第五話

「へぇ、こんなものを使うんですねぇ」

 骨笛ほねぶえを手に持ってくるくる回しているおじさんが一人。

 黄色い外套マントを広げて持っているおじさんが一人。

 顎に手をあてて、それらを眺めてるおじさんが一人。

 都合三人のおじさんが部屋にいる。

 一番大きな家はやはり名主みょうしゅの家で、ここはその応接室にあたる部屋だ。――と言っても床は地面を踏み固めた土で、天井ははりがむき出しの田舎の農家そのものである。この無骨な感じが思わず故郷を思い出させて、ちょっと懐かしい感じもする。

 道具を持ってるおじさんたちに対して、それを顎に手をあてて感心したように眺めている30代半ばくらいのおじさんが名主の人で、名をサリックス・ドーフィットさんという。整った口髭、羽織っている白いシャツも襟の細工が細かい良いもので、腰には紋入りの短剣を吊っている。ドーフィットの家名は知らなかったけど、貴族だ。おそらく四男とか五男あたりで、家督を継ぐ権利も無く家を出され、自分の領地を求めて放浪する、いわゆる開拓貴族と呼ばれる類なのだろう。家名がそのまま集落の通称になっていて、このまま定着できればここはサリックス・ドーフィット家の領地ということになる。

 なお、その他のおじさん二人はドーフィット家の使用人をしていて、サリックス氏が家を出るときに一緒についてきたそうだ。名前も紹介されたが一瞬で忘れた。私は覚えていないと危ないとか、困るとか、必要とか、そういう要求が無い場合には人の名前を覚えることができない質である。

「あの骨笛の音がゴブリンの警戒感を煽るんですよ」

「ふむ、なるほど」

「私はこうやって杖を打ち鳴らして金属音を出しました。これも警戒させる音ですね」

 ちーんと杖を合わせて実演して見せる。ドーフィット氏はふんふんと頷いて聞いている。貴族にしては意外と物腰が柔らかい。

「彼女、プラタの声は警戒というよりは興味を惹く音です。これらの音でゴブリンの注意を惹きつつも、過度に近づかれないように、遠巻きに見るように仕向けるわけです」

「すると、この黄色い外套にも意味があるんだろうね?」

 彼が指を差すと、外套を持ったおじさんが一歩進み出る。

「これは外套を広げてこちらの身体を大きくみせるためです。黄色なのは、一説によるとどうもゴブリンは黄色を警戒する傾向があるらしい、ということで選びました。とにかく、ゴブリンにこっちを認識してもらうこと、警戒してもらうことが必要で、そして最後には巣穴へ逃げ帰ってほしいんです」

 もっともらしく説明しているが、いずれも根拠はない。経験則というか、騒いでたら見つかるだろうし、怪しかったら近づかないだろうし、黄色でうぞうぞしてたら怖いだろうというくらいの考えである。私にゴブリンめいた友人がいれば「このあたり本当のところどうなの?」と聞いてみたいところだけれど、生憎というべきか幸いというべきか、今のところゴブリンめいた友人はいない。

「なるほど。それで今はキルヴェスさんのお仲間のもう一人がゴブリンを追跡している、と」

「そうです。巣穴さえ見つければ、あとは私の魔術でなんとかなりますから。早ければ今夜中には終わるかと思います」

 既にギルドの請負票と紹介状は渡してあって、私たちが今回の討伐担当者だということは伝えてある。

 いや、そもそも彼はニンカ・キルヴェスを知っていたように思える。初めてのところで女性三人で討伐に来ましたと挨拶すると大抵「何の冗談か」みたいな顔をされるのだけれど、彼からはそんな気配は全くと言っていいほど感じられなかった。

「今夜中……それはそれは……」

 ドーフィットさんはちょっと驚いたように言葉を途切れさせた。

「こちらで目撃された場所や、いくつか洞窟のありそうな場所をご案内させるつもりだったのですが……。いやいや、キルヴェスさんたちがゴブリン退治の名人だという話は聞いていたんですがね。噂以上でした」

 ――ああ、やっぱり。

 噂になること自体は悪いことではないけれど、私は人に期待されるとダメになる系統の人間なので、こういうのは非常に困る。

「いえいえ、まだ退治はこれからですから……。それで、その……できればどこかで一度準備や荷物の整理を行いたいのですが……」

「ああ、そうですか。そうですね。これは失礼しました。……用意の部屋へ案内して差し上げなさい。では、また。後程」

 ドーフィット氏の言葉に応じて、骨笛を持っていたおじさんが私たちの前に出た。

 応接室から家の外周を回る廊下をぐるっと歩いて突き当りの部屋に通される。この家は外から見ても大きかったが、中に入るともっと大きく感じる。造りが田舎風なので単なるでかい農家と思っていたけれど、とんでもない。普通に豪邸だ。

 鍵付きのドアを開けると中は木床で、厚手の絨毯まで敷いてある。先ほどまでの応接室とは違って随分とちゃんとした部屋だった。壁沿いに寝台ベッドが4つ並んでいて、中央の大きなテーブルには真っ白の布地がかけられていた。

「それでは、また食事の際にお声がけします」

 そう言って頭を下げたおじさんが部屋のドアを閉めた瞬間、

「つ! か! れ! たああああああー!」

 私は頭から寝台に倒れこんだ。幸い敷布シーツは清潔で、プラタが出発前に懸念していたようなことはない。

「はいはい、ニンカちゃんお疲れ様だよー」

 プラタが私の寝そべる寝台に腰かけて、いい子いい子と頭を撫でてくれる。

 私は全身の力を抜いてぐでっと弛緩しかんする。敷布の下はおそらく藁布団だろう、ちょっとごわごわしてるもののそれほど気にならない。ほんのり日差しの匂いがする。

「でもニンカちゃん、ああいうときにちゃんと喋れるから偉いよねー。普段はすっごい人見知りなのに」

 プラタが感心したように言うけれど、これは誤解だ。別に偉くはない。

「あのね、プラタ、さっきみたいなのは疲れるけど喋れないことはないの。喋る内容が決まってるから」

「決まってる?」

 首を傾げるプラタ。

 プラタみたいな天然かつ天真かつ爛漫らんまんな人間には人見知りのなんたるかがわからないのだ。

「そ。例えばさっきだったら私たちの奇行がなんだったかを説明すればいいだけだから、あんまり考える必要が無いの。そういうのはね、人見知りにとってはわりと楽な方なの。仕事みたいなものだから。しんどいはしんどいけど、まだ無理じゃない」

「ふむー?」

「問題はね、話題が何も決まってないときなの。世間話とかいうやつ! あれはもう無理! 無理! 無理! あー、この後の食事とかホントやだよぉ……。プラタぁ、私、薄ら笑いだけ浮かべて黙ってていい? 私、不気味な薄ら笑いにはちょっと自信あるんだ」

「えー、ダメだよー? 相手貴族さんなんだから、むしろ私とキコは別室になる可能性だってあるよ?」

「うぇっ!?」

 言葉に詰まる。

 ――これは、あり得る……!サリックス・ドーフィット氏が世間体にこだわる貴族なら、そういうことも十分にあり得る……!

 私が単なる平民のギルド員であれば、「あ、食事は部屋に運んでください」で終わることだったのに、なまじっか身分だけは貴族扱いなので、ここで部屋に引きこもっていると「社交を拒否した失礼なヤツ」と受け取られてしまう可能性がある。

「うああああー、もうまじめんどくさい……いっそナメクジになりたい……」

 頭を抱える。ついでにローブのフードを深く被って寝台の上をごろごろ転がる。

「ニンカちゃんがナメクジになるなら私もなるよー」

 プラタも私の隣でべたっと寝そべった。

「いっそみんながみんなナメクジになっちゃえばいいのに……」

「そうだよねー。それも一つの幸せかもしれないよね。なめーっ」

 二人そろってなめなめ言いながら狭い寝台の上で右へ左へ転々としたり、ぶつかったり離れたりする。

 次第に二人の呼吸が合ってきて、今度は身体を揃えて転がりだす。右に二回転、そこから逆に三回転、また右に一回転で、体を揃えて最後は真ん中でぴたりと停止。

「おぉ、今のはいい感じじゃない? 芸術点高くない?」

「呼吸ぴったりだよー」

「よし、完成度上げていこう!」

「……二人とも、何してんの?」

 よくわからない勢いで盛り上がっているところに、頭上から呆れたような声が降ってきた。

 いつの間に入って来てたのか、人影が寝台の傍らに立って二匹のナメクジを見下ろしている。

「キコ―!」

 すかさず身を起こして人影にがばーっと抱き着く。

「わわっと、もう……ニンカは寂しがりだなぁ」

 よしよしと頭を撫でられる。その余裕、その油断を見逃さない。プラタにそっと目で合図をして、キコの胴に回した両手に力を込める。

「キコもナメクジになれっ!」

「なれー!」

「おわわっ」

 いかなキコと言えども、私とプラタの合わせた力に抗うすべなどない。ぐっと引き倒して、狭い寝台に三人ぐでっと横になる。

 寝っ転がりながら「なめーっ! なめーっ!」と勝鬨かちどきを上げる私とプラタのナメクジ勢。

「……いや、ほんと何してんの?」

 それは私も知りたい。


「というかそんなことしてないで今夜のことを打ち合わせるよ」というキコの非常に建設的かつもっともな意見を受けて、私とプラタも寝台から起き上がることにした。

 さっきまでナメクジ化していたとは思えないくらいにプラタがてきぱきと動いてテーブルに残り物の葡萄酒やお茶を並べ、お茶会兼作戦会議とする。いつしか外は日が暮れはじめていたので、私も火打石を擦って火を灯す。ロウソクは勿体ないので、テーブルの上にお昼に使った鍋を置いて、そこに握りこぶしくらいの火球を浮かべておくことにした。

「とりあえず、キコはお疲れ様だねー。はい、お茶どうぞ」

 カップにお茶を注いで差し出すプラタ。

「うん、まぁ、意外と近かったからね、大したことなかったよ。あ、お茶ありがと」

「いやぁ、無事でよかったよぉ。はい、葡萄酒どうぞ」

 カップに葡萄酒をちょびっと注いで差し出す私。

「ニンカはいつもいつも心配しすぎ。あとお酒はいらないからね?」

「なにぃー、私の注いだ酒が飲めないってのかぁー」

「飲まないよ。というかプラタはなんで酒瓶だしてるのさ……。ニンカ素面? この後退治に行くんだからね? わかってる?」

「うーん、景気づけにちょっとならいいかなーって」

 頬に手をあててちょっと困ったようなプラタ。まあ、さっき私が無理を言ったせいなのだけど。

「出してって、私がプラタに言ったの。ほらほら、巣穴に行くのが夜更けだったら、今ちょびっとくらい飲んでもその頃には酒精も抜けてるかな……って」

 言いながら、私は人差し指と親指で「ちょびっと」を表現する。

「だーめ。ニンカがもし酒精のせいで少し炎を強くし過ぎたりとか、変なところに広げちゃったりとかしたら、それだけで大惨事なんだから。いい? 安全第一だよ?」

「あう……」

 そう言われると返す言葉も無い。

 時々忘れてしまいそうになるけれど、私の魔術はそういった性質のものだ。

「ん……。そうだね。……ごめん、気を付ける」

 浮かべた火球がすこし揺れる。

 火の恐ろしさは身に染みているはずなのに、この三人でいるとどうしても甘えてしまうところがある。

「いや、その……、責めてるわけじゃなくて、さ。もし何かそういうことがあったら、一番悲しむのってニンカじゃん。私はそういうの、いやだし……。ほら、とりあえず今はこれで我慢して、お酒は終わってから、ね」

 そう言ってキコはポケットから革袋取り出して私の手に押し付けた。豆菓子を入れた袋だ。底の方にまだ少しだけ残っている。

「うん、ニンカちゃん、終わった後に浴びるように飲もう?」

「キコ、ありがと……。うん、そうだね。そうする。終わってからにする。浸かる。湯船ひたひたにして、浸かる」

「ニンカちゃん小柄だし、大樽一つ買えば十分そう。うちの使ってる洗濯盥せんたくだらいとかなら湯船にちょうどいいかもー」

 言い出した私も私だけど、プラタが具体的過ぎてちょっと怖い。

「え、なに……? 浴びるとか浸かるって本気の話なの?」

 キコの声にも若干の怯えが混じっている。

 ――やらないよ? もったいないし。……たぶん。

「はぁ……、まあニンカが自分のお金でやるなら何も言わないけど……。じゃなくて! いい? 本題に入るよ?」

「はあい」

「はーい」

 キコが仕切りなおすように一度咳ばらいをする。

「とりあえず巣穴は見つけてある。目印もつけてきた」

 うん、さすがキコ。仕事が早い。

「場所はここからどれくらいー?」

 プラタが尋ねる。

「そこそこ近いよ。半里はんりも無いくらい」

「それはいいねー」

 うんうんと頷くプラタ。

「洞窟?」

「うん、洞窟。廃坑とか試掘坑とかそういうものでもなさそう。リーナさんも言ってたけど、多分天然の洞窟だね。だから奥がどうなってるかはちょっとわからない」

「ふむう」

 私はちょっと唸る。

 坑道なら構造にある程度予測がついて楽なんだけど、洞窟だと奥行きが広かったり、天井が高かったり、あるいはどこか別の口があったりして面倒な場合がある。事前に中に入るわけにもいかないので、出たとこ勝負で行くしかない。

「ま、雰囲気からするとそんなに大きくは無いと思う。入口は幅広だけど、天井は低いし。群れの規模もやっぱり少なそう。しばらく巣穴を見てたけど、出入りも少ない。多分、30は居ない。いつも通りの流れでいけると思う」

 そこで言葉を切って、キコがカップを傾ける。

「道はどんな感じなのー?」

「ある程度藪は払ってきたから、そんなにきつくないと思う。傾斜もそれほどでもない。ニンカを背負っても余裕じゃない?」

「りょーかーい」

 そんなにきつくないって言いながら、私が歩くという選択肢は無いらしい。運ばれる前提なのはちょっとどうかと思う。私だって頑張ったら踏破できる可能性はきっとある……ような気がしないでもない。

「もうそろそろ日没だから、これから軽くご飯を食べて、休憩してで、出発は月が半分昇ったころでいいんじゃないかな」

 キコが窓の外に目を向ける。山裾の集落は日暮れが早い。空の上の方に少しだけ橙色の明かりが残っているけれど、窓外の景色はもうそのほとんどが薄暮に沈んでいた。

「時間はそれでいいと思うなー。そういえば、ご飯は時間になったらってここの人が言ってたけど、いつなんだろ?」

 プラタがのんびりと言った言葉に、はっと胸を突かれる私。

「うぅ……晩ごはん……かぁ……」

 忘れていた。この後に待つ地獄を。

「ん? どしたのニンカ。お腹でも痛いの?」

「お腹痛ぃ……。キコ助けてぇ……」

 お腹を押さえて、わざとらしくテーブルに顎をつけてうずくまる。わざとでもこうしているとなんだか本当にお腹が痛くなったような気になる。

「助けるの? お腹を? 薬なんて持ってないし……さすってほしいならさすったげるけど……」

「怖い……ご飯が怖いの……」

「ちょっと、大丈夫? いつも以上に意味不明なんだけど……。これ、どうしたの? プラタは知ってる?」

「えっとねー、ドーフィットさんって貴族じゃない? ニンカちゃんは、ほら、社交性とかそういうのを捨てちゃってるからねー」

 プラタのざっくりとした説明が毎度ながらひどい。合ってるのだけど、ひどい。

「ああ……、そういう……。別にいいじゃん、あの人。挨拶くらいだったけど、貴族にしては高慢ちきな感じしなかったし、ちょっとご飯食べながら喋ってくるくらい」

 キコはさらっと言うが「ちょっとご飯食べながら喋る」という苦行の内容をちゃんと理解しているのか甚だ不安になる。

「あのね、キコ。キコはそういうけどね、ご飯食べながら知らない人と世間話するってすっごい大変なんだよ? たとえばこれからドーフィット氏とご飯を食べるとしてさ、どうする? いきなり『いや、しかしゴブリン退治にこんな美しい貴婦人がいらっしゃるとは予想もしていませんでしたよ。こんな出逢いがあるとわかっていたなら、王都から一流の料理人を呼び寄せておくべきでしたね。ハハハハハ』とか言い出してきたら。話続けられないでしょ? こんなのもう薄ら笑い浮かべて『にへへへ……』とか返すしかないよね?」

「いやいやいや、今の私がその『にへへへ……』状態なんだけど? なんなの? ニンカは想像力の化物か何かなの?」

「魔術でご飯食べてる人ってみんなこんな感じなのかなー?」

 おかしい。どうも賛同されてる雰囲気ではないし、むしろなんか失礼なことを言われている気がする。

「ええぇー。世間話ってこんな感じでしょ? ほら、会話ってよく決闘に例えられるよね? 相手がどういう攻撃を繰り出してくるかを読んで、適切な反撃をするんだって。でもさ、決闘って火球を飛ばしてきたりとか、地面を陥没させてきたりとか、宙に浮かべた剣で斬りつけてきたりとか、見えない力で首を捩じ切ってきたりとか、選択肢は無限にあるし、つまり、世間話にも無限の可能性があるってことだし、そんなの適切に対応できるわけなんてないし……」

「わかった、わかった、わかった。決闘には普通例えないし、例えたとしてもそんな選択肢にはならないし、選択肢の殺意の高さにちょっとびびるけど、わかった。ニンカが難儀なのはよくわかった」

「すごいねー。魔術師脳だねー」

 おかしい。賛同されてるのかもしれないけれど、なんだか言葉の端々に哀れみが込められているように思える。

「ま、とりあえずさ、これからゴブリン退治に行くんだし、三人で打ち合わせをしながら軽く食べますって伝えればいいんじゃない? そうすればここで食べられるでしょ」

「うわ……なに……キコ、ひょっとして天才だったの?」

 なんという完璧な理論武装。つけいる隙も無い。これであればさしものサリックス・ドーフィット氏も美しい貴婦人との会食を諦めざるを得まい。

「うん、まぁ、天才でもなんでもいいけど。もうご飯の時間も近いだろうし、早く伝えた方がいいと思うよ?」

「そうだねー。お呼ばれする前に伝えておかないとねー」

「そ、そうだよね。早く言ってあげた方がいい……よね?」

 私もそう思う。ただ、プラタとキコに目をやっても二人が動き出す気配は無い。

「……よね?」

「うん」

「だねー」

 二人が動き出す気配は無い。

「……はい、行ってきます」

「うん」

「だねー」

 そういうことになった。

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