聖女の魔法(嘘)


 『ペスト対策本部』の設立を宣言した小夜は村の隅にある空き家を拠点に活動する事になった。

 急ごしらえの看板を立てそれらしくしてみたり、再びアプリケーションを使って物品の補充をしたりとさながら小規模の組合のようだ。中々に本格的なものとなり小夜も満足げである。

 因みに、度重なる重労働のお陰で青い鳥(親しみを込めてピーちゃんと名付けた)は息も絶え絶えな様子で『そろそろ休ませてくれ』とつぶらな瞳を此れでもかと細めて訴えて来た為、今日のところはこれ以上の注文は取り止めた。


 そして、ペストに感染していると思しき村人たちに簡易キットで検査をした所、小夜の見立て通り陽性であった。確信はあったものの、確かな根拠や裏付けが無ければ治療を進める訳にはいかない。小さな違和感を見逃せば重大な医療事故に発展する恐れも有る為に検査を行う事は必須である。


 エーデルシュタイン王国を蝕む呪いの正体はペストであると断定した小夜には次第にある疑問が思い浮かぶ。


(何故、この国の王子がペストを運んで来た事になっているの⋯⋯?)


 ペストのように人体に害をなす菌を使った生物兵器テロも有るには有るが、如何せんエーデルシュタイン王国の医療技術は化石の如く時を止めてしまっている。

 人類の叡智えいちの結晶である科学よりも魔法や神への信仰に重きを置き、その結果として医療技術が著しく遅れているこの国ではまずそのような事は考えられないだろう。


(う~ん、無実の罪の王子⋯⋯気になるわね)


 しかし、小夜のような一般市民(それも異世界から来た住所不定無職の自称聖女)が一国の王子様にそうそうお目にかかれるものでは無い。

 それに、小夜の見解が正しいとも限らない。この世界に来たばかりの小夜が知らないだけで、国中にウイルスを振り撒く魔法だって存在するやも知れない。兎にも角にも答えを出すにはまだ時期尚早である。


 小夜は脳内に次々と思い浮かぶ荒唐無稽こうとうむけいな考えを振り落とすようにブンブンとかぶりを振る。


 雲の上の存在の事は忘れ、今は目の前の患者に集中しなければ——。



 小夜が考えにふけっていると、突然背後から声を掛けられる。


「なぁ、これから聖女様の魔法を使うんだろ? 呪文とかは無いのか?」

「えっ!?」


 小夜は跳び上がった。それはもう、文字通りにピョンッと勢い良く。


「ああ、じゅもん⋯⋯呪文ね。もちろん有るわよ!?」


(ま、不味い、何も考えて無かったわ! でも咄嗟に有ると言ってしまった手前、今更引き下がれない!!)


 小夜は内心激しく狼狽えながらもそれを表情には出さず、自称世界に誇るべき輝かしい頭脳をフル回転させ、この場で取るべき行動の最適解を模索する。

 そして、一つの答えが導き出された。それは、体感では十数分程、時間にしてみれば僅か数秒程の事だった。


(こうなったら自棄よッ!)


 小夜は羞恥心を押し殺し、すうっと大きく息を吸い込むと声と共に勢い良く吐き出す。


「あっ、あぶらかたぶら~! 呪いよ治れ~!!」



 僅かに震える薄い唇からぎこちなく発せられるいにしえより伝わる擦り切れる程に使い古された呪文。長考の末、導き出された答えは何とも間抜けなものであった。

 顔を真っ赤にしてそれを唱える小夜の事を、ルッツはポカンと大口を開けて見ていた。


(嗚呼、何故私がこんな事を⋯⋯! それもこれも全てはあの男の所為よ!!)


 小夜はその後も思い付く限りの知っているそれらしい呪文を並べ立てたが、当然ながら何も起こらない。何故なら、小夜は魔力を持たない一般人なのだから。


「⋯⋯」

「⋯⋯」


 詠唱が終れば、その場には静寂が流れる。

 ズシンと身体にのし掛かるような重苦しい空気に耐え切れなくなった小夜は我慢ならず声を上げた。


「ちょっとッ! 何とか言いなさいよっ!!」

「あ、ああ。お疲れ様⋯⋯?」

「そっ、それだけ!? 私があんなに恥ずかしい思いをしてまで頑張ったのに⋯⋯!?」

「っても、何も起こらないしな。実感が無いから何とも言えねぇよ」

「⋯⋯っ!」


 図星を突かれた小夜はグッと押し黙る。

 この一件により、新たな課題が浮き彫りとなった。


(どうやら聖女は何らかの呪文を唱えて傷付いた人々を癒すという認識のようね。次までに如何にかしてそれっぽい演出を考えなければならないわ⋯⋯)


 聖女としての体裁も有るが、それ以上に今回のような公開処刑とも呼べるはずかめを受けるのは此切これきりで充分である。


(⋯⋯この場に居たのがルッツだけで良かった)


 此の難局を如何にかして乗り切った小夜はホッと息を吐き出した。






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