50 ひとりぼっち


 胃がムカムカする。


 急き立てられるように、わたしは歩き続ける。


 どこに向かっているわけでもなく、ただ闇雲に人混みの中を掻き分けて進む。


 最初は聞こえていた凛莉りりちゃんの声も、気付けば聞こえなくなっていた。


 どこかで追えなくなったんだと思う。


 それでいい。


 今のわたしは凛莉ちゃんと話したい気分じゃない。


 ただ胸にザワザワとしたものだけが残り、それを振り払おうと歩き続ける。


 だけど、何も変わらない。


 自分でも意味が分からないまま、どうしたらいいかも分からない。


 ひらひらと揺れるワンピースも何だか鬱陶しくてイライラした。


 ――ドンッ


「あだっ……」


 気付けば人にぶつかっていた。


「ご、ごめんなさい」


 自分でも何をやっているのか整理がつかない。


 とにかくぶつかったことを謝罪する。


「こちらの方こそちゃんと見ていなく……て?」


「え……」


 聞き覚えのある声だった。


 目の前には黒シャツとグレーのロングスカートを履いている、青髪ショートの二葉由羽ふたばゆうがいた。


涼奈すずなちゃんだ、どうしたのあんなに慌てて」


二葉ふたば……先輩。いえ、別に何もないです」


「そうなの?何もないのにあんな早足で歩くなんて、せっかちさんなのかな?」


 彼女の軽快で掴みどころのない話し方は、今のわたしにはまどろっこしかった。


「放っておいてください」


「こんな所で会うなんて運命的だし、ちょっと話を聞かせてよ」


「偶然です。あとわたしから話すことはありません」


「でも、そんな顔してるのを見てしまったら放っておくわけにもいかないな」


「……どんな顔ですか」


 こっちはいつも通りの表情をしているつもりなんだけど。


「怒ってるようにも見えるし、悲しんでるようにも見える」


「……テキトーじゃないですか」


 喜怒哀楽のうち半分も言えばそりゃ当たるだろう。


 やっぱりこの人、当てにならないな。


「でも外れてもいないでしょ?」


「別に普通ですから」


「そう言わずにさ、話すだけ話してもいいんじゃない?それだけですっきりすることもあるけど?」


 ……この人しつこいな。


 わたしの話しなんてまるで聞いてないみたいだ。


「ほらほら、こうやって絡まれ続けるより、さっさと話して解放された方が早いんじゃない?」


「それ自分で言いませんよ」


 この人からも逃げたいところだ、凛莉ちゃんから逃げるのに一生懸命になりすぎた。


 慣れないブーツのせいで足も痛くて、これ以上早く動くのは無理そうだ。 


 ため息を吐く。


「……話したらすぐ帰りますから」


「そうこなくちゃ」


 なんか彼女の思い通りみたいで不快だ。



        ◇◇◇



 近くにあった公園のベンチに腰を下ろした。


 わたしはこれまでの経緯を至って簡潔に話した。


「――うん、それは嫉妬だね」


 二葉先輩は神妙な面持ちで頷く。


 正直わたしとしては、またそれかという感想だ。


 嫉妬とかヤキモチとか。


 みんなその言葉を当たり前のように使うけど、言葉の意味を知っているんだろうか。


「それはないです。だって嫉妬は相手を愛する時に抱く感情ですよ?」


「ん?その子を愛しているんじゃないのかい?」


「愛してません。女の子の友達ですから」


「そんなの気にすることじゃないよ」


「……どういうことですか?」


「“友愛”って言葉があるでしょ。愛情の中には友情もきっと含まれるんだよ」


 それは言葉遊びじゃないだろうか。


 言葉に愛がついてるだけで、その愛は“恋愛感情”の愛ではない。


 ……もうっ、愛愛と頭がおかしくなりそうだ。


「だから友達同士で嫉妬することだってあるよ」


「……二葉先輩にはあるんですか、そういうの」


 もう言葉の定義みたいなのはゲシュタルト崩壊を起こしそうになるから、単純に体験としてあるのか聞いてみた。


 そういう人が他にもいるなら、わたしも少し落ち着ける気がする。


「あるよ、例えば――」


 二葉先輩は体を寄せて、隣に座っているわたしとの距離を詰めてくる。


 平坦な目つきのまま、わたしから目を逸らさない。


「――そうやって涼奈ちゃんに嫉妬してもらえているその子に、私が嫉妬したりなんかして」


「……はい?」


 抑揚のない声。


 落ち着いてる二葉先輩の話し方では、本気なのか冗談なのか判別がしにくい。


「私も身近にすぐあるってこと。涼奈ちゃんはもう少しだけ自分の気持ちに素直になったらいいよ」


 二葉先輩は寄せていた体を元に戻す。


「わたしが素直じゃないって言うんですか?」


「うん、自分の気持ちを誤魔化そうとするからそんなに疲れるんだよ。受け入れて、そのまま言葉にしたらいいのに」


 あっけらかんとした物言いだけど、随分と上から物を言われている気がする。


 ……まあ先輩だから当然と言えば当然なんだけど。


「それに、もしかしたら本当の愛かもしれないしね」


「だからそれはないですって」


 やっぱり冗談だったんだろうか。


 二葉先輩は砕けた笑いをこぼした。


「――涼奈っ!?」


 そんな二葉先輩の静かな空気を振り払うように、張り詰めた声が響いた。


 凛莉ちゃんが肩で息をしていた。


「あれ、あの子が涼奈ちゃんが言ってた人?」


「あ、はい、そうですけど……」


「へえ、意外。けっこうタイプが違う子が好みなんだね」


 なんだその恋愛対象みたいな言い方は。


 そんな二葉先輩の軽口は、凛莉ちゃんにとっては不愉快だったようだ。


「ちょっと、あんた誰。涼奈になにしてんのよっ」


 凛莉ちゃんが二葉先輩を見下ろす。

 

 その圧は横で眺めているわたしにも相当な迫力があった。


「私は二葉由羽。涼奈ちゃんが困ってたから相談に乗ってあげたんだよ。日奈星凛莉ひなせりりちゃん」


 学園内では抜きんでた有名人なだけあって凛莉ちゃんのことは、二葉先輩も把握していたようだ。


 凛莉ちゃんにも、二葉先輩との話はしていたからすぐに把握したようだ。


 眉間に皺がさらに寄っていくのは謎だけど……。


「あっそ。でも涼奈はあたしといるんだから、返してちょうだい」


 そう言って凛莉ちゃんはわたしの腕を掴んだ。


「そうやって自分の物みたいに扱うから涼奈ちゃんが傷つくんじゃないの?」


 ピクッ、と凛莉ちゃんの空気が更に張り詰める。


「涼奈もあたしのことも対して知らないクセに、偉そうなことを言わないでよ」


「へえ、ならたくさん知ってたら困らせてもいいわけだ?」


「そんなこと言ってない」


「そう聞こえるよ。それに涼奈ちゃん、君の言葉に振り回されて大変そうだったよ」


「それは……」


 凛莉ちゃんが珍しく言葉を濁した。


「ま、それでも物のように扱いたいなら、それこそ本当にこの子だけを大事にしてあげないとね。他の子に目移りするような話しなんてしたらダメだよ――」


 そしてまた本気とも冗談ともつかない口調のまま、二葉先輩は腰を上げた。


 ぽん、と凛莉ちゃんの肩に手を置く。


「――じゃないと、他の子にとられちゃうかもよ?」


「……!!」


 最後の言葉は凛莉ちゃんの耳元に囁くように言っていたから、わたしには聞こえなかった。


 だけど凛莉ちゃんの目つきがより一層険しくなったので、あんまりいい事ではないことだけは分かった。


「ま、二人とも仲良くしたらいいさ。じゃあね、涼奈ちゃん」


 二葉先輩は手を振って、そのまま公園を去って行った。


 ……本当に掴めない人だ。


「なんかアイツ、感じ悪いわねっ。苦手なタイプっ」


 凛莉ちゃんは憤慨していた。


 確かに、二人の相性はあまり良さそうではない。


 いや、二葉先輩は気にしないか。


「……そう、かな」


 わたしは凛莉ちゃんに握られた腕を振り払えず、どうしたらいいか分からなくなっていた。


 さっきまでの嫌悪感はなぜか薄らいでいる。


「涼奈ごめん、本当にそんなつもりじゃなかったの。かえでのプレゼントは思い付きだったんだ、ちゃんと言えば良かったよね」


「……あ、うん」


 わたしはおまけじゃない。


 ついでなんかじゃないと凛莉ちゃんは言ってくれている。


 気持ちが追い付かなくて、さっきは聞けなかったけど。


 今は少し、その言葉を落ち着いていて受け入れられる自分がいた。


「置き去りにされてる感じがして嫌だったんだと思う。……それでも、あんな態度しなくてもよかったよね、バカでごめん」


 自分の感情すらまともに分からず振り回されるわたしは、きっと誰よりも愚かだと思う。


 そんな下らないものに凛莉ちゃんを付き合わせたかと思うと後ろめたい気持ちが込み上げてくる。


「あたしは涼奈のことを置いてったりしないから、安心して」


「……うん」


 わたしはもっと凛莉ちゃんを信用すべきなんだろう。


 すぐにオドオドして気持ちが揺らいでしまうわたしは意思が弱い。


 それでも一緒にいてくれる凛莉ちゃんを、わたしは大事にすべきだ。


 握られた手を繋いで、立ち上がる。


「涼奈は一人にすると、すぐ誰かに捕まってるから放っておけないわ」


「そんな子供みたいに言わないでよ」


 ふわりと舞ったワンピースは、今度こそ軽やかになった気がした。

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