66 雨と傘


 玄関に向かうと、灰色の空が広がっていた。


 ――ザーッ


 と、水が地面や屋根を叩きつける音。


 雨は嫌いだ。


 寒いし、蒸れるし、髪はうねるし。


 いいことが何もない。 


「雨やばすぎ」


 凛莉りりちゃんも気だるげにつぶやく。


 間もなく梅雨の時期、その前座にしては大量の雨が降っている。


 傘なしでは、ずぶ濡れ確定だろう。


「まあ、わたしたちは傘あるからまだ良かったよね」


 わたしは紺色の傘で、凛莉ちゃんはビニール傘を持っていた。


 だから濡れる心配はない。


「うーん……」


 なのに凛莉ちゃんは自分のビニール傘を見て難しそうな顔をしている。


「凛莉ちゃん?」


 すると凛莉ちゃんはキョロキョロと周囲を見渡しはじめた。


 何かを探しているような仕草。


「うわ最悪、傘持ってくるの忘れたぁー」


「あーあ、やっちゃったね」


 と、後からやってきて残念そうな声を上げたのはたちばなさんと、そのお友達だった。


 そこに凛莉ちゃんが気付くと、ズンズンと近づいて行く。


かえで、傘忘れたの?」


「あ、凛莉。うん、天気調べてなかった」


「ドジ」


「ほっといてよ」


 なにあれ。


 わたしを置いて、凛莉ちゃんはわざわざたちばなさんと話しにいったってこと?


 ……そんなに橘さんと話したいんだ。


 別にいいけど。


 今すぐ一人で帰りたい気持ちになってきたけど、我慢する。


 わたしはそんな子供じみた行為はしたくない。


「ほら」


 そう言って凛莉ちゃんは持っているビニール傘を橘さんに差し出していた。


「あら、私に用意してくれた感じ?」


「うん、貸してあげる」


「え、いや冗談だって。悪いじゃん」


「いいって」


 ……ふーん。


 あっそう。


 そんなに橘さんのこと心配なんだ。


 わざわざ駆けつけて貸してあげたくなるくらい大事なんだ。


 凛莉ちゃんはずぶ濡れになっても、橘さんは濡らしたくないんだ。


 へえー。


 別にいいけど。


 もう帰ろっかな。


「凛莉はどうするのさ」


「あたしは気にしなくていいから。それじゃっ」


 凛莉ちゃんは半ば押し付けるように橘さんに傘を貸して、駆け足で戻ってきた。


「ごめん、待たせて」


「……いいよ」


「あれ、なんか機嫌悪くない?」


「悪くない」


「なら、あたしの目を見なよ」


「見ない」


 橘さんを見たばかりの目でわたしを見ないで欲しい。


 一度、目を洗浄してから出直してきて欲しい。


「さすがに楓と会話するくらいでは怒らないよね?」


「それくらい何とも思ってないし、そもそも怒ってない」


「じゃあもうちょっと笑いなよ」


「楽しくない」


「やっぱり不機嫌じゃん」


「そういう意味じゃない」


 会話したことに機嫌を損ねているわけじゃない。


 わざわざ傘を貸すほどの大事な人だとアピールされたみたいで、ほんの少し嫌に感じただけ。


「それじゃあ凛莉ちゃんはずぶ濡れで帰ってね」


「そんなのヤだよ」


 何言ってるんだこの人。


「……じゃあ何で傘貸したのさ」


「楓たち困ってたからね」


「それで凛莉ちゃんが困ってたら意味ないじゃん」


「困ってないよ、あたしは涼奈の傘に入れてもらうから」


「……わたしの?」


 それって……。


「そ、相合い傘」


「……」


 凛莉ちゃんが自分のビニール傘を持って辺りをキョロキョロと見回していたのを思い出す。


「凛莉ちゃん、そのために傘貸す相手探してたの?」


 そんな理由を作るために、そんな遠回りのことをしたのだろうか。


「さあ、どうかな?でも相合い傘、悪くないでしょ」


「……悪い」


 凛莉ちゃんはニヤニヤとした笑みを浮かべていたが、わたしはそっぽを向く。


「えっ、そんなにあたしと一緒に傘に入るのイヤ?」


「いや」


「なんでっ」


 相合い傘は嫌じゃないけど。


 何も橘さんに貸す必要はなかったと思う。


 理由付けするにしても、他の人で良かったと思う。


「ねえ、涼奈ー入れてよー。あたし風邪ひいちゃうよー?」


「勝手にひいたらいいじゃん」


「もー。涼奈かわいくなーい」


 ブーブー膨れて文句を言い出す凛莉ちゃん。


 でも全部、凛莉ちゃんが勝手にやったことだ。


 わたしだって、ほんとはこんなことしたくない。


「わたし可愛くないし」


「そういう態度がかわいくないって言ってんの」


「態度も元からかわいくない」


「もー。アマノジャクー。ねえ、本当に入れてくれないの?」


「入れない」


 最近の凛莉ちゃんは楓さんネタを連発させすぎだ。


 そろそろ痛い目を見るべきだと思う。


「ふーん、いいもん。涼奈が入れてくれないなら、楓に入れてもらうから」


「……」


 変なことを言って、今度は凛莉ちゃんがそっぽを向いた。


「いいんだね?行っちゃうからねあたし」


 念を押すかのように再度確認してくる凛莉ちゃん。


 そんな、かまってちゃんの相手をわたしがすると思ってるのだろうか。


「……好きにしたらいいじゃん」


 それが合図になった。


「涼奈のケチッ、いいよあたし行くから」


 凛莉ちゃんは鼻を鳴らして本当に楓さんのいる方向に歩き出した。


「……もう」


 やっぱりモヤモヤする。


 どっちを選んでもモヤモヤする気はするけど、このまま橘さんと相合い傘される方が嫌かもしれない。


 わたしはその背中を追って、ブレザーの裾を掴んだ。


「……涼奈?この手は何かな?」


 わたしに止められて何だか嬉しそうな声を上げる凛莉ちゃん。


 彼女の手の平で踊らされてる感じがして、不愉快だった。


「傘、持って」


 わたしは持っていた傘を凛莉ちゃんに押し付ける。


「相合い傘、する気になった?」


「なってない」


「じゃあ、何さこれ」


 凛莉ちゃんはわたしが持たせた紺色の傘を指差す。


「傘ずっと差してると手が疲れるから、凛莉ちゃんに持たせる」


「……涼奈さぁ」


「なに」


「もっと素直になってもいいんだよ?」


 そう言いながらも凛莉ちゃんは口元の緩みを隠せていない。


 きっと自分の思い通りになったと喜んでいる。


 それがわたしは面白くない。


「素直になってる。凛莉ちゃんはわたしの召使いになっただけ」


「ふぅ~ん?」


 そう言って凛莉ちゃんはしたり顔でわたしの傘を持つ。


「なにその顔」


「何だかんだ言って、涼奈はかわいいなあって」


「意味わかんない、いいから傘差してよ」


「はいはい」


 傘を差して歩くだけなのに、こんなに言葉を交わさなきゃいけないわたしたちって本当はバカなんじゃないだろうか。


 そんなふうに思えてきた。


「ほら、お姫様どうぞ」


 外に出て、凛莉ちゃんが傘を差す。


 わたしが“召使い”と言ったのがいけなかったのだろう、何か“姫”とか言われたけどこれ以上はツッコまない事にする。


 傘の中に入ると、ポツポツと雨を弾く音が聞こえてきた。


 わたしよりも背がある凛莉ちゃんの傘の位置は、少し高い。


「それじゃ、帰ろうか?」


「うん」


 肩を寄せ合うように二人で歩き始める。


 外は雨でどんよりと暗い。


 空を見上げようにも視界は傘で覆われていて、かわりに凛莉ちゃんの存在だけが肩越しに伝わってくる。


「そう言えば聞いてなかったんだけどさ」


「なに?」


「涼奈って誕生日いつ?」


 わたしの誕生日は……。


「6月24日」


「えっ、もうちょっとじゃん」


「まあ、来月だね」


「良かった、聞いといて」


 凛莉ちゃんは、ほっと胸を撫でおろしている。


「涼奈その日、予定とかあったりする?」


「あるわけないじゃん」


 陰キャを舐めるな。


「いや、家族とかさ」


 知らないけど、連絡はないし。


 どうせない。


「ないよ」

 

「じゃあ、あたしがお祝いしてあげるよ」


「……いいの?」


「当たり前じゃん」


 それは嬉しいかもしれない。


 凛莉ちゃんと過ごせば、きっと楽しい日になる気がする。


 ……そこで、わたしも忘れていることに気付く。


「そういう凛莉ちゃんの誕生日は?」


「あたしは7月21日」


「翌月じゃん」


「ほんとだね」


 なら、この流れは……。


 と思って横を向くと、凛莉ちゃんもこっちを向いていた。


「……なに見てんの」


「いや、涼奈なにか言いたそうだなって」


 そういう凛莉ちゃんの目がキラキラ輝いている。


 分かっているだろうに、ちゃんと言わせるあたりが凛莉ちゃんだ。


「……その日、予定ある?」


「あっても全部キャンセルするよ」


「……ああ、そうなんだ」


 予定がないわけではなさそうなところが、さすが凛莉ちゃんだ。


 わたしとは違う。


「じゃあ、わたしで良かったらお祝いするね」


「うんっ、楽しみにしてるっ」


 きゃっきゃっと笑い出す凛莉ちゃん。


 その反応が大げさで傘が揺れた。


「ちょっと凛莉ちゃん、傘動かしすぎっ。濡れるんだけどっ」


「ごめんっ。嬉しくて、つい」


「もう、子どもじゃないんだから」


「えへへ、ごめんちょっと濡れちゃったね」


 ……まあ、いいか。


 雨は嫌いだけど、凛莉ちゃんが差した傘で濡れるのならそこまで悪くない。


 その時はきっと一緒に濡れてくれるはずだから。


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