいよ」
「あ、うん」
わたしは言われるがまま、両手でクレープを受け取った。
「涼奈ほっぺたにクリームついてるよ?」
「え、うそ」
ちょうど両手に持たされているクレープのせいで、どうしたらいいか一瞬迷ってしまったのがいけなかったんだと思う。
「いいよ、とってあげる」
「え……」
凛莉ちゃんはそのままベンチから腰を上げると、わたしの頬に顔を寄せる。
手を伸ばせば済む話しなはずなのに、やけに近いなと思った。
――ぺろり
と、頬を舌で舐めとられる感覚。
「ちょっと、凛莉ちゃんっ」
凛莉ちゃんは立ったまま、横目でどこかを見ながら口の中で舌を転がしている。
クリームを味わっているのか、しばらくするとわたしとようやく目が合った。
「涼奈、甘いね」
「わたしは甘くないっ、甘いのはクリームでしょ」
「そう?じゃあ本当に涼奈が甘くないのか確かめよ……」
そう言って凛莉ちゃんは腰を屈めて、またわたしの頬に顔を近づける。
またわたしの頬を舐める気だ、この人っ。
「ばかっ」
「むぐっ」
わたしはお返しに凛莉ちゃんの口に無理矢理クレープをねじ込んだ。
つつみ紙は折れ曲がったけど、その分凛莉ちゃんの口にクレープは到達したと思う。
「どう、クレープの味だったでしょ」
「……いや、涼奈のほっぺたの方が甘かった気がする」
「まだ言うかっ」
クレープから顔を離した凛莉ちゃんの頬には、クリームがついていた。
こうなったら……。
「あれ、あたしにもついちゃった」
凛莉ちゃんはすぐに気付いて、人差し指でクリームをすくいとる。
「凛莉ちゃんっ」
「うわ」
いつもより大きめな声で呼んで、凛莉ちゃんの動きが一瞬止まる。
わたしは立ち上がり、そのまま凛莉ちゃんの人差し指を口に含んだ。
「え、ええっ?」
ぺろぺろと、口に含んだ凛莉ちゃんの人差し指を舐める。
「これでどうだっ」
「涼奈……」
……って、ちょっと待って。
なんか凛莉ちゃん嬉しそうなんだけど。
ニヤニヤしてるんだけど。
冷静に考えたら、これ仕返しになってない?
「えへへ」
あ、うん。ダメだ。
喜んでるもん。
「どう涼奈、あたしの指の味は?」
……甘いけどさ。
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