第四話

 唐突だけれど、すこし魔術の話をしようと思う。

 魔術は魔力を使って行使される。これが常識である。常識ではあるが、単に「魔術を行使するために必要となるであろう力」に「魔力」という名前を与えただけで、実際のところ魔力というものがどんなものなのかについては全く解明がされていない。

 仮説はいくつもある。この世界が生まれたときから溢れている力だとか、大地の奥底で発生し吹き出してくる力であるとか、生物の血液に含まれる何らかの成分が生み出す力だとか。その他もろもろ。

 そんな数多あまたある仮説の中で、私の一等気に入っている説が「力の幽霊説」というものである。

「力の幽霊説」においては、「全ての力には無駄が発生している」ということが前提条件となる。

 例えば、机に置いてある鍋を手で横から押したとして、その力は全て鍋の移動に使われるわけではない。机の表面を削ったり、熱を出したり、手のひらを押し返してきたり、様々な用途に分散される。その分散の中には何にも使われずに消えて行ってしまった力があるのではないか? というのがこの説の肝だ。

 何にも使われずに消えて行ってしまった「力」。それこそが魔力の基である。つまり、魔力の大きい人間というのは、通常のすべての行動において消失する力が大きい。そして、その無駄に消失した力をこそ魔力として活用することができるのだ。

 故に、魔術が得意であればあるほど、普通の運動で消費する力が膨大になるという理屈である。

 私は自慢ではないけれど、魔力が大きいとされる人間である。つまり「力の幽霊説」によれば、歩くにせよ、何かを持ち上げるにせよ、起き上がるにせよ、普通の人に比べて余分に力を使わなければならないのである。


 という話を私はプラタの背負子しょいこに背負われながら滔々とうとうと語っていた。

 なんだかいい雰囲気で山道を登っていた私は、結局残りの2ちょう[約200m]の半分も行かずにへたばった。足をぷるぷるさせながら悲痛に呻いているところをプラタに回収され、こうして今は馬上の人ならぬプラタ上の人だ。

「ニンカのその話、聞くの何回目だっけ?」

「ん-、覚えてないけど、4,5回じゃないと思うなー。力のゆーれいさん。なかなか面白いと思う」

「私もまぁ、なんか屁理屈としてはかなり気合入ってて嫌いじゃないけど。というか、この説って本当にあるんだよね? ニンカが作ったんじゃなくて?」

「あるよ!? ちゃんと魔術研究会で発表されて、論文として本にも載ってるんだよ?」

 ただし「精霊起源説」と同じくらいのキワモノ扱いされているため、魔術師界隈では見向きもされていないことは黙っておく。

「まぁ、世の中にはニンカみたいな人が他にもいるってことだね」

「いやいや、この説を提唱した人は別にそんな自分の身体能力の無さを嘆いて書いたわけではないよ? ……たぶん」

「その言い方だとニンカちゃんは嘆いていることになるようなー?」

「うっ……」

 こう話している間もプラタは背に私と荷袋を負い、手元にも荷物を詰め込んだ袋を持って息も切らさずに登っている。かたや私は背をプラタに預け、いたずらに足をぷらぷらさせているだけだ。ちょっとは嘆いてもいいと思う。

「はい、到着ー」

「とうちゃくー」

 キコとプラタがそろって声を上げ、足を止める。

「ニンカちゃん、降ろすよー」

「はいな」

 プラタが腰を落として、私は背負子からすいっと降りる。まだちょっと足がぷるぷるする。こういう時に長い杖でもあればいいんだろうけれど、私の杖は特注品でせいぜい短剣ぐらいの長さしかない。

「キコ、ここからどうするー?」

「んー、ニンカが小鹿みたいな動きしてるし、一旦休憩でいいんじゃない?」

「りょーかいー」

「はーい」

 私も大いに賛意を示す。

「じゃ、私はちょっと辺りを見てくるね」

 そう言って足取り軽く雑木林に入っていくキコ。軽快ななたさばきで下草を切り払いながら進んでいって、すぐに姿が見えなくなった。キコはキコで、プラタとは違った系統の体力がある。

「はい、ニンカちゃん、お茶ー」

「ありがとねぇ」

 こちらは休憩組。残っていた豆菓子とお茶で一服する。私は日頃から怠惰を極めているので、こういった休憩は大の得意だ。プラタが降ろした背負子を今度は椅子代わりにして腰を掛ける。

 眼下の牧草地には牛も羊も山羊も居ない。ゴブリンの対策として家にしまっているのか、あるいはここは草を休ませているところなのかもしれない。斜面には幾筋かの小さな湧き水の流れがあって、それが集まってちょっとした川になり、水車小屋へと続いている。牧草地の奥は道を挟んで麦畑で、穂を伸ばしたばかりの青い麦の中、小さく人影が見えている。

 右から左へぐるりを見回しても同じような景色が続いていて、その景色の中にちょっとでもゴブみを感じさせるようなものはない。

 まぁ、ゴブリンは基本的に憶病であって、こういう人の手が入っている区画にはそうそう姿を見せないものだ。

 実際のところ、ゴブリンが野外で人を襲うようなことは滅多に無い。ゴブリンの被害は基本的に家畜と農作物だ。稀に子どもや老人が襲われることもあるにはあるけれど、それは本当に稀なことで、人的な被害が出るのは大抵討伐任務の最中、つまり人が巣穴に踏み込んだ時である。

 そう、ゴブリン自体はそこまで危険はないけれど、ことゴブリン退治となると結構危険な任務なのだ。

「あっ、豆菓子無くなっちゃう……。全部食べたらキコがかわいそうだよー」

「むむむ、じゃあ豆菓子なんて最初から無かったってことにしよう?」

「いくらキコでもそれは気づくよ。甘いものへの執念は半端ないんだから、侮っちゃだめだよ?」

 こんなだるだるな空気では本来無いはずのものなのだけれど、私たち3人ではしょうがない。――というか、プラタの中でのキコの扱いが結構ひどくてびっくりする。

「じゃあ残りは甘党のために残してあげようかぁ」

 小さな革袋の口を閉じる。

「ニンカちゃん、代わりにこれ、柑橘オレンジ。お昼の残りの」

 プラタの差し出した手には丸い橙色の柑橘。

 それにすっとナイフを入れて綺麗に皮を剥いていく。さすがに料理をよくするだけあって、こういうのはプラタは器用だ。

 剥いた皮を皿にして、その上で果実を八等分に切って出来上がり。

「はい、どーぞー」

「わぁい」

 口に含むとじょあわっと果汁が広がって、さっぱりとして美味しい。疲れた体に染み入るようだ。

 そんな長閑のどかな時間を過ごしているうちに、鉈を担いだキコが手前の茂みからひょこひょこと出てきた。色々と這ったり登ってきたりしたのだろう、ズボンの膝に落ち葉がついてたり、羽織ったシャツにこすったような汚れがついてたりしている。

「おかえりー、キコー。ご苦労だったねー」

「ただいまー」

 プラタの呼びかけに手を挙げて答える。

「はい、お茶。どうぞ」

「おっ、ありがと」

 膝を立てて座り込んだキコにプラタがカップを渡す。

「ほら、豆菓子だよ」

 私もさっきまで食べてた豆菓子を渡す。ついでにキコの頭にくっついてた蜘蛛の巣を払う。

「これもありがと。……随分減ってない?」

 受け取った袋を手に乗せて首を傾げるキコ。

「あれぇ? そうかな? 天気がいいから、乾燥して水分が抜けちゃったのかも」

「最初からカラカラじゃん……」

 ぶつぶつ言いながらも袋から取り出した豆菓子を口に放り込むと、その瞬間目を細めてふわっととろけたような笑みになるのがなんとも可愛らしい。乙女か。確かにこの菓子美味しいけど、どんだけ甘党なのかと思わなくもない。

「で、どうだったー? 何か居た?」

「んー、あんまり林の中も荒れて無かったし、ちょっとわかんなかった。多分、群れとしてはそんなに大きくないよ」

「たくさん居ると何があるかわからないからね。少ない分には助かるじゃない」

 いくらゴブリンが憶病とはいえ、集団でうろついていると何が起こるかわからない。

「ま、そだね。でも少ないと探すのが面倒なんだよな……。ここはアレかな?」

「アレやるんだ?」

「うぇ、アレやるの……」

「痕跡を見つけられなかったからね。早く終わらせるなら、やっておきたいな」

 アレかぁ……早くケリをつけるなら有効なんだろうけど、色々と抵抗があるんだよねぇ……、と思いつつも、私なんかより負担が大きい二人がやるというのなら私に異論は無い。

 カップやら水筒やらの休憩道具を仕舞って、プラタの荷物袋からそれぞれ必要な道具を取り出す。キコは自分の頭と同じくらいの大きさの丸い骨笛ほねぶえを担いで、けばけばしい真っ黄色の外套マントを羽織る。私は自分の杖。特殊な金属製で二本一対の特注品。プラタもキコと同じような黄色い外套を羽織って、万一の時のために三分割式の槍を組み立てておく。ちなみに、この槍はプラタが振り回すと即座に折れるので基本的に突くことしかできない。

 黄色い外套の二人とテカるローブを羽織った一人。笛、杖、槍と各々の獲物をもって準備完了。

「それじゃ、行こうか」

「おー!」

「おー……」

 ざっざっざっと雑木林の中、獣道のような下草の切れ目を歩いていく。さっきと同じように先頭をキコ、間に私、最後尾にプラタと並び、つまり私は真っ黄色の外套の変な二人組に挟まれている。

 ぶるぉぉぉぉん、ぶるぉぉぉぉぉんという異音が疎らな木々の間に響く。キコの骨笛だ。唇を震わせながら吹くので音が揺れるし、笛自体の空気の通りが変なのか、とてもじゃないけれど笛とは思えない音がする。

 そのぶるぉぉぉんの合間に鳴るちーん、ちーんという金属音は私。杖をひっくり返して持って、柄の部分を打ち鳴らす。

 後ろからはトゥーーーーーーとフーーーーーーの混ざったような裏声をプラタが延々と続けている。声量が大きいし、無駄に良い声なので存在感がすごい。

 ぶるぉぉぉんちーんぶるぉぉぉんちーんちーんの背後にずっとトフゥーーーーーーーーーーーの美しい高音が鳴り響く。

 混沌そのものである。

 これをアクバリクの市内でやれば擾乱じょうらん罪とか騒乱罪とか反乱罪とか、とりあえず何らかの乱の罪でとっ捕まることは間違いない。私が衛兵だったらそうする。衛兵でなくてもそうするかもしれない。

 しかし、これこそが私たちのたどり着いたゴブリン退治の最適解なのだ。

 ――どうしてこんなところにたどり着いてしまったのか?

 ちーん、ちーんと杖を打ち鳴らしながら疑問に思わないでもない。きっかけは何だったっけか。いつか皆がべろんべろんに酔っぱらいながらゴブリン退治でもしたことがあったろうか。それとも素面しらふで思いついたのだろうか。

 そんなことをつらつら思い浮かべていたら、立ち止まっていたキコの背中を思いきり杖で打ちそうになった。

 キコは笛を口から離して、ちょっと伸びをして遠くを見るようにしている。前を向いたまま右手を開いてこちらへ向けて、止まって、静かに、と合図をする。

 私も杖を打つ手を止める。プラタも口を閉じて、代わりに槍を斜に構える。

「見つけた。3匹。こっちを見てる」

 潜めた声でキコが言う。

 キコの視線を追いかけても、私にはただ下草の茂った林が続いているだけにしか見えない。

「どうする?」

 プラタが顔を寄せてささやく。

「ちょっと近づく。向こうが揃って逃げたら、私が追う」

 黄色い外套を手で押し上げて膨らませて、一歩、二歩とキコが進む。プラタが私の前に出て、槍を構えながら同じように歩を進める。

 そのまま10歩ほど進んだところだった。

「下がった」

 キコが呟く。遠くで少し草がざわめいたのが私にもわかった。

「プラタ、ニンカを連れて先に降りてて」

 笛をプラタに放り投げて、キコが背中に負っていた短弓を前に構える。いつの間に抜いたのか、既に矢を一本つがえている。

「りょーかい。……くれぐれも気を付けてね。安全第一だよ」

「わかってる。じゃあ、行くね」

 キコは少し屈んでから、音も無く走り出す。外套がひるがえって渦を巻いた。その黄色がみるみる小さくなって、緑の中にすうっと消える。

 私は黙ったまま、キコの走り去った向こうをじっと眺めていた。視界にはただ木々があるだけで、何かの気配や動きはもう感じられない。それでも、そこから視線を外すことができない。

 さっきまでのアホの子みたいな浮かれ騒ぎから一転、急に静かになった周囲。胸のあたりに向かってじんわりと形の無い不安が浸み込んでくるような感覚に襲われる。何か取り返しのつかない失敗をしてしまったような気になってしまう。

「さ、ニンカちゃん、行こう? キコなら大丈夫だよ」

 背後から柔らかな手のひらがぽんと頭に置かれた。

「……そだねぇ」

 まだ雑木林の奥に後ろ髪を引かれながら、プラタと共に歩き出す。

 歩きながらも、起こりえない万一ばかりが頭の中に浮かんできてしまう。もしゴブリンが思ったより大量に居たらとか、大型の獣、たとえばシロクビグマの家族に出くわしてしまったりとか、ひょっとしたらオークがうろついているかもしれないとか。

「もー、ニンカちゃんはいつも心配し過ぎだよー。もうちょっとキコを信用してあげなって。あんまり心配ばっかしてると、すぐしわしわになっちゃうよ?」

「うーん、わかってはいるんだけどねぇ。性分なんだよねぇ……」

 そう、これは性分なのだ。そして、私はキコを信用していないわけじゃない。

 私が信用していないのは私だ。私は、私の幸せとか歓びとか平穏とかがずっと続いていくことを心のどこかで信じていない節がある。だから、そういうものがちょっと一押しで崩れそうな状況が訪れたときに、喜々としてそれを崩そうする「何か」があるんじゃないかと疑っている。その何かが、たとえば今走り去ったキコをそのままさらってしまうんじゃないかと怯えている。

 昔話に、空が落ちてくることを恐れながら暮らした人の話があった。私はきっとそれに近い。

 ――いけない、いけない。

 思考がどんどん深みにはまっていきそうになって、頭を一度ふるふると振って考えを振り払う。

 私が暗くなっていると、プラタまで気に病んで落ち込んでしまう。そういうのはよろしくない。

「よぉし。さっさと下って、先にお酒でも飲んでよっか?」

「うんうん、そうだねー。って、キコが巣穴を見つけたら今晩退治に行くでしょ? お酒はダメ……ま、ほどほどにねー?」

「お酒はダメ」のあたりで私の顔が曇ったのを見てとったプラタがすぐに妥協してくれる。甘い。私は顔を曇らせるのは得意なのだ。

 二人で足早に林を抜けて、再び牧草地の緩斜面かんしゃめんに出てきた。いつの間にか集落の中心近くまで歩いてきていたらしい、ちょうど目線の下にはこのあたりでは他を圧して大きな家が鎮座している。集落の代表者もおそらくそこに居るだろう。

 陽が傾いて薄い飴色に色づいた草地を二人、のんびりと降りていく。と――、

 ――ん?

 家々が近づくにつれて違和感が湧いてくる。

 周囲ののどかな景色に対して下の様子が随分と騒々しい。

 集落は道沿いに伸びていて、10軒とちょっとの家屋が間隔を開けて建っているだけなのだが、さっきから住人がやけに慌てて家を出たり入ったりしている。ある家ではすきやらくわやらの尖がった農具を家の前の道に並べていたり、収穫に使うような大鎌をせっせと研いでたり、あるいはプラタと同じように槍のようなものを構えている人もいる。

 中心となる大きな家の前では壮年のおじさんが三人、深刻そうな顔で話し合っていた。その内の一人が顔をこちらの斜面に向けたので、自然と目が合った。彼はあっと驚いたように口を開けて私たちを指さし、都合三人ともがこちらに顔を向けることになる。彼らだけではなく、集落全体から注目を受けているような気もする。

「うぇっ!? めっちゃ見られてるよ? ねぇ、プラタ、これどうしたんだろ……」

「なんだろねー。なんかすごい驚かれてるねー」

「ゴブリンの襲撃でもあったのかな? ちょっと考えにくいけどなぁ……。なんか槍持ってる人もいるし、何事かはあったんだろうけど……」

 方々からの視線の圧力を感じて歩みが遅くなる。すると私たちが降りてくるのを待ちかねたのか、目が合ったおじさんがこっちに向かって登りながら声を張り上げた。

「おーい! あんたがたー、おーい!」

「はいー。今降りますー!」

 斜面を小走りに駆け下りて、そのおじさんの前に立ち止まる。近づいてみると彼は思ったより老けていた。50歳くらいだろうか、白髪混じりの短い髪を額に垂らして、その下の細い目が落ち着かなさげに私とプラタの間を行ったり来たりしている。

「なぁ、上の林から降りてきたんだろう? 大丈夫だったかい?」

「えっ? あっ、はい。大丈夫です。確かにゴブリンは居ましたけど……」

 ゴブリン対策だとしたら、ここの集落の人、ちょっと怖がり過ぎなのでは感がある。

「いやいや、ゴブリンなんかじゃないんだ。とんでもない化け物が現れたんだよ。ちょうどここの上のところでな」

「化け物?」

「ああ、ぶるぉぉぉんぶるぉぉぉんってでかい声で鳴くんだ。それで歩くたびにちんちんと鉄の音がしたかと思うと、今度はひゅーひゅーと不思議な音もする……。姿は遠目にチラっとしか見えなかったけど、毒々しい黄色をしててさ……。ありゃあえらい化け物だ……。あんたがたは見てないのか?」

 ――あー、そうですか……。なるほど、あの化け物を見てしまいましたかぁ……。

 プラタと顔を見合わせる。

 俄かに痛み出す頭を抱えて、私は大きなため息をついた。

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