第三話
荷馬車の軋む音の合間に、ぽりぽりとキコが豆菓子を齧る音が聞こえる。
食べ物はすっかり無くなって、葡萄酒は勿体ないので半分でとどめてコルク栓を締めた。キコはリーフベリー水で、私はプラタから雑穀を煮出したお茶をもらって飲んでいる。
馬車はゆるゆると谷間の道を進んでいる。途中に村落があると馬を留めて、
使った食器類は馬車が止まった合間を見計らってプラタが小川で洗ってしまった。その間私は
陽光は天頂から真っすぐに降り注いでいる。
見上げると幌に緑の葉影が点々と落ちていて、光に照らされた布を通して、春の日差しの控えめな温かさがじんわりと沁みてくるようで心地よい。
「ねぇ、ニンカー」
「ふぇ?」
思わずうつらうつらしかけたところに、同じような格好でだらだらしているキコから声がかかった。
「前からすっごく疑問だったんだけどさ」
「ふむ」
「すっごくすっごくすっごく疑問だったんだけどさ」
「……くどくない?」
「そのくらい不思議に思ってたってことなんだけど、ニンカって士官学校卒業してるじゃん?」
「まぁ、うん」
そう、恐ろしいことに私は王立士官学校魔術士官課程卒業という経歴なのである。
さらに言うと、士官学校の生徒は卒業と同時に騎士相当の扱いとなるため、私は身分的には貴族なのだ。おそらくこれほど貴族という言葉が似合わない人間も少な……いや、私の同期や先輩後輩たちも大概だったので結構居る。
ともかくもそんなことはキコは百も承知なわけで、今更何か不思議がることがあるのかしらん、という気もする。
「でさ、ニンカってすごい寝てるじゃん?」
「……まぁ、うん」
「一日の半分以上寝てる人間が卒業できるくらい士官学校ってぬるいの?」
「そんなことないから。……そんなことないから」
一日の半分はさすがに寝て無いし、士官学校も別段ぬるいわけではない。たぶん。
「あぁー、それ実は私も気になってたー。ニンカちゃんが卒業できるような学校ってなんなんだろーって」
そして相変わらずプラタは自然にひどい。
「私は士官学校で何やるかなんて知らないけど、軍人の学校なわけでしょ? 軍人とかめっちゃ朝厳しそうだし、朝だけじゃなくても色々厳しそうじゃん?」
そこで言葉を切って、キコがじっと私を見る。
「で、ニンカでしょ? え、これ、なに? ってなるよね?」
横でプラタがうんうん頷いている。
キコとプラタが言いたいことはわかる。私だって士官学校の卒業生ですって私を紹介されたら、はぁぁ?ってなる。
はぁぁ?ってなるし、もし兵卒として戦場にいて「さあ君たちの新しい指揮官だよ」って言われて私が出てきたらまずは何かの冗談を疑うし、本気だとわかったらどうやって穏便に敵方に寝返るかを考える。
しかしながら厳然たる事実として私は士官学校を卒業しており、一応は今も王国軍に籍がある。
「ひょっとして、士官学校って昼からはじまるのー?」
「いや、朝からだよ。早朝から訓練があったりもするよ。私だってちゃんと起きて参加してたよ?」
「本当かー?」
キコが
もちろん行軍訓練とかでは早々にへたばって荷物になってたし、馬術訓練では途中で匙を投げられてもっぱら見学していたけれど、一応参加はしていた。
「本当、本当。ほら、相部屋の寮だったから、遅刻したりすると同室で連帯責任になっちゃったりするんだよ。だから朝は起こしてくれたし、私もちゃんと起きてたよ?」
「揺らしても転がしても、耳元で叫んでもわきをくすぐっても足を持ってぶら下げても寝てる女をどうやって起こしてたのかが気になる……。なにで起きてたのさ? 火でもつけられてた?」
「なんで毎朝焼身自殺しなきゃならないのよ。……別に、そんな特別なことはしてなかったと思うけどなぁ。今よりも目覚めがよかったんだよ、きっと」
これは嘘だ。
あまりにも起きない私に業を煮やした相部屋の子は、ついには寝てる私の頬を本気で引っ叩くことを選択した。1発、2発では微動だにしなかったが、3発目で「いふぁい」と言って起きたらしい。私も目が覚めたら頬が何故か熱くてびりびりしててびっくりした記憶がある。「1発目はちょっと罪悪感があったけど、それで起きなかったからもうどうでもよくなったよね」とはその子の談。
それ以来基本的に朝はビンタとなり、早朝の活動がある度に何故か私は両頬を真っ赤にしていたため、いつしかあだ名は林檎ちゃんになった。
ただ、こういう話をするとプラタあたりが無邪気に真似をしかねないので黙っている。同室の子の細腕で精一杯叩いた結果として私は林檎ちゃんになったが、万一プラタが本気で私の頬をぶっ叩いたりしたら、かわいい林檎ちゃんがぽろっともげてしまうかもしれない。私はこの友人を犯罪者にしたくは無いし、私だって死に方くらいは選びたいし、そもそもまだ死にたくも無い。
「まぁ、それと、魔術士官課程だからね。普通の士官課程と違って女子がそれなりにいるし、その中でも私みたいな明らかに軍人に向いてないのも居たし。キコが士官学校として想像してるよりかはかなりゆるいかも」
これは本当。
むしろ教官の方が対応に
言ってしまえば、魔術士官というのは人を大量に殺傷したり、城塞や都市を破壊できたりするような危険人物を無理矢理軍人に仕立てて王国に紐づけておこうという試みだ。そこに学生個人の士官としての能力であったり、素質であったりはほとんど関係がない。故に魔術士官課程の生徒はどのような形であれ大抵が卒業できる。卒業後にはそのまま軍属になる学生も居るが、軍務に対しての適正があまりにも乏しい学生は王国内の軍と関連のある部署で別の仕事につく。例えば、
「へぇー、そんなもんなのかー」
まだちょっと納得いってなさそうなキコの声。
「そんなもんだよぉ。士官なんて名前がついてるけど、魔術が出来る人間を闇雲に集めただけだからね。ぶっちゃけて言えばなんちゃって士官だよ」
「ああー、なるほど。そうだよねー。なんちゃって感あるある」
腑に落ちすぎてるプラタ。キコも「ああ、そういうこと」みたいな顔をしている。
自分で言っておいてなんだけれど、納得されすぎるのもちょっと悔しい。
――いや、別に自分が士官に相応しいだなんてことはこれっぽっちも思っていない。思ってないにしても、なんだろう、もうちょっと「そんなことないよ、ニンカちゃんしっかりしてるよ」とか「いや、ニンカも時々しっかり仕事してるからさ、なんちゃってなんてことはないよ」とかの気遣いがあってもいいのでは?
頭の中でそんなもやもやをこねくり回しているうちに、不意にかくっと馬車が止まった。思わず前につんのめりそうになる。
「着いた? ……あれ? 何も無くない?」
ひとつ前の集落で荷物を降ろしている時に、ドーフィットはこの次だということを聞いていた。けれども、今馬車が止まっている細い道の両側は丈の高い草むらになっていて、人家は影も形も無い。これが集落だとしたら住民は相当な野人だし、何ならゴブリンよりも余程危険そうな気がする。
「あ、ニンカには言ってなかったっけ。集落の周りを見ておきたかったから、手前で降ろしてって頼んどいたの」
「はい、ニンカちゃんも降りるよー」
プラタはでかい布袋を
――結構高くない?
地上から木箱二つ分くらいの高さがある。落ちても死にはしないだろうけど、着地に失敗すると地味に痛そうだし、たまたま日当たりが悪い場所のせいか地面が微妙にぬかるんでいて服が汚れそう。
「ふぇっ?」
胸が圧迫されて変な声が出る。それから丸太を地面から引っこ抜くように身体を持ち上げられ、
「あわわわわわわ」
「はい、着地―」
すとんと優しく降ろされた。
鼓動がばくばく鳴っている。急な抱擁と高い高いに心臓がきゅっとしてしまったので、2、3度息を大きく吸い込んで、吐く。
「……はぁ。プラター。袋だけで良かったのに。私だってこのくらいは……降りられたよ?」
たぶん。
「いや、プラタが正解だよ。私にはそのローブの裾をひっかけて頭から落っこちるニンカの姿が見えた」
「……その割にはキコ、そこで立ってただけだよね」
「時には頭から落っこちておくのもいい経験になるかなって」
ひどい。
「まぁまぁ、無事に降りられたから良かったよねー。それよりもニンカちゃん、今持ち上げて気づいたんだけど」
「ん?」
「ローブの下、まだ寝巻じゃない?」
おやおや、突然何を言い出すのやら。そんな馬鹿なことがあろうはずもない……、とローブの胸元を引っ張って覗き込めば、そんな馬鹿なことはある。風も無くて陽気も穏やかだったので気づかなかったけれど、ローブの下は薄いチュニック一枚しか着ていない。着替えは雑嚢の中に入れっぱなしだ。
「その……、別に寒くないし、私はこれでいいよ?」
返事の代わりにキコは大きな溜息をついて、
「プラタ、お願い」
「はいー」
私は再び抱えあげられて馬車に戻った。
馭者が右手を軽く上げて挨拶すると、馬車は車軸を軋ませてゆっくりと動き出した。2頭の馬は歩を進める度に大儀そうにぶるんぶるんと身を震わせ、首を左右に大きく振る。動き出すときが一番大変なんだよ?と言いたげだ。気持ちはわかる。
遠ざかっていく馬車の向こう、青白く霞む山並みを背にドーフィット集落の家屋がぽつりぽつりと見えている。いずれも平屋で、丸太をそのままに組んだ簡素な造りだ。
「さて、それじゃあちょっと歩くよ」
キコが一声かけて、背中に荷物を背負いなおす。
私の荷物はいつの間にかプラタの背負子にまとめられていたので、手ぶらだ。
「どっちの方に行くー?」
「右手かな。山側から巻いて集落に降りていく感じで」
「はいはい、了解ー」
このあたりの判断は全てキコとプラタに丸投げするので、私は黙ってついていくだけである。
「ちょっと登るけど、ニンカは頑張ってついてきてね」
腰にぶら下げた
歩きながら見回すと、思ったより山が離れているように感じる。さっきまでは道がずっと山の裾を縫うように通してあったのが、ここはちょうど谷が深く切れ込んだところで、右手の奥側に山が引っ込んでいる。山裾からなだらかな起伏の丘が麓に広がっていて、道はその
少し歩くと道沿いの藪が途切れて左右が牧草地になる。丈の低い草むらの中に人一人通れるくらいの踏み分け道が山側に伸びていて、キコはそっちに入っていった。足元が草地になって、踏みしめると枯れ葉がしゃくしゃく鳴る。
見上げればキコの頭の向こうは空を半分隠すような山並みで、まだ雪の残る山頂の白に、くるくると旋回する鳥が影のように浮かんでいた。
ゆるい傾斜の道が続く。私たちの足音と、私の息遣いが響く。春の野辺は静かだ。けれど、賑やかだ。
どこかの草むらからぴーぃよろよろと鳴き声がする。すると別のところからぴーぃほっほーぅと声が返ってくる。ぴよひよぴよひよと言う声も追いかけてくる。黒地に白い斑の蝶が目の前を掠めて飛び去る。足下の草むらで
――あれ、なんか変なの混ざってなかった?
「キコー、ちょっと待ってー」
「んんー?」
「ドロダマが居る。ちっこいけど」
キコがひょいひょいと降りてきて、私の指さす方を見る。
「あー、たしかにドロダマだね。ちっこいね」
どろっとしてぶよっとしたあまり好ましくない見た目の生き物。黄色味を帯びた粘土のような身体は透き通っているけど、透明度は低い。握りこぶし二つ分くらいの大きさで、表面に気泡をぷかりぷかり浮かべながらゆっくりと地面を這っている。
ドロダマは触るとかぶれるし、畑の新芽を食べちゃうし、ほっとくとぽこぽこ増えるしで結構面倒な害獣(獣?)である。草刈りしてたら誤って触ってとか、収穫した野菜に混じっててとか、そういう類の事故も多い。
「どうする、ニンカちゃん? 燃やしとく?」
「そだねぇ、燃やしとこう。あ、杖はいいよ。手持ちので大丈夫」
荷物を取り出そうとするプラタを止めて、私はローブのお腹についてるポケットから小ぶりの火打石を取り出した。
このぶよぶよは刺しても切っても死なないので駆除が面倒なのだけれど、火に弱い。そして火は私の数少ない得意分野だ。
ドロダマの上にかがみこんで、ちっちっと火打ち石を擦る。これは慣れたもので、うまいとこパチッと散った火花の一つを"掴ん"で、"広げ"る。
ちょうど両手で受けられるくらいの火球に仕立て上げて、ドロダマに接するくらい近くに浮かべてやると、表面がじゅうじゅう言って砂糖が焦げるような甘い匂いが漂ってくる。
「正直、この時だけはこいつちょっと美味しそうかもって思うんだよね」
さすが甘ければなんでもいい女。
「あれー? まだ食べてなかったんだ。キコならもう手を出してるかと思った」
本当に天然で片づけていいのかどうか疑いたくなるプラタの暴言。
「えっ? そんな!? 私、そんな!?」
何か衝撃を受けているけれど、私からは特に意見はありません。ちょっと燃やすのに忙しいので。
火球をじっと同じ位置に留め置く。全身を波打たせてたドロダマも徐々に動きが鈍くなり、表面がふつふつ沸騰して、次第にぶよぶよがとろとろになって、それからさらさらになって、ついには地面に吸い込まれて消えてしまった。
「はい、おしまい」
立ち上がって、演技を終えた
ぱちぱちぱちとプラタの拍手。
「ま、なかなか良かったんじゃない? 炎も綺麗に丸く安定してたし」
何故か上から目線のキコ。なんだその評論は。火球はほっとけば丸くなるので、変な形にする方がよっぽどめんどくさい。
燃やした後片付けとして、ドロダマが溶けたあとの地面をキコが鉈で掘り返し、土を混ぜる。意味があるのかはわからないけれど、なんとなくそうする風習がある。私は火打石をポケットにしまい込み、プラタが荷物を背負いなおして出発する。
再び先頭はキコ。頭の後ろで結んだ髪が歩調に合わせて揺れている。振り返ると馬車の通る道からだいぶ登っていて、遠く、鮮やかな緑の丘陵が空に混ざるまで続いているのが見通せる。
天気は相変わらずの晴天。空の青がやや白っぽくかすんで見えるくらいに日差しが強い。ローブを着ていると陽光は暖かすぎるくらいだけど、山から吹き下ろす風の冷たさと相まってちょうど心地よく感じる。
朝は早起きもした(可能性は0ではない)し、害獣(獣?)の駆除にも貢献したし、気分と体調はすこぶる良い。思わずふんふふんふーんと昔に王都で流行ってた歌を鼻歌で歌っていたら、キコが訝し気な顔でこっちを見ていた。
「えっ、怖っ、なに、なんかニンカが坂道登りながら鼻歌なんか歌ってるんだけど、なに? 大丈夫なの? というかこれ本当にニンカ? どっかで入れ替わってない?」
失礼である。キコといいプラタといい、私が頑張るとなんですぐ偽物にしようとするのか。――プラタは夢の中の話かもしれないけど。
「ニンカちゃん快調だよねー。足取りも軽いし」
「ふふん、私だっていつまでもナメクジじゃないんだよぉ」
腰に手をあてて胸を張る。
「おお、頼もし……いや、頼もしくはないか。まぁあの草むらの切れ目までだから、もうちょっとだよ」
キコの指さす先はもうほんの2
「さぁニンカちゃん、最後の追い込みだよー。ちょっと傾斜がきつくなるけど、行ける行ける」
「おおー」
プラタの声に手を挙げて答えて、再び歩き出す。ここまではあまり上がってくる人が少ないのか、踏み分け道が薄れて足場がちょっと悪くなる。プラタの言う通りに角度もぐっときつくなって、いかにも山道といった感じになった。基本的に
――よし、いっちょ登ってやりますか。
ぱんと一つ胸元で手を叩いて気合を入れる。キコが振り向いてにっと笑う。私もにへへっと笑い返す。
私は精一杯の力で足を踏み出した。
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