27 言葉にならない
どうしよどうしよ……。
心臓がバクバク鳴っている。
きっと、
わたしがワケわかんないヤツだと引いているはずだ。
「す、
「変じゃない、いつも通り」
ああ、くそ。
ここは凛莉ちゃんの部屋で、二人きり。
わたしの変化なんて空気ですぐに伝播してしまう。
うまく誤魔化すこともできやしない。
「帰る」
もうだめだ。
おかしくなった空気を戻す方法をわたしは知らない。
この場から逃げ出すことでしか、解決方法を見出せない。
わたしは立ち上がる。
「え、ちょっと涼奈。いきなりすぎっ」
「いきなりすぎない。もう十分」
「いや、まだ来たばっかりじゃん。紅茶飲んでないし、クッキーも余ってるし」
「残しちゃってごめん、でもおいしかったよ」
それだけ伝えると、反転してドアノブに手を掛ける。
「いや、そんな投げやりな言い方じゃ納得できないって……!」
ドアを開けようとして、でも出来なかった。
反対の手を凛莉ちゃんに握られたからだ。
「離してよ」
ぎゅっと握られた指先が熱い。
以前は冷たいと感じた凛莉ちゃんの指先は、今は随分と熱くなっている。
「なら帰る理由を教えてよ」
「十分遊んだし、もういいかなって」
「どう考えても早すぎだし。ほんとのこと言いなよ」
言えるわけない。
凛莉ちゃんの下着を見てドギマギしてしまった、なんて誰が言える?
わたしだって意味が分からないのに、そんなこと言われた凛莉ちゃんはもっと困るはずだ。
「本当のこと言ってる。もう遅いし帰るね」
「時間のことなんて言ってなかったじゃん」
「だから今言ったの」
全然納得してくれない。
だいたい、今日の凛莉ちゃんは強引だ。
それも悪くないと思っていたけれど、だからといって彼女の言うことを全部聞く必要もない。
わたしだって強引に帰ったりしてもいいはずだ。
「それも後付けでしょ、なにがあったのさ」
「凛莉ちゃんしつこい。いいから帰る」
グッ、と凛莉ちゃんから逃れようと腕を引く。
でも、それを感じた凛莉ちゃんの指先には更に力が強まる。
「ならせめて顔ちゃんと見てから話しなよ――!」
肩を掴まれる。
そこまで強引に来るとは思わなくて、あっけなく凛莉ちゃんに引き寄せられる。
息遣いが聞こえそうなほど凛莉ちゃんが近い。
「あっ……あの……」
目と目が合った。
言葉がまとまらない。
恥ずかしいし、なんだかモヤモヤする。
わたしはこの意味不明な感情を完全に持て余している。
「涼奈、さっきから変だよ。あたしなんか嫌なことした?」
「してないから、大丈夫だから」
「じゃあなんで帰るとか言い出すの?なにかあったんでしょ?」
「ないって、ほんとに。気にしすぎだって」
お願いだから、それ以上わたしの気持ちを探らないで欲しい。
わたしだってよく分からないのに、凛莉ちゃんにそこを触れられたらもっとグチャグチャになる。
「涼奈はすぐ隠すから、あたしにくらい正直に言いなよ」
「別に隠してない」
「ウソ、涼奈はそうやってすぐごまかす。あたしは分かってんだからね」
「分かってない、凛莉ちゃんは全然わかってない」
「――もうっ!」
その言葉が気に入らなかったのか、凛莉ちゃんが更に距離を詰めてくる。
手を握られたままだから逃げれない、だからわたしは後ろに下がる。
――ドンッ
すぐ背に壁が当たって逃げ場所を失う。
退路はなく、目の前には凛莉ちゃんしかいない。
今一番、わたしの精神をかき乱す人がこんなにも近い。
それは困る。
見ているだけで息が詰まりそうになる。
「……ちょっと、やめてよ」
「涼奈がほんとのこと言わないからでしょ。教えてくれたらすぐ離すのに」
凛莉ちゃんの首筋、その大きく開いた胸元に自然と目が行ってしまう。
さっき見た光景がフラッシュバックする。
おかしい、こんなのおかしい。
目を逸らしたいのに、目の前にいるからそれが出来ない。
いや、それなら目を閉じてしまえばいい。
なのにわたしは目を開けたまま、凛莉ちゃんの胸を見てしまっている。
矛盾している。
思っている事と、やっていることが解離している。
「離れて……こんなに近いの、いや」
逃げようとしても、凛莉ちゃんがもっと強く押さえてくるから動けない。
絡んだ指先は熱くて、でも柔らかい。
そんなことを感じている自分も嫌になる。
「なんでそんなに嫌がるのさ、理由を教えてよ」
さっきから言えだの、教えろだの。
そんなのわたしが知りたい。どうしてこんなに息が苦しいのか教えて欲しい。
「わかんない、わたしもわかんないっ」
「は?なにそれ、それで納得すると思ってんの?」
凛莉ちゃんの声がキツくなる。
わたしがまた誤魔化していると思っているんだ。
でも、そうじゃない。
「だから、わたしも分からないのっ。凛莉ちゃん見てると何か変になる。思ってることとやってることがグチャグチャになって、息が上手くできなくなる。それだけっ」
「――え?」
拍子抜けしたような声。
ふっと掴まれていた力が抜けていた。
わたしは手を振り払って、今後こそドアノブを握る。
「だから帰る、このままだと頭おかしくなりそうだから帰るっ」
「……あ、わかった。わかったから涼奈、もう止めないから。そんな逃げるように帰らないでよ、寂しいじゃん」
そう言って、凛莉ちゃんは急に優しい声になった。
さっきまでの剣幕はどこに行ったのか、今度はしおらしくなって困ったような表情を浮かべている。
意味がわからない。
さっきまで言えだの教えろだのと言いまくってた人が、いきなり寂しいとか。
調子が狂うからやめてほしい。
「……ほんとに帰るからね」
「わかったって。送るよ」
「いらない」
「下まで。涼奈、迷いそうだし」
バカにしないで欲しい。
いくら初めて来た場所だからと言って、マンションなんてそんな複雑な構造はしていない。
でも凛莉ちゃんは譲る気はないようで、ブレザーを羽織って先を歩き始めた。
「ほら、帰るんでしょ」
「……うん」
さっきまで帰るの止めようとしてた人が、今度は先導するとか。
凛莉ちゃんは本当によくわからない。
廊下を抜け、エレベーターに乗り込む。
来る時は一瞬だったのに、帰りは異様に長く感じる。
この沈黙のせいだ。
だから、見送りなんていらなかったのに。
こういう微妙な空気になるのはわかっていたのに凛莉ちゃんは来た。
それならせめて何か話して欲しい。
「……涼奈はさ」
祈りが通じたのか、凛莉ちゃんがようやく口を開いてくれた。
「うん」
「あたしのこと、嫌いなわけじゃないんでしょ?」
「……なにその質問」
話してくれとは思ったけど、こんな微妙な雰囲気でする話題じゃない。
嫌いって言われらどうするつもりなんだろう。
「いや、息できないとか言うから」
「……嫌いな人の家に来るわけないじゃん」
「そっか、そうだよね」
「そうだよ、友達なんだから変なこと言わないでよ」
「そうだね。友達、だもんね」
うんうんと凛莉ちゃんが頷いている。
エレベーターはようやく一階に着いた。
エントランスを抜け、外に出る。
「じゃあね」
わたしはなるべくいつも通りを装って、素っ気なく言葉を吐く。
もう手遅れ感が満載だけど、せめて帰る時くらい何事もなかったように振る舞いたい。
「気を付けてね涼奈。また遊びに来てよ」
“気を付けてね”だけでいいのに。
どうして凛莉ちゃんは次に繋がるような言葉を吐くのだろう。
断ったら、いつもの雰囲気でいられなくなるのに。
「……うん、またね」
だけど、その次に繋がる言葉にわたしは応えてしまう。
凛莉ちゃんとの関係性を壊したくなくて、その繋がりを受け入れる。
凛莉ちゃんがいるからおかしくなるのに、凛莉ちゃんがいなくなってもおかしくなる。
わたしはどこか壊れかけているんだと思う。
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