60 噛まれた side:日奈星凛莉


 なんで、こんな事になったんだろう。


 あたしは今、涼奈すずなに押し倒されている。


 しかも、あたしの上に跨って涼奈に見下ろされている。


 こんなことされたことない。


「許して欲しいんでしょ、なら黙ってなよ」


 涼奈は腕を伸ばし、わたしのブラウスのボタンに手を掛けた。


 さすがに、これを黙って見ているわけにはいかない。


「涼奈、どうしたのいきなり、こんなっ……」


 涼奈の手を掴んで、動きを止める。


「手、放して」


 いつも以上の突き放す冷たい言い方に、ぞくりと背筋が凍る。


「涼奈、いつもと違うじゃん」


 あたしが急に後ろから抱いたのがいけなかった?


 それとも“好きだから”と言ったのがいけなかった?


 でも、しょうがないじゃん。


 あたしは気持ちを伝えてみたかった。


 その反応を確かめてみたかった。


 誤魔化して、全てを素直には打ち明けられなかったけど。


 だって、涼奈はずっと何かを隠しているから。


 進藤との関係や、あたしとの関係にも何か秘密を抱いている。


 そのせいで、心の距離が埋まりきらない。


 それが分かっているから、全てを打ち明ける勇気が出ないんだ。


凛莉りりちゃん、わたし怒ってるんだよ」

 

「それは分かったから、分かったから謝ったじゃん」


「許さない」


「涼奈……」


 涼奈に許されないのはイヤだ。


 あたしのせいで涼奈を怒らせてしまったのなら、謝りたい。

 

 涼奈は不機嫌になることはあっても普段は逃げるだけで、ここまで直接的に感情をぶつけてくることはないから、あたしも面を食らってしまう。


「許して欲しかったら、手どけて」


「……」


 あたしは涼奈の剣幕に押されて、手を離す。


 涼奈は迷うことなくブラウスのボタンを外していく。


 前を開けられて、下着を露にされる。


 涼奈はあたしを剥き出しにして、黙って見つめている。


 こんな形で見られるのは、いくらなんでも恥ずかしい。


「綺麗だね」


 信じらんない。


 一方的に見て、そんな感想だけ押し付けて来るなんて。


 涼奈はあたしをどうしたいんだ。


「ちょっと、どこ見て言ってんの」


 ――ひたっ


 涼奈はそんなあたしの動揺なんてお構いなしに足に触れた。


 その指先は暖かくて、あたしの肌に吸い付くように撫でまわしてくる。


 太ももの外側から内側まで、その感触を何度も確かめるように。


 その指先はただ触れているんじゃなくて、あたしのことを感じようとしている。


 撫でられているだけなのに、体が自然と反応してしまう。


「ねえ、凛莉ちゃんは何でいつもスカート短いの?」


 涼奈はいつもの何でもないような口調で話しかけてくる。


 その声があまりに淡白で、あたしの気持ちと不釣り合いすぎて、恥ずかしくなった。


「は、はあ?別に、短い方がかわいいくらいの意味しかないって」


 だから誤魔化すように、あたしもいつも通りの声を出すように努力する。


 その答えに納得したのかは分からないけど、涼奈は黙ったままあたしを眺めて、撫で続けた。


「も、もういいでしょ……?」


 これ以上されるとおかしくなる。


 涼奈にその気はないのに、あたしがその気になってしまう。


 そんな一方的な関係はイヤだ。


「凛莉ちゃん、まだ何も始まってないから。そのまま動かないでよ」


 でも、涼奈は容赦がない。


 きっとあたしがどうなっているかなんて気づきもせずに、冷たい声だけを浴びせてくる。


「あ、ちょっ、涼奈っ……」


 そして、今度は涼奈の舌先があたしの首筋に触れる。


 伝うように舐められていくとゾクゾクとした刺激が体中を走っていく。


 前にも舐められたことあるけれど、今日は全然違う。


 頭の奥がぽうっと溶けそうになる。


「まじ、やばいって」


 これ以上はまずい。


 あたしが自分のモノじゃなくなってしまう。


 でも涼奈は全く言う事を聞いてくれない。


 その舌はどんどん下へと、胸のあたりを舐めはじめた。


 感覚は研ぎ澄まされる一方で、ひたすら鋭敏になっていく。


「涼奈、ほんと、そこら辺で……」


 これ以上はまずい、と涼奈の頭を触って止めようとする。


「邪魔」


 だけどその手は邪険に振り払われた。


「でも、そこはヤバイって……」


「なにがヤバいの?」


「言わなくても、分かるじゃん」


 このまま続けれらたらおかしくなる。


 きっとあたし一人で感じてしまう。


「涼奈、何でいきなりこんなことするの?」


「なんで……?」


 そこから先を、涼奈は答えない。


 何か思っているくせに何も言わない。


 言わなきゃ分かんないことがたくさんあるのに、涼奈は自分の気持ちを話そうとしない。


 その代わりなのか知らないけど、涼奈はまたあたしの胸に顔を埋めた。


 涼奈の吐く息が胸に当たって、熱い。


「まだ続けるの?」


 何度聞いても答えは帰ってこない。


 ただ、涼奈の呼吸に合わせて吐かれる吐息が、あたしの温度に変わっていく。


 そんなに胸に顔を当てられたら、誰だっておかしな気持ちになる。


 ドキドキと跳ね続ける心臓の音も聞こえてしまいそうで、それすらも恥ずかしかった。


 だけどその暖かさは、次第に鋭い痛みに変わる。


「いたっ……涼奈、痛いって……」


 涼奈が歯を立てて、あたしの胸を噛んでいた。


 一方的に人を下着姿にして、顔を胸に埋めて噛んでくるなんて、どうかしてる。


 こんな行為に意味なんてない。


 あたしだけ痛いだけで、いいことなんて何もない。


 ……そのはずなのに、あたしは涼奈に噛まれるのを我慢している。


 今すぐ手を伸ばして涼奈の頭をどける事も出来るけど、それはしない。


 だって、涼奈はあたしを一方的に傷つけることで何かを得ようとしているから。


 言葉で上手く表現できない気持ちを、噛むことで訴えていることが何となく分かった。


 あまりに不器用だけど、それも涼奈らしくていいかなんて思ったりする。


 その内、涼奈はようやく噛むのをやめて顔を上げた。


 きっとあたしの胸は涼奈の歯型がついている。


「なにコレ……意味、わかんないんだけど」


「こうすれば、凛莉ちゃんも反省するでしょ」


「こんな反省の仕方、聞いたことないし」


 というか反省とかしてる余裕がない。


 何もかも涼奈に埋め尽くされそうで怖い。


「足りない」


 なのに涼奈は満足していない。


 涼奈はあたしの胸から視線を外すと、スカートや足の方を見た。


 直観的に次はこっちに来ることが分かる。


 しかも、視線はかなり際どい位置だった。


「涼奈、ダメっ」


 反射的に声を上げていた。


「……?」


 涼奈はどうしてそこがダメなのかは全く分かっていない様子だった。


 信じられない。


 こんなにあたしを無茶苦茶にしておいて、自分は何も分かってないなんて。


「それ以上されると、ほんとにおかしくなるから」


 分かってないから、ちゃんと伝える。


 このままだと、あたしはきっとおかしくなる。


 そんなのイヤだ。


 涼奈にその気がないのに、あたしの気持ちだけが先走るなんて。


 その時は、気持ちも一緒じゃないと嫌だ。


 あたしはそう言い聞かせて、暴れまわりそうになる本能を押さえつける。


「いいよ、じゃあ許してあげる」


 伝わったのか、それとも噛みつくことで満足したのか。


 とにかく涼奈の声がちょっとだけ柔らかくなっていた。


 開かれたブラウスのボタンが閉じられていく。


 まるで涼奈の着せ替え人形にでもなった気分だ。


 涼奈があたしの上からどけて、ようやく自由になる。

 

 体を起こすと、いつもの不機嫌顔の涼奈がいた。


「なに凛莉ちゃん、言いたい事あるなら言ってよ」


 言いたいこと?


 そんな分かりきった答えを聞いてどうする気?


「涼奈の……変態っ」


「え……」


 あたしは知ってしまった。


 涼奈に触れられるだけで、体がこんなにも疼いてしまうことに。


 しかも、あんなに一方的だったのに。


 お世辞にも優しくはなかったし、怒りをぶつけてくる行為に近かった。


 でもあたしは感じてしまった。


 だから、涼奈が本当にその気になったら、あたしはどうなってしまうんだろう。


 知りたい気もするし、知りたくない気もする。


 だってそれを知ってしまったら、本当に涼奈との距離を縮めないと我慢できなくなりそうだから。


 こんなにも狂ってしまったあたし。


 もうどんな顔をして涼奈を見たらいいか、分からない。

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