第八話

 帰路はプラタの背中で熟睡した。これはもうわかっていたことだ。お酒を飲んだ後にゆらゆら揺さぶられながらの長時間移動。耐えられるわけがない。

 気が付けば私はドーフィット氏の家のあの居心地のいい部屋で寝台に寝かされていて、窓の外はまだ暗くて、うつらうつらしながらローブを脱いで寝巻に着替えてまた眠ったことはかすかに覚えている。

 二度目に起きた時にはすっかり昼下がりで、キコとプラタは朝食を済ませた後だった。

 私の寝ている間に二人はゴブリン退治の報告をして、請負票に署名を貰って、役目を終えたゴブリンの耳も早々に捨ててきたそうだ。

「で、ニンカは魔術の行使で疲れてるから、退治のあとはあまり動けないんですって言っておいたから」

「うわ……なに……キコ、やっぱり天才だよぉ。言い訳の天才」

「それ、褒めてんの?」

「褒めてる褒めてる。めっちゃ褒めてる。それっぽい言い逃れをさせたらキコの右に出るものはいないよ」

「あ、そう。まあなんでもいいけど」

「すごいよねー。よくそんなに思いつくなって私も思う。キコは詐欺師でも食べていけるよねー」

「……それ、褒めてんの?」

 三人、今はテーブルに座ってのんびりとしている。

 私は遅い朝食を運んでもらって、それを食べながら。二人はお茶。キコは例によってジャムを大量に投入してご満悦だ。

 今朝のジャムは柑橘オレンジのジャムで、パンに塗って食べてもとても美味しい。

 その他、テーブルに並んでいるのは白パンに焼いた腸詰肉ソーセージとピクルス、燻製肉ベーコンといろんな葉野菜のサラダ、鶏肉と蕪の牛乳仕立てスープ、丸くて黄色味の強いチーズ、蜂蜜のかかったとろとろのチーズ。

 朝食からしてこの豪華さ。まるで貴族だ。――というかまさに貴族だ。

 そして味も負けず劣らず貴族的である。蕪と牛乳のスープなんてある種の田舎料理なんだけど、香辛料がぴりりと効いてて随分とお洒落な味わいになっている。

「ああ、お酒が欲しいなぁ……」

「いやいや、……朝ごはんだよ?」

 何言ってんだこいつみたいな目でキコがこっちを見てるが、違う。キコは何もわかってない。

 大事なのは「」食べてるかじゃなくて「」食べてるかだってことを。そこにお酒が合いそうな食べ物があったなら、「いつ」なんてのは些細な問題だってことを。

「まあ、このあとすぐ出発だからねー。がまん、がまんだよ」

「出発すぐなの? あれ、時間はまだ大丈夫なの?」

 私はのんびり食べているけど、こんなことで馬車を待たせるとしたらそれは非常に申し訳ない。

「あっ、大丈夫大丈夫。馬車じゃなくてお馬さんだから。食べたらすぐ出発できるってことだよー」

「そう、馬だよ。二頭借りる」

 馬、ということは――、

「ニンカちゃんは私の馬ねー」

 私は乗馬ができないのでまたしてもプラタのお荷物である。まあ、歩いて戻るわけにもいかないし、こんな辺鄙なところを都合の良い馬車がそう頻繁に通るとは思えないので仕方ない。

「プラタ、ありがとねぇ。……あ、馬ってことは同行する人が居るのかな?」

「いや、金門亭が馴染みだから、馬はそこに入れてくれってさ」

「へー。金門亭って、南門の広場に面したおっきいとこだっけ」

 確か、アクバリクの市街で一番大きくて豪勢という評判の宿がそんな名前だった気がする。

「そうそう、そこ。お高いところ」

 うむ、私には無縁だ。前は何度も通ったことがあるけれど、気軽にお酒を飲みに入れる宿ではない。そんなところを定宿じょうやどにして、馬房まで借りているんだろうからドーフィット氏は相当羽振りが良い。

 この集落が何年目かは知らないけれど、既に大きな麦畑が広がっていて、家畜の飼育も活発なようだし、牧草地にもゆとりがある。なかなかやり手なのかもしれない。


 食後、私がのんびりお茶を楽しんでいる間に二人は馬を引き出して、鞍に荷物を括りつけたりの準備諸々をしていた。私が手伝ったところで効率が良くなるとはとても思えないので、ここでこうしてお茶を飲んでいるのが結果的に二人のためにもなるという理屈だ。

 しばしまったりした後、「ニンカー、出るよー」と声が聞こえてきたので立ち上がって身支度を整える。

 寝台の上に放ってあったローブを羽織ると、ふっとあの臭いが鼻についた。

 外に出るとキコとプラタがそれぞれ馬の口を取って待っていた。キコは栗毛の可愛らしい牝馬。プラタは体格の良い鹿毛かげ牡馬ぼばだ。二頭とも私を敵視しているのか、目が合うと歯をむき出しにしてふんふん鼻息を吐きだしてきたり、盛んに前足の蹄で土を掻いたりしている。悲しいことに、基本的に私は動物に嫌われる。「やっぱり動物って敏感だから、本能的に危険な人がわかるんじゃないかなー」とはプラタの談だけれど、炎さえ出さなければ私ほど人畜無害な人間は居ないと思っているのでどうにも解せない。

 同じく外で待っていてくれていたドーフィット氏とおじさん二人、それに初めて顔を見せたドーフィット氏の奥さんに挨拶をする。ドーフィット氏の奥さんは30歳くらいの細面の美人さんで、元はアクバリクの近隣に住んでたそうだ。

 4人に良い部屋と美味しい料理の御礼言ってから、キコとプラタが馬に跨って、さらにプラタは私を鞍の前部に引っ張り上げた。

 キコが「行くよ」と声をかけて馬の腹を軽く蹴る。プラタも常歩なみあしで続いて、私はプラタの腕の間で最適な位置を求めてごそごそと動き回る。

 私はプラタより頭一つか一つ半くらい背が低いので、プラタに体を持たせかけてもそんなに邪魔にはならない。本当は鞍の後ろのが良いのだろうけれど、私が落っこちるのでダメだ。

「ニンカちゃんは寝てていいからねー」

 ぽっかぽっかと馬を常歩で進めながらプラタが言う。

 言われるまでもなく、この馬の揺れと穏やかな陽気と単調な景色に起きて居られるわけがない。しばらくは小麦畑や遠くに煙る丘陵や見上げる山並みを眺めて時々プラタと話していたけれど、いつしか瞼が重くなって、そのうちにふつと意識が途切れた。


 ぱちぱちと瞬きをする。

 途切れた意識がまた繋がった。

 同じ陽光、同じ青い空、同じ単調な揺れの中に私は居て、ただ倦怠感だけがさっきよりも膨らんでいる。

 体勢も眠る前と同じで、体の両脇に手綱を取るプラタの手が通っていて、後頭部にはその柔らかな膨らみを、膨らみを――あれ?

「んー? プラタぁ、なんか減ったぁ?」

「お、ニンカ起きた?」

 私の声にこたえて覗き込んでくる深緑の瞳。光に透けていつもより緑が強く映る短めの髪。

「あれ? キコ? あれ? あれあれ? ……キコ?」

 理解が追い付かない。

 私は先刻と同じ格好をしていて、馬で運ばれていて、でも今私が乗っかっているのは栗毛の馬で、キコの細身の体に身をもたせかけていて、――はて、私の記憶にある朝の情景は、果たしてどこまでが本当でどこまでが夢だったのだろう?

 昨日の朝のことを考えると、実はゴブリン退治から戻って以来ずっと寝ていて今ここで初めて目を覚ました……なんて可能性すら浮かんできてしまう。

「ニンカちゃんおはよー。あともうちょっとだよー」

 いつの間にか横をプラタの馬が並走していた。鹿毛の体格の良い牡馬だ。この馬は確かに記憶にある。

「プラタ。おはよ。……ねぇ、私さっきまでプラタの馬に乗ってたよね? ね?」

「あ、私が言ったんだ。ずっとプラタが抱えてて大変そうだったから、ちょっと交代しよっかって」

 プラタに代わってキコが答える。その言葉にちょっとほっとする。

 一方のプラタは珍しくにやにやした笑みを浮かべて、

「キコがねー、『私もニンカのこと抱っこしたい』って言うから渋々譲ってあげたんだよー」

「なっ! そっ……そんなこと言ってないし!」

「なんだぁ。そんなことならいつだって言ってくれればいいのに」

 いつもプラタに負ぶさってばかりで申し訳なかったので、今後はキコにもお願いするようにしよう。

「あ、そ、そう? ……いやいや、違うから。代わってあげただけだから。……まあ、もう何でもいいけど」

 ぶつぶつ言いながら馬を進めるキコ。

 まだにやにやと笑っているプラタ。

 キコの腕の中から周囲を見渡せば左右の景色はどことなく見た覚えのある雰囲気で、なだらかな丘に小麦畑と牧草地が広がって、ところどころに刈り残された雑木林が梢を空に突き出している。道はいつの間にか馬車二台が余裕をもってすれ違える程度まで広がっていて、時折畑仕事に向かうであろう人や、樽や木箱を満載にした馬車とすれ違う。人通りが随分と増えている。

 そのまま丘の道を進んでちょうど上り詰めたところに達すると、変わりばえの無い景色の向こうにちらっと石積みの壁が顔をのぞかせた。

「あー、やっと見えてきたね」

 私の頭上でキコがほっと息をついた。



 キコの腕に抱えられたまま丘の道をゆるゆると下って門を潜った。

 市内に入るとわっと喧噪が押し寄せてくる。広場にたむろする何台もの馬車。行き先を叫ぶ馭者ぎょしゃ蹄鉄ていてつを打つつちの音に食べ物を売る売り子の声。石畳に座り込んで休んでいる人足たちの笑い声。一日離れていただけなのにこの騒々しさが新鮮に思える。

 門の内は基本的に乗馬厳禁なのでキコと一緒に馬を降りる。栗毛の馬体をそっと撫でたら、返事のように尻尾で頭をはたかれた。

 プラタの馬と合わせて二頭、キコが口を引いて門前の金門亭に返しに行く。

 その間に私とプラタは鞍から解いた荷物を整理した。といってもほとんどがプラタのものなのでプラタに押し付けて終わりだ。鍋からカップから敷布シーツから、恐ろしい量の荷物に若干呆れる。

「おまたせ」

 キコが戻ってきて、キコの分の荷袋を渡す。

「じゃあ、報告はニンカ、お願いね」

「いつもごめんねー」

 ギルドへの報告は数少ない私の仕事だ。二人は家の仕事もあるので、アクバリクに戻ったら一旦家に帰らなければならない。

「じゃあ、ニンカちゃん、今度また飲みに行こうねー」とプラタがぶんぶん手を振る。

「たまにはお菓子でお茶とかでもよくない?」とキコは肩を竦めていた。

「うん、じゃあね、またね」

 私もゆるゆると手を振って二人を見送る。

 とはいえ、どうせ報酬の分配をしなければならないのですぐに集まることにはなるし、洗濯しようと思ったらプラタのところに行くので今日この後に顔を見る可能性も十分あったりするのだけれど。

 プラタとキコは南門から右手の市場の方へ、私は北へ伸びる中央通りを真っすぐ進む。

 アクバリクは長方形が右から棍棒で殴られてひしゃげたような形をしている。南が玄関口で、北へ向かえば向かうほど閑静になっていく。

 中央通りがひしゃげて折れ曲がるあたりに噴水のある小さな広場があって、保安ギルドの建物はそこの左手にある。飾り気のない煉瓦造りの二階建てで、横に幅が広く、窓が小さい。

 短い階段を上って硝子の嵌った木戸を開けると、からんからんと乾いた鈴の音が響いた。

 中は暗くて静かだ。

 木戸の硝子と、部屋の高いところに切られた窓から斜めに陽は差し込んでいるけれど、全体的に部屋の色調は暗く沈んでいる。床の木材が黒々と陰気な色をしているのが良くないと私は思っている。

「あっ、ニンカだー!」

 そんな部屋に不釣り合いな明るい声。

 さっきまで乗っていた馬のような鮮やかな栗毛を二本結びにしたロニちゃんがとてとてとてと走ってくる。

 止まるかなと思っていたらそのまま走り続けて私の胸のあたりに頭から突っ込んできた。

「うっ……。ロニちゃん、待った待った」

 意外と力が強くてびっくりする。

「ニンカどこ行ってたのー?」

 ぎゅっと私にしがみついて、上目遣いで首を傾げる。かわいい。

「ゴブリン退治だよぉ。……あ、ローブとかまだ臭いが残ってるから、あんまりくっつかない方がいいよ?」

「そう? いつものニンカの匂いだよー」

 無邪気な笑顔。

 私は少し息が苦しくなった。

 言葉が続かない。

 ちょっと黙って困ったような笑みを浮かべていると、

「おかえり、ニンカ。随分早かったね。ほら、ロニ、ニンカはまだ仕事が残ってるから、はい、離れる、離れる」

 いつの間にか事務室から出てきたリーナさんが受付台の向こうに立っていた。

 はーいと言って一度離れたロニちゃんが今度は後ろにくっついてくる。

 私はロニちゃんを引き連れたまま受付台に向かって、リーナさんに請負票を差し出した。

 もう一通、ギルド保管の請負票と見比べて紙面に指をついて確認するリーナさん。後ろからローブの裾を引っ張るロニちゃん。

「……うん。問題無し。おつかれさま。でも丸一日で終わりって、ニンカもだけど、キコとプラタも相当無理したんじゃない? 大丈夫?」

「私はそうでもないけど、二人はそうかも……」

 基本的に私は運ばれたり担がれたりする方なので体力的には問題が無い。精神的にはむしろ長居すればするほど辛くなる。

「ま、二人ともニンカと一緒だと頑張っちゃうからさ。そういうときはニンカの方から抑えてあげてね」

「……そうなのかな?」

「そうなんだよ。けどまあ、おかげで仕事も早かったし、経費も使わないしでこっちは助かってるからね。その分として報酬には色を付けておくから、二人をたまには労ってあげなよ。……ニンカには言うまでもないと思うけど、ね」

 それは言われるまでもない。私はずっと二人に感謝している。それこそ、してもしきれないくらいに。

 でも、ちょっと豪華なご飯をご馳走するのはとても良いことだ。

「うん、ありがとう、リーナさん。ちょっと贅沢する」

「ん、そうしな」

 リーナさんがにこっと笑った。


 まだ昼日中だけれど「疲れてるだろうから今日は早く帰りなよ」というリーナさんの言葉に従うことにした。

 ロニちゃんの「またねー」という大きな声を背に後ろ手に扉を閉めると、中の鐘の音が少しくぐもって聞こえてくる。

 陽は高い。目の前の広場の噴水は力なく水を吐き出して、水面を微かに揺らしている。

 さっきのロニちゃんの言葉が気になってローブの袖口を鼻に寄せると、やっぱり微かにあの臭いがするような気がする。

 昨日のゴブリン退治のときについたものか、それとも、この臭いはもうずっと私に染みついていて、普段の私が気にしていないだけなのかもしれない。

 手を降ろして、今度は体を伸ばして大きく息を吸う。

 すぅっと鼻で息を吸い込んだ時にも、ふっとあの臭いの残滓を感じた。

 知らず、あの洞窟の情景が思い浮かんできて嫌になる。


 洞窟の中に漂う生暖かい空気がイヤだ。炎の中で生き物のうごめくあの感触がイヤだ。焦げた皮膚と裂けた肉の質感がイヤだ。白濁した眼球と虚ろに開いた口からのぞいた黄ばんだ牙がイヤだ。クケケケェ!クケケケェ!と甲高く響いた声がイヤだ。自身を抱きしめるように縮こまっていた小さな身体や、灰の積もった地面に折り重なって倒れていた身体がイヤだ。それらの情景を覚えている自分がイヤだ。


 だからやっぱり、私はゴブリンが嫌いだ。

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