第七話

 ゴブリンは人間よりも夜目が効く。それは当然のことで、彼らは普段から暗い洞窟に暮らしているし、火を使わない。生活環境は常に薄暗がりの中にある。

 それでも夜行性というわけではない。夜更けには巣穴の洞窟に戻り、眠る。

 今、月は夜明けに向けて下り始めている。

 プラタが組み立てた槍を構えて前を行く。キコもここでは弓では無くなたを持つ。私は杖を構えて、その二人の後ろから静かに歩みを進める。

 山肌に穿うがたれた洞穴に、私たちは斜めに近づいていく。暗闇に隠れていた輪郭が徐々にあらわになってくる。洞窟の開口部は高さがちょうどプラタの背丈程度で、横幅もそれと同じくらい。キコの言っていた通り、確かに大きくはない。

 入口まで残り20歩ほど。そこまで近づいたところでキコがプラタを制して止めた。無言で鉈を洞窟に向ける。

 じっとその先を見つめると、――居た。

 眠っている。

 入口の向かって左手側、洞窟の壁面に身を持たせかけてゴブリンが一体、細い手足を畳んで眠りこけている。月明かりに照らされた肌が濡れた石のようにも見える。

 ゴブリンは2、3匹で行動することが多い。右手側は私たちの進行方向なので隠れていて見えないけれど、おそらくそこにも居るはずだ。

 キコが振り向いて、私の耳元に口を寄せる。

「ニンカ、ここからでいい?」

 私は頷く。

 洞窟の入り口がしっかりと見えれば、距離はそれほど問題じゃない。

「大丈夫。二人とも下がってて」

 キコとプラタが頷き返す。

 二人がそれぞれの武器を構えたまま私の後ろへ回り込んで、代わりに私が一歩前へ出た。

 入口近くで寝ているゴブリンがちょっと面倒だけれど、居るものは仕方がない。あれを外へ逃がさないようにすることを第一に考える。

 両の手に持った短剣ほどの長さの2本の杖、その先端を軽く合わせる。金属製で、芯の材質は精霊銀せいれいぎん。高級品だ。そして先端側は鈍い色をした炎生鉱えんしょうこうで表面を覆ってある。

「いくよ」

 小さく呟いて、ヂヂッっと2本の杖を思いきり擦り合わせる。

 瞬間、火花が闇夜を裂いた。

 炎生鉄鋼同士の摩擦で生まれる膨大な火花。それがあたり一面にぱっと広がり、周囲を瞬時に明るくする。

 その生まれた火花を私は全て"掴まえる"。

 ふわっと感覚が広がっていく。私の身体が一回り以上も大きくなったような錯覚に陥る。私は、私の掴んだ火花を、私の周囲に漂う火花の一つ一つを私の一部と認識している。

 だから、まるで自然に腕を伸ばすように、その火花のいくつかを洞窟の入り口にすっと進めることができる。そこで火花を大きく"広げ"て、洞窟の入り口を覆うような炎の壁にすることができる。

 熱気に洞窟の中のゴブリンが目を覚ましたのだろう、キィッっと耳を裂くような甲高い声が響いた。けれど、その姿は私の"広げた"炎の壁に遮られて見えない。もう外に出てくることも出来ない。

 これで蓋は完了。

 次は、中だ。

 炎の壁を維持したまま、残っていた火花を小さな火球状にして洞窟内に送り出した。

 火球は洞窟の壁面をなぞるように進み、分岐では分かれ、横穴を埋めて、最奥を目指す。ちょうど木のうろに手を差し込んで、手探りで中の鳥の巣を探すような感覚に近い。火球のなぞった道は私にそのまま伝わってくる。

 何匹かのゴブリンを掠め、置かれた木の実や肉片を焦がしながら洞窟内を這いまわらせれば、比喩では無く、手に取るように中の構造がわかる。

 奥行きは浅い。50歩も無い。

 横穴が二つあるが、両方とも短い行き止まり。

 入口は既に炎で塞いだ一カ所だけ。

 これで文字通り、私はこの巣穴を掌握した。

 洞窟内からの声が大きくなってきている。ギッ!ギッ!という短い、恐怖するような声。クケケケェ!クケケケェ!という声には何かしら悲痛な、哀願するような響きが混じっている。

 ――本当に、嫌な声だ。

 だから、素早く終わらせる。

 内部に数多あまたある火球を、塗りつぶしの無いように隅々に配置する。最奥部から横穴の奥まで、点々と、間隔を空けて綺麗に。

 そして、それらを一気に"広げる"。

 みっしりと空間を満たすように。そう、――塗りつぶしの無いように、隅々まで。

 私の炎の中に洞窟内の全てが飲み込まれる。

 逃げ惑うゴブリンたちが飲み込まれる。

 彼らの集めた食料や食べかすや、棍棒や石斧や、異形の家具のようなものや、何かの骨や藁の束や、そういった諸々が飲み込まれる。

 手の中で蟻が這いまわるように、炎の中で何かが動く感触があって、それらが一つ、また一つと動かなくなっていく。

 響いていた声は途絶えた。

 洞窟は入り口から赤々とした明かりを吐き出しながら沈黙している。

 さっきまで感じていた炎の中の感触、動くものの感触が完全に無くなって、その後に念のためもう少しだけ燃やし続けてから私は洞窟内の火球を全て"閉じた"。

 煌々と輝いていた赤い照り返しが消えて、私の周囲に冷たい夜の色が戻ってきた。同時に、炎が消えた洞窟内へ風がごうごうと大きな音を立てて吹き込んでいく。きっと色んなものが無くなった洞窟の空虚を埋めるために、こうして風が中に何かを運んでいるんだろうと私は勝手に思っている。

 その風の流れが止まって、周囲に静けさが戻るのを待ってから私は振り向いた。

「はい、おしまい」

 演技を終えた軽業師みたいに杖を持った両手を上げる。

「おつかれ」

「おつかれさまー」

 プラタはぱちぱちと拍手をして、キコがまた私の頭をわしわしっとかき混ぜる。意外とキコは撫でたがりだ。別にいいんだけど。

「毎度ながら鮮やかだね。ニンカはすごいよ。本当に」

「あっという間だからねー」

 うん、自分で言うのもなんだけれど鮮やかであっという間だ。

 準備はともかくとして、かかった時間はたぶんアクバリクの五番鐘ごばんがねの鳴り始めから鳴り終わりまでの時間より短いと思う。

 士官学校の教官には「君はが上手すぎる」と言われたこともある。それは多分、半分以上は褒め言葉ではなかった。

 良くも悪くも私はがとても得意で、ただそれだけのこと。

「ほら、そろそろ冷めてきてると思うから中を検分しないと」

 炎は高温だけれど、短時間で消しているから意外とすぐに冷える。

「そうだね。まだ面倒な作業があるしね」

 はぁっと大きくため息をついて、キコが歩き出す。

 私は傍らで一つだけちりちりと残していた火花をぎゅっと"引き絞って"明かりにして、キコの手前に浮かせた。赤々とした輝きではない、ふわっとした柔らかな黄色い光だ。

 洞窟の入り口付近から地面は草むらから岩場に変わっている。近づくと、その岩に黒々とした焦げ目が残っているのがわかる。

 洞窟からは生ぬるい空気が流れ出してきていた。私たちはキコを先頭にしてその空気の中に潜り込んでいく。

 途端にあの臭いが鼻についた。

 入口に寝ていたゴブリンは居なかった。炎に起こされて、どこか別の場所で燃え尽きたのだろう。奥へ少し歩いた先に一体、自身を抱きしめるように手足を縮めた黒焦げの小さな体が倒れていた。焦げた皮膚はところどころが剥がれて、白く変色した肉を覗かせている。傍らにはこれも炭化した棍棒と思しきものが落ちている。キコがその小さな体につかつかと近づいて、鉈で左耳を切り落とした。

 再び奥へと歩みを進める。天井が低くなってきて、キコとプラタは少し身を屈めている。

 腕を枕にして眠るような恰好で倒れているゴブリンが居る。足の間に頭を挟んで丸まった形のゴブリンが居る。壁に両手をついて万歳をしたままこと切れているゴブリンが居る。私の灯す柔らかな光が、それらことごとく焦げて動かないゴブリンたちを照らし出す。

 藁の寝床だったのだろう、灰が溜まったところがある。机のような木組みが傾きながらも立って残っている。崩れた何か動物の骨。それと、集められた光物たち……馬の蹄鉄。金属のボタン。鉄の輪っかは多分桶のたがか何か。

 洞窟の中はあの臭いに満たされている。

 火の通った肉の臭いでもあり、生暖かい臓物の臭いでもあり、熱せられた油の臭いでもあり、焦げた木の臭いでもあり、香ばしい穀物の臭いでもあり、金属の焼ける臭いでもあり、――そのどれでもない。

 これは生活の臭いだ。

 そこにあった一つの生活が焼けたときの臭い。

 私が焼いたときの臭い。

 ――少しだけ吐き気がする。

 俯いて、ぎゅっと唇を噛み締める。そんな私をプラタは見過ごさなかった。

「ニンカちゃん……、別に、外で待っててもいいんだよ?」

 耳元に触れるくらいに口を近づけて、そっと囁いた。

 私はゆるゆると首を振って答える。

 キコは倒れたゴブリンを見るたびに近づいて、鉈を振るって死体の左耳を落としていく。そのキコの後ろを私たちはついて歩いている。

「でも……」

「大丈夫だよぉ。ちょっと臭いが苦手なだけだから」

 プラタの顔を見上げて苦笑いをする。

 プラタは――たぶんキコも――勘違いしていることがある。

 退治の後に私が口数少なくなるのは、俯いていたり、ちょっと考えこむような素振りを見せたりするのは、何かしら悲痛な感情をこらえているからで、それはこの燃やしたゴブリンたちへの同情なのだと思っている。二人とも優しいから、周りの人間もそういう感性を持っていると自然に考えてしまっている。

 それは、違う。

 私は本当に、ただ単純に、この臭いがとても嫌いで、――そして少しだけ、ほんの少しだけ、この臭いが嫌いな自分が好きで。

 だからこうして灰を踏みしめながら洞窟の中を歩いている。私の放った炎の結末を見届けるために。

 さくさくと炭や灰が足下で崩れる。ほのかな温かみが革靴の底を通して伝わる。

 どつっと鈍い音でキコがゴブリンの耳を切断する。プラタは胸に手をあてて佇んでいる。

 ふと、この後始末という行為はどこか敬虔な儀式と似ているような気がした。


 最奥では5体のゴブリンが折り重なるようにして倒れていた。その一つ一つをキコが掴んで引きはがす。耳を切ろうとキコが頭を掴んだ時、こっちに顔が向いて白濁した眼球と目が合った。キコが鉈を振るってどつんと耳が落ちる。死体はキコの手を離れて、灰の積もった地面に静かに横たわる。

 5体の内3体は子供だった。残る2体がその親だったのかもしれない。

「ふぅ……これで全部かな?」

 キコが大きく息を吐いて、手の甲で額を拭う。汗が滴っている。洞窟の中は余熱で温まった暖炉と同じだ。プラタは平気な顔をしているけれど、私もローブの下は汗だくになっている。

「24個。巣穴の規模としてはこんなもんな気がするし、漏らしは無い、かな?」

 キコが手元の布袋に目を落としながら言った。

「大丈夫だと思うなー」

 プラタの声に合わせて私も頷く。

 うん、とキコも頷いて、それから入り口の方を指差した。

「それじゃ、撤収だね」



「寒っ。いやいや、だめだめ、これは風邪ひくって」

 先頭で洞窟の外に出たキコが両手で身体を擦りながら戻ってきた。入口付近は外の空気が入って来て、私も首筋から入る冷気に肩をすくめる。ローブの下の半乾きのシャツがみるみる冷えてきた。

 急いで杖を叩き合わせて火花を散らして、そのうちのいくつかを小さい火球にして浮かべる。

「キコー、ほら、これ。火だよ、火」

「おおお、ニンカさすがぁ。ありがたや、ありがたや」

 そのうちの一つに手をかざして暖を取るキコ。私も同じようにして身体を温める。

 一人余裕の表情のプラタはがさごそと荷袋を漁っていて、あったあったと何かを奥底から取り出した。

「ふふふふ、じゃじゃーん」

 含み笑いをしながら差し出した手には二本の瓶と三つのカップ。一本は私の飲みかけの葡萄酒で、もう一本、小さい方は澄んだ黄金色の液体が半ばまで入っている。

「これ、葡萄酒は私のだけど、こっちは何? 綺麗な飴色……。火酒かしゅでもなさそうだし、……蜂蜜酒?」

「あったりー。さすがニンカちゃん。出てくる前にドーフィットさんとこで分けてもらったんだ」

 瓶とカップを地面に置いてから、さらに布切れを人数分取り出して各々の座るところとする。つまりこれは酒宴である。

「ニンカちゃんはこのままでいいだろうけど、キコにはこれねー」

 プラタの袋からはいろんなものが出てくる。革の水筒。布でくるまれたチーズと白パン。それと、酒瓶ではない、もっと背の低い小さな瓶。

「んー? プラタ、これはなに?」

 キコが瓶を手に取って、火に翳して中身を透かす。

「さっきの夕食後に出てきたキイチゴのジャムだよー」

 各々敷かれた布に座って、プラタが三つのカップに飲み物を注ぐ。

 割らない葡萄酒。これは私。

 キコは蜂蜜酒の水割り。

 プラタも葡萄酒だけど、こちらも少し割っている。

「じゃ、ニンカちゃん、火を一つ降ろしてもらっていい?」

「ほいほーい」

 言われたとおりに小さな火球を一つ降ろして私たちの真ん中に据える。プラタがそこにカップを寄せて飲み物を温め始める。

「あー、いいね。うん、今は温かいほうがいい」

 しみじみとしたキコの声。私も同感で、陶製のカップにじりじりと遠火があたっている様子を見ているだけでもなんだか温かくなるような気がする。

「こんなもんかなー。じゃあ、仕上げ」

 木べらを取り出したプラタが、蜂蜜酒の入ったカップにキイチゴのジャムをたっぷり入れてそれを念入りに混ぜる。

「あー、そう来る。ちょっと、プラタ天才でしょ……そんなの美味しいに決まってるじゃん……」

 既にキコが蕩けたような声になっている。

 甘さに甘さをぶつけたまさにキコ向けの飲み物。味を想像するだけで私は胸焼けがしそうだ。

「はい、お待たせ―。どうぞー」

 湯気の立つカップが前に置かれて、ぷんと華やかな香りが立つ。両手でそっと包むようにして持って、息を吹きかける。私は基本的にいろんなものに弱いので、例によって猫舌だ。

 隣で幸せそうにカップを傾けていてるキコは酒精しゅせいのせいか、火球の明かりのせいか、だいぶ頬が赤くなっているように見える。

 穏やかな笑みを浮かべながらカップを口元に運ぶプラタ。

 火の明かりの下で見る葡萄酒は黒々としている。口をつけると温められて強くなった香りと酒精がふわっと喉から鼻にまで広がって、さっきまで感じていたあの臭いがずっと遠くに離れていった。

 口の中で転がして、喉を滑り降りていけばお腹の方から熱が出てくる。

「美味しい……」

「ねー、こうして飲むお酒もいいよねー。……はい、ニンカちゃん、これもどうぞ」

 プラタが渡してくれたのは火であぶったチーズを白パンで挟んだ簡素なサンドウィッチ。

 かぶりつくと口の中でチーズがとろけて優しい味わいが広がって、これが美味しくないわけがない。

「ニンカー、これも一口飲んでみなよ。本っ当に美味しいから。ほんと、ほんと」

 今度はキコがずいっとカップを私の方に押し出してくる。炎の照り返しとかではなく、明らかに顔が赤らんでいる。

「えー、それ、私には甘すぎない?」

「甘すぎない。大丈夫。たとえ甘すぎたとしてもそれはつまり旨すぎるってことだから、大丈夫」

 力強い言葉だ。何が大丈夫なのかはさっぱり解らないけど。

「いい? ニンカ。甘いは旨いなんだよ? お肉も野菜も果物も甘ければ甘いほど旨いんだから。ほら、はい、これが真理」

「偏った真理だなぁ……。まぁ、そこまで言うならちょっと試しに飲んでみるけど」

 受け取ったカップからは蜂蜜とキイチゴの濃厚な甘い香り。恐る恐る口に含むと確かに強烈に甘いけれど、嫌な甘さじゃない。濃くて優しい味。それがすとんと胃に落ちて、身体がそこからぽかぽかと温められる。

「あ……、これ美味しいかも」

 もう一口すする。

 甘い。

 その甘いが美味しい。

「ほら! でしょ? でしょ? 甘いは美味しいんだよ。特に疲れた時には、ね」

「うん、侮ってた……。甘いの美味しいや」

 ほらやっぱり、と言ってキコが嬉しそうに笑う。

 プラタも私たちを見て微笑んでいる。

 蜂蜜酒は甘くて温かくて美味しくて、頭上に吐き出した息が少しだけ白くて、見上げる夜空の高みに月がまだ残っていて、

 ――ここにこうして三人で居られて良かったと私は思った。

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