53 心配しかない side:日奈星凛莉


「あ、お茶出してなかった」


 勉強を再開すると、涼奈は弾かれるように顔を上げた。

 

「あ、お構いなく」


「それくらいするし。何か飲むよね?」


「いいの?」


「って言っても出せるのインスタントの紅茶かコーヒーくらいだけど……」


 おお……涼奈があたしのために飲み物を用意してくれる。


 なんて珍しいシチュエーションなんだ。


 これだけでも勇気を出して涼奈の家に飛び込んだ甲斐があった。


「じゃあ、紅茶で」


「わかった」


 涼奈は一階へと下りて行く。


 しばらくすると、両手にマグカップを持って戻ってきた。


 黒と白の無機質なデザイン。


 飾り気はないけど、それはそれで涼奈っぽい。


「はい、どうぞ」


「ありがと」


 空いたスペースにマグカップを置いてくれる。


 涼奈が淹れてくれた紅茶か……ものすごい貴重品だ。


「どうかした?」


 そんなあたしの様子が不審だったのか、涼奈が声を掛けてきた。


「いや、涼奈すずなが淹れてくれたと思うと感動が……」


「インスタントだって」


 涼奈は眉をひそめていた。


「そこじゃないんだって。……いただきます」


 紅茶に口をつける。


 ほんのりとした甘みと、ちょっとの渋みが口の中に広がった。


 そのままマグカップを置くと、涼奈はあたしを見つめ続けていた。


「なに?そんなに見つめられると照れちゃうんですけど」


「凛莉ちゃんみたいに本格的じゃないからそこまで美味しくないだろうなと思って……」


 おどけたつもりが、真面目なトーンで返される。


 そんなこと気にしてたんだ。


「ううん、おいしいよ」


「そんなわけないじゃん、インスタントだもん」


 ちっちっち。


 涼奈はわかってないなぁ……。


 味ってのはそれだけで決まるものじゃないんだよ。


「涼奈が淹れてくれたから、おいしいよ」


 あの面倒くさがりの涼奈があたしのために紅茶を淹れてくれたんだ。


 それだけで、お店で飲むものより美味しくなるに決まっている。


「……あ、そ」


 だけど、涼奈の返事は素っ気ない。


 視線を教科書に落とし、勉強を再開してしまう。


 いいこと言ったと思うんだけど、響かないのかなぁ……?


 涼奈の気持ちは難しい。







 時刻はすぐに夕方になる。


 部屋がちょっとずつ暗くなっていくにつれ、あたしは思った。


「……お腹空かない?」


 涼奈が両親と暮らしているなら、そろそろ帰ろうかなと思う時間帯。


 だけど涼奈は一人暮らし。


 もしよかったら“一緒にご飯なんてどう?”とか思ったり思わなかったり。


「空いたかも」


 涼奈は顔を上げると、すんなりと返事をした。


「夜ご飯、普段どうしてるの?」


「一人暮らしだからね、テキトーに食べてるよ」


「……テキトー?」


 その内容が気になる。


「カップ麺とか、コンビニのお弁当とか」


 うん、一番心配になる返事だった。


「自炊したりは?」


「お湯を注ぐまでの工程なら、何とか」


「いやそれカップ麺でしょ」


「そうとも言うね」


 そうとしか言わないし。


「えー。そんなのじゃ栄養偏らない?」


「栄養……?」


 なぜ疑問形?


「わかった、じゃああたしが作ってあげるよ」


「え、悪いよ。いつもお弁当も貰ってるし。これ以上お世話されたら申し訳ない」


「いや、あたしは涼奈の体の方が心配。育ち盛りにそんな不摂生な生活……美容的にも絶対良くないし」


 もしかしたら涼奈が妙に細いのは、ちゃんとした栄養が行き届いてないからかもしれない。


「そこまでされたら、わたしのお母さんになっちゃうよ」


 その発言は、あたしの胸の奥に響いた。


「……涼奈のママ、悪くないかも」


「いや、悪いでしょ」


 涼奈が呆れていた。


 あたしは涼奈のことになると、頭のネジが少し飛んでしまう気がする。


「まあ、それはそれとして。ほんとにご飯作るよ?」


「えー……いいの?」


「いいよ。材料は何かある?」


 買い出しは必要だろうけど、何があるかくらいは把握しておきたい。


「……あると思う?」


「……いや、何かはあると思ってたんだけど」


「見てみたらいいよ」


 冷蔵庫の中はほとんど空だった。


 ちなみに戸棚の方はぎっしりとカップ麺によって埋め尽くされていた。


「ほんとにカップ麺ばっかりじゃん」


「言った通りでしょ?」


 ドヤ顔する意味。


「……分かった、分かったけど。じゃあ何か食べたいものあったりする?」


「凛莉ちゃんが作ってくれるんだから、凛莉ちゃんが食べたいものでいいよ」


「いや、せっかく涼奈に作るんだから涼奈が食べたいものつくるよ」


「えー……」


 涼奈が唸りながら考え込んでいる。


 ご飯の話になってから涼奈は“えー”が多い。


「パスタ、かな?」


「えー……」


 今度はあたしが“えー”を言う番だった。


 パスタはクオリティさえこだわらなければ、基本的には誰でも作れると思うんだけど……。


「え、ダメ?」


「いや、いいんだけど。せっかく作るのにまた麺なんだと思って……」


 涼奈は麺が好きな人なんだろうか。


「美味しいよ、麺」


「まあ、そうなんだけどさ……」


 どうも涼奈はかなり食に無頓着らしい。

 

 食事を通じての健康や美容に対する意識も低い。


 心配だ、色んな面で涼奈のことが心配だ。


「でも分かった。涼奈が食べたいなら作るよ」


「……めんどくさかったら、カップ麺のパスタあるよ?」


 いや、ふざけないでちょうだい。


「ダメ、あたしが作る」


 あたしは近くのスーパーへ急いで買い出しに行くことにした。







「……何か手伝う?」


 買い物を終えて家に戻り、台所を借りて料理をしていると涼奈がふらふらと寄ってきた。


「あ、じゃあそのキャベツ千切りしてもらっていい?」


 パスタだけでは絶対に栄養が偏るのでサラダは必須だ。


 あたしは買ってきた2/1のキャベツを涼奈にわたす。


「まかせて」


 ……なんとなく、涼奈の手元を見る。


「よし」


 ――スッ


 涼奈は包丁を天に掲げ、キャベツに狙いを定めていた。


「うん、涼奈やっぱりやめとこう」


「え、なんで?」


 バレーボールの件で涼奈が異常な不器用さを見せることを知っている。


 恐らくこれもそのパターンだ。


 だって今、寒気が止まらなかったもん。


 キャベツに添えている指も真っすぐに伸ばしてたし。


 指切り落とすよ、あれ。


「涼奈、包丁使った事ある?」


「あると思う?」


 ……思い出したけど。涼奈が進藤ここなに作ったお弁当の中身は、見た目が滅茶苦茶だった。


 絶対やらせてはいけない気がする。


「パスタ茹でてるから、それかき混ぜといて」


「わかった」


 せ、セーフ……。







 あたしはミートソースのパスタ、キャベツとレタスと胡瓜のサラダ、ロールキャベツに、コンソメの野菜スープを作った。


 うん、これなら栄養も問題ないはずだ。


「うわ、すご……」


 涼奈がテーブルに並べられた料理を見て、感嘆の声を上げている。


 ちょっと嬉しい。


「どうぞ召し上がれ」


「うん、いただきます」


 フォークとスプーンを使ってパスタを巻く涼奈。


 涼奈の口の中にするりとパスタが運ばれていく。


 他にもサラダやロールキャベツ、野菜スープも食べていく。


「……凛莉ちゃん」


 涼奈は一度フォークとスプーンをテーブルに置き、改まった声を出した。


「凛莉ちゃんは、いいお嫁さんになるね」


「なんのこと?」


「美味しいってこと」


 あ、そういう意味か。


 それが聞けて、ほっと胸を撫でおろす。


「良かった、口に合ったんだ」


「こんなの合わない人いない、いたらそいつがバカ舌」


「あはは、それは何より」


 とにかく涼奈が気に入ってくれて嬉しい。


 あたしが作ったものを涼奈が食べ、それが涼奈の血や肉になるのかと思うとちょっとした興奮を覚える。


 あたしはやっぱり変態なんだろうか。


「どうすんの」


「えっと、なにが?」


 涼奈がジト目を向けてくる。


 美味しいって言ってるのに、そんな目を向けられることってある?


「こんなの知っちゃったら、明日からカップ麵食べれなくなるじゃん」


 それは文句のようで、最高の褒め言葉だった。

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