61 子供扱い


「……」


「……」


 ち、沈黙が重い……。


 凛莉りりちゃんは明後日の方ばかり向いて、わたしのことを全然見てくれない。


 わたしはわたしで、その態度を見てどうしたものかと硬直してしまう。


 やりすぎたかなって、ちょっとずつ冷静になっていく。


「り、凛莉ちゃん……?」


 びくん、と凛莉ちゃんの肩が揺れる。


「な、なに……?」


 背中を向けたまま、返事だけ聞こえてくる。


「あのー……えっと、大丈夫?」


 凛莉ちゃんに、モヤモヤしたものをぶつけすぎてしまった気はしている。


 でも、そうしないとおかしくなりそうだったのも事実だ。

 

 だから今のわたしはちょっと落ち着いている。


 落ち着いた分、やりすぎたかなって我に返っているわけだけど……。


「いや、ていうか涼奈すずながどんなつもりだったのかなって……」


「どんなつもりって……だから、わたしを怒らせた罰を与えただけ」


 それを聞いて、凛莉ちゃんがやっとこちらに顔を向ける。


 ツンツンと自分の左胸を指していた。


「これ。なんでここまでしたのって」


 ブラウスの上からは見えないけれど、わたしが噛んだ跡のことを言っているんだろう。


「だから、罰」


「ここまでする必要ないよね?」


「ある」


「なんでさ、痛かったんだけど」


 痛かったとか言う割には、凛莉ちゃんの声に怒気はあまり混ざっていない。


 どちらかと言うと、困惑の方が強いように聞こえた。


「痛くないと罰にならないでしょ」


「そんな本格的な罰、友達にする?」


「友達に痛い罰を与えたらダメなの?」


「ダメでしょ、普通」


 でも凛莉ちゃんはそう言いながらも、本気で嫌がっているわけではない。


 そうでありながら、この行為は普通の友達にするものではないとも言う。


 なら、わたしはたちばなさん達とは違う、別の立ち位置になったということだ。


 それは、ちょっと嬉しいかもしれない。


「結構、本気で噛んだでしょ」


「加減はしたよ、本当はもっと強く噛みたかった」


 もっと言えば、他の部位も噛みたかった。


 今は落ち着いて、そんなことは思わないけど。


 さっきは本気でそう思っていた。


「……涼奈って、実はドS?」


 凛莉ちゃんはいよいよ本格的に困惑していた


 そんな返事が返ってくると思ってなかったのかもしれない。


「そんなことないと思うけど」


「いや、そうじゃなかったらこんなことしないでしょ……」


 そうなんだろうか。


 でも、他の人を傷つけたいとかは思わない。


 凛莉ちゃんにだけ、わたしが何かを刻みつけないと安心できなかった。


「凛莉ちゃんだけだよ、罰を与えようなんて思ったのは」


「あたし、別にMとかじゃないからねっ」


 そんなこと知ってるけど……。


 でも、凛莉ちゃんは怒ってるわけじゃないから安心した。


「……で、どうする?」


「どうするって何が?」


 わたしの質問の意図を、凛莉ちゃんは理解できていないようだった。


「勉強、続きする?」


 わたしはローテーブルの上に置かれていたノートと教科書を指差す。


 せっかく淹れてくれた紅茶をすっかり冷めさせてしまったのは、悪いことをしたと思う。


 ぱちくりと、凛莉ちゃんはテーブルの上を眺めて、わたしに視線を戻す。


「出来るわけなくね?」


「……そう、だね」


 勉強会はこれでお開きとなった。







 夜も遅い。


 わたしは家に帰る事にする。


 勉強道具を鞄に詰めて、立ち上がって扉に向かう。


「送るよ」


 一緒に凛莉ちゃんも立ち上がる。


「いいって、子供じゃないんだから」


 もうエレベーターやエントランスまでの道も迷ったりしない。


 そんな過保護なことをしなくていい。


「子供みたいなもんじゃん」


「はあ?」


 さすがに、同い年に子供扱いされるのはちょっと意味が分からない。


 お互いにまだそれなりに子供で、それなりに大人だと思っている。


 一方的に子供扱いされるのはちょっと違う。


「子供じゃなきゃ、ムカついたからって胸を噛んだりしないよ」


 一瞬、返す言葉を失った。


「直接ぶつけないと感情表現できないんだもんね?いいよ、あたしは分かってるから」


「なにそれ」


 完全に上から目線で調子が狂う。


 さっきまでわたしが主導権を握っていたのに、時間が経てば凛莉ちゃんはすっかりいつも通りで、わたしが手懐けられている感じがする。


「涼奈の子供じみた行為も受け止めてあげるから。あたしはお母さんみたいなもんだよ」


「……」


 どうしよ、また嚙みたくなってきた。


 でもそれをしたら、また凛莉ちゃんが“よしよし、子供だねー”とわたしを分かってる風に言い出すのが目に見えた。


 だから我慢する。


「……だから、それは罰だって」


 悔し紛れの言葉はやはり尻すぼみになってしまって、凛莉ちゃんにはちゃんと届かなかったと思う。







 玄関を出て、渡り廊下を歩き、エレベーターに乗る。


 一階へと下りていく室内は無機質なモーター音だけが鳴り響く。


「涼奈、今日の夜は何食べるの?」

 

 カップ麺と答えたら、何か言われそうだ。


「……コンビニで何か買って帰るかな」


「はあ、ほんとに毎日それなんだ」


 でも結局、同じことだったらしい。


 どっちにせよ、ちゃんとした生活を送れていない人認定された。


「当たり前じゃん」


「何が当たり前なのか分かんないけど、心配だなぁ」


 凛莉ちゃん溜め息を吐きながら、呆れている。


 なんだろう、さっきから凛莉ちゃんのわたしに対する子供扱いが止まらない。


「大丈夫だって」


「そんな細い体で?ちゃんと食べてないんじゃないの?」


「食べてるよ、体型は体質」


「……嫌味?」


 凛莉ちゃんがわたしを上から下に見下ろして、恨めしそうに言う。


 わたしにとってみれば体型は雨月涼奈のものなのだから、ありのままを言っただけだ。


 でも、凛莉ちゃんにとってはなぜか嫌味に聞こえたらしい。


「なんでさ」


「あたしはこんなに気を付けて、これだって言うのに……」


 凛莉ちゃんは自分とわたしの体を交互に見比べている。


 細さだけで言えば、確かに雨月涼奈の方が細い。


 でも凛莉ちゃんも決して太っているわけではなく、健康的な体つきをしているだけだ。


 どちらかと言うと、雨月涼奈が細すぎるだけ。


「気にしすぎだって」


「へえ、スレンダーな人は余裕がちがいますねぇ」


 ……なんか、僻んでるっぽい。


 さっきまでのわたしの子供扱いはどこ行ったんだ。


 今の凛莉ちゃんの方がよっぽど子供じゃん。


「凛莉ちゃんくらいの方が可愛くていいよ」


「……体でかわいいってなに」


「ぷにってしてて、可愛い」


 さっき触った凛莉ちゃんの足の触り心地なんかを思い出す。


 それに比べて棒のようなわたしの足は骨々していて、可愛げがない。


「勝手に思い出すなっ」


 わーっと、掻き消すように凛莉ちゃんが両手を振る。


 ……まあ確かに。


 本人を前に言う事じゃなかったかも。


 くだらない話をしている内にエレベーターは一階についていた。


 エントランスを抜けて、外に出る。


「今度、また夜ご飯作ってあげるね」


「……悪いから、いいよ」


「いいって。涼奈の体の方が心配だから」


 そんなにわたしのこと心配して、本当にお母さんにでもなりたいんだろうか。


 でもまあ、凛莉ちゃんのご飯は美味しいから、断る理由もそこまでないんだけど。


「今度ね」


「うん、食べたいの作ってあげるからね」


 凛莉ちゃんは嬉しそうに笑う。


「じゃあ、帰るから」


「うん、また明日ね」


 お互いに手を振って、その日はお別れした。

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