78 隣にいて


涼奈すずな涼奈すずなってば」


 わたしは凛莉りりちゃんの声を無視して進む。


 メイド服の美少女を引き連れて歩くなんて目立って仕方ないけれど、この際無視。


 奥へ奥へと進んでいくと、徐々に人影は消えていく。


 使われていない音楽室の扉を開けた。


「入って」


 凛莉ちゃんは、きょとんとしている。


「なんで?」


「話しがあるから」


「メイド喫茶は?」


 凛莉ちゃんはスカートを摘んで首を傾げる。


 可愛いけど、今はそういうことじゃない。


「今はいいのっ」


「あ、はい」


 半ば強引に引き込んだ。


 音楽室は薄暗いせいか、他の部屋より少しだけ涼しい。


 先に入った凛莉ちゃんがくるりと振り返る。


 スカートがなびいて、それだけで画になる。


「それでどうしたの?あんまり長くは話せないよ、みんなに迷惑かけちゃうから」


「……」


 そんなにメイド喫茶の方が大事なんだ。


 わたしより、みんなにチヤホヤされる方が大事なんだ。


「いいじゃん、他にもメイドさんはいるんだし」


「そういう問題じゃないよ。忙しくて手が足りないんだから」


 変な話だ。


 さっき凛莉ちゃんは男の人とどこかに行こうとしていた。


 男の人は良くて、わたしはダメなんだろうか。


 いつもは、わたしのこと優先してくれるのに。


「いいの、今はわたしの話し聞いて」


「わかった、わかったよ。早めにね」


「一言多い」


「なにが?」


「早めにとか急かされたら話す気なくなる」


 それを聞いて、凛莉ちゃんはため息を吐いた。


「もう、涼奈わがままだよ。やることはやらないと」


「わたしのことは?」


「だからこうして聞いてるじゃん」


「……」


 そうだけど、そうじゃない。


 わたしはもっとちゃんと話を聞いて欲しい。


「言いづらいことなの?それなら後で自由時間あるから、その時ちゃんと聞いてあげる。それまで、ね?」


 それで諭したつもりなんだろうか。


 凛莉ちゃんはわたしの前を通って、音楽室を出ようとしていた。


 それはダメ。


 扉に向かう凛莉ちゃんの肩を掴んで、わたしの方を振り向かせた。


「涼奈?」


「行かないで」


「……だから、話しは後でいくらでも聞くって」


「やだ」


 嫌だ、嫌だ、嫌だ。


 また凛莉ちゃんが他の人にチヤホヤされるのは見たくない。


 わたしだけの凛莉ちゃんでいて欲しい。


 だからこのまま離したくない。


「どうしたのさ、涼奈。らしくないじゃん」


「わたしらしさってなに」


「普段はもっと分別あるでしょ」


「そんなのない」


 凛莉ちゃんのことなら、特に。


「こればっかりは涼奈の言う事でも聞けないよ。他の人の迷惑になるんだから」


 嫌だ。


 また凛莉ちゃんが他の人に見られたらわたしの精神が保てない。


 それなら、せめて……。


 グイッと凛莉ちゃんを手繰り寄せる。


「ちょっ、涼奈。危ないって……何する気っ」


「噛む」


 せめて、凛莉ちゃんにわたしの跡をつけないと。


 そうでもしないと我慢できない。


 わたしは凛莉ちゃんの胸に伸ばす。


「ええっ」


 でもダメだった。


 今日の凛莉ちゃんはブラウスじゃない。


 首元までしっかり締まっているワンピースのせいで胸元が空かない。


「ほ……ほら。そんなことしても意味ないんだから大人しく諦めて……」


 でも、胸を噛まなきゃいけないルールはない。


 わたしは床に跪く。


 目の前には黒いスカートがあって、それを捲り上げた。


 白い素足が露になる。


「ちょっ、ちょっと涼奈っ。何してんのっ!?」


「なにって……見ての通りだけど」


「スカート捲って、足見るってなに!?」


「……なんか照れてる?」


「当たり前じゃんっ、こんなのおかしいって」


 凛莉ちゃんはおかしなことを言っている。


 わたしは太ももくらいまでしか捲り上げていない。


「これくらい、いつも出してるじゃん」


「それとこれとは別なんだって……っ」


 よく分からない。


 わたしは凛莉ちゃんを無視して太ももに触れる。


 足はじんわりと汗をかいていて、ひたりと指が吸いついた。


「ちょっ、ちょっと涼奈、何する気……」


 どうせ止めてくるだろうから、返事なんてしない。


 凛莉ちゃんの足に唇を近づける。


 唇が太ももの内側に触れてから、その肉に歯を立てた。


 ぐにゅっ、という感触が歯を通して伝わってくる。


 そのまま噛みついた。


「い、いたっ……」


 いい気味だ。


 ちゃんとわたしの言う事を聞かないし、メイド喫茶なんかに行こうとするからだ。


 凛莉ちゃんはわたしの言う事を聞けばいい。


 こうやって、わたしの跡を刻み込んでおくべきなんだ。


「もう、ダメだってばっ」


 凛莉ちゃんに頭を押されて、わたしはバランスを崩した。


「……あっ」


 ――バタンッ


 気付けば仰向けに倒れて、背中に痛みが走った。


 痛みはすぐに治まったけれど、物音は随分大袈裟だったと思う。


「ご、ごめん涼奈っ。大丈夫……?」


 倒すつもりはなかったのだろう。


 大袈裟な音がしたし、怪我をさせたのかと心配をしたのかもしれない。


 凛莉ちゃんが駆け寄って手を差し伸べてくる。


「いい」


 わたしはその手を弾いて、上半身だけを起こす。


「涼奈……」


 凛莉ちゃんは申し訳なさそうに顔を歪める。


「許して欲しいなら、言うこと聞いて」


「なに、言うことって」


 罪悪感を感じているのか、場合によっては言う事を聞いてくれそうな声音だった。


「ここにいて。わたしから離れないで」


「それじゃメイド喫茶どうするのさ……」


「いいじゃん、サボろうよ」


「涼奈だって仕事あるんでしょ、それ」


 凛莉ちゃんは床に転がっている食材の袋を指差す。


「いいよ、こんなの」


 ぽいっと投げた。


「涼奈おかしいって、さっきから」


「おかしくて悪い?」


 おかしくさせたのは誰のせいだ。


「意味わかんない、そんなことする必要ないじゃん」


「あるよ。わたしは凛莉ちゃんに離れて欲しくない、だからここにいて」


「ここにいたって意味ないじゃん。後でいくらでも一緒にいてあげるから」


「やだ。外に出たら凛莉ちゃんが他の人に見られて、凛莉ちゃんもそれの相手をする。そんなのもう見たくない」


「それって……どういうこと?」


 凛莉ちゃんは本当に不思議そうな目でわたしを見る。


「そのままの意味。誰かにちやほやされてる凛莉ちゃんなんて見たくない」


「なんで……そう思うの?」


 そう思う理由。


 凛莉ちゃんはそれが知りたいらしい。


 でもそれは一番言いづらくて、わたしもよく分かっていなかったモノ。


 嫉妬からくるこの感情は、もっと根本的な気持ちの上に成り立っている。


 それを認めて言葉にしてしまえば、わたしたちは今までの関係ではいられなくなるかもしれない。


 それが怖い。


 凛莉ちゃんがいない世界で、もうわたしはどうしたらいいか分からない。


 最初は一人で平気だったのに。孤独なんて何とも思わなかったのに。


 凛莉ちゃんが二人を、友達を教えてくるからこんなことになったんだ。


「責任、とってよ」


「責任ってなんのこと」


「教えてくれるって言ったじゃん」


「だから、なんのこと」


「恋愛感情も教えてくれるって、言ったじゃん」


「え……」


 心臓がバクバクと拍動しはじめる。


 血液が循環して、顔が異様に熱い。


 なのに手足の指先は異様に冷たくなって、頭もフラフラする。


 意味分かんない。


 自分に正直になろうとして、体がそれを拒絶しているみたい。


「この気持ちが、それなんじゃないの……?」


「涼奈……」


「凛莉ちゃんが誰かと仲良くしてるのを無視しようとして、でも出来なくて、どうしようもなくムカつくの」


「……」


「なのにこうやって一緒にいて、ちょっと話すだけで落ち着くの。さっきまでどうしようもなく凛莉ちゃんのことで苛ついてたのに、凛莉ちゃんがいればウソみたいに元に戻るの」


 安心と不安の繰り返し。


 意味が分からない。


 凛莉ちゃんがいると安心して、いないと不安になる無限ループ。


 隣にいてくれないと、わたしは不安で押し潰される。


「こんな不安定にさせたのは凛莉ちゃんのせいだよ。だから責任とってよ」


「それって……」


 わたしは自分の感情を上手く掴めない人だけど。


 でも、どうしようもないくらいに凛莉ちゃんのことばかり考えているのは、きっとそういうことなんだと思う。


「これが、好きってことなんでしょっ?」


「……っ」


 凛莉ちゃんは言葉を失った。


 わたしはその先の返事が怖くて、言葉をまくし立てる。


「凛莉ちゃんが教えてくれた感情じゃん。なら、最後まで教えてよ……っ」


 胸が詰まって、息が苦しい。


 ただ思ったことを話しているだけなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。


 あんまりに苦しくて、意味も分からず涙が零れていく。


「ねえ、これどうしたらいいの?どうしたら楽になるの?こんなにおかしくなるなら知らなきゃ良かった」


 だから、橘さんのことでも、進藤くんのことでも、告白されたことでも、メイド喫茶のことでもこんなにおかしくなるんだ。


 わたしはこんなわたしに、なりたかったわけじゃない。


「隣にいてよ」


「涼奈……」


 でも、それがムリなら。


 凛莉ちゃんには他に好きな人がいるのなら……。


「こんなに苦しいなら、最初から一人でいれば良か――」


 言葉は遮られた。


 わたしの口を塞ぐように、凛莉ちゃんの唇が重なっていたからだ。

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