自称、王国一の魔女。



「⋯⋯此処にお婆さんが居るのね」


 小夜はルッツに教えられた納屋なやを見上げる。広さは12畳ほど、大きさも色も微妙に異なる木をおざなりに打ち付けた三角屋根の建物。

 門口かどぐちは力の入れ方を見誤れば小夜の拳が扉を突き破ってしまいそうな程に薄く、所々が腐食していた。


 緩く拳を握って扉を3回ノックする。


「お婆さん、居るんでしょ⋯⋯? 入るわよ」


 暫く待っても返事が無かったので、一言声を掛けてから横開きの扉を開く。ガタガタと悲鳴を上げる扉は相当に建て付けが悪かった。


 小夜は恐る恐る薄暗い室内に足を踏み入れる。

 壁には農具が立て掛けられ、床には干し草が敷き詰められていた。そこに、老婆は小さな身体を更に縮こませて座っている。


「ねぇ、ちょっと⋯⋯」


 小夜は身をかがめて声を掛ける。

 目深く被ったローブから僅かに見える顔は青白く、まるで生気が無い。皺々な顔には所々にシミが点在しており、小さな顔にはそぐわない大きな鉤鼻かぎばなという小夜が想像する魔女像そのものであった。



「お前さんは——」


 小夜の顔を見るなり老婆はハッとした表情になる。


「お婆さん、私の事を知ってるの?」


 小夜は期待を込めた瞳でジッと老婆を見つめた。しかし、老婆はううんと唸り声を上げ

たかと思えばすっかり黙り込んでしまう。


「⋯⋯」

「⋯⋯」


 しばらくの間、納屋の中に静寂が流れる。



「はて⋯⋯? 誰じゃったかのう⋯⋯」

「!!」


 漸く口を開いたと思えば期待外れの返答に、小夜はガックリと肩を落とす。そして、思わず突っ込まずにはいられなかった。


「貴女が呼んだ聖女なんですけどっ!?」




✳︎✳︎✳︎




「そうじゃったそうじゃった。最近、歳のせいか物忘れが酷くてのう」

「自分がした事には責任を持って貰えるかしら!?」

「最近、歳のせいか——」

「それはさっき聴いたからッ!!」

「冗談じゃよ。さて、お前さんは儂——エーデルシュタイン王国随一の魔女に何用じゃ?」

「用なんて一つしか無いじゃない!」


 老婆は少し悩んだ後、ポンと手を叩いて言った。


「そうか、お前さんは魔法を使ってみたいんじゃな?」

「え!? 私にも魔法が使えるの?」


 違う、とただ一言そう言う筈だったのに、小夜の口をついて出た言葉は全く違うものだった。思わず弾んだ声が出てしまい、我に返った小夜は口を押さえる。


(私ってば、何を言ってるの!? でも——)


 正直、憧れがないわけではない。

 小夜は昔から何処か達観した可愛げの無い子どもだった。

 同年代の女の子が熱狂していた変身して怪物と戦う女の子達も、可愛らしいコスチュームを着てカードで戦う女の子の物語にも、どうにも夢中になれなかった。

 幼いながらにそれは『有り得ない事』だと理解していた為だ。

 しかし今はどうだろう。この世界には紛れもない本物の『魔法』がある。元来好奇心旺盛な性格の小夜が興味を持たない筈もなかった。


「やってみれば分かる」

「⋯⋯! どうやって?」

「自分の素直な感情に従うんじゃ。魔法の原動力は霊感インスピレーションじゃからな」

「分かったわ!」


 こんなにも胸が高鳴るのは久しぶりだ。


(そうだわ。もしかしたら自分では気付かないだけで特別な力が覚醒しているかもしれない!)


「えいっ!」


 先ずは手を空に掲げてみた。しかし、うんともすんとも言わない。


「そいやッ!」


 次にその手をブンブンと振り回してみる。やはり、何も起こらない。


「⋯⋯とりゃッ!!」


 トドメに、自分の中の何かを絞り出すように小刻みに身体を揺らしてみる。


「——って! 出来ないじゃないのっ!!」


 顔を真っ赤にした小夜は勢いよく老婆の方を振り返った。


「儂はやってみれば分かると言っただけで、出来るなんて一言も言っとらんよ」


 そう言いながらほっほっほと笑う老婆。その笑顔が憎らしくて堪らない。


「~~~~っ!!」


 小夜はその時、漸く老婆に遊ばれていたことを理解した。


「この世界に来たからといって、魔力の持たないお前さんがいきなり魔法を使えるようになる訳が無いじゃろう。もし仮にそんな事が起こったらゼウス様も腰を抜かすじゃろうなあ。⋯⋯ああ、久しぶりに良いものを見せて貰った」

「アンタねぇ⋯⋯!!」


 小夜はルッツを震え上がらせた眼差しで老婆を睨め付ける。しかし、老婆には効果が無いようだ。

 老婆は小夜の視線を気にも留めずに一頻ひとしきり腹を抱えて笑った後、すっくと立ち上がった。


「さァて、一通り遊んだことだし⋯⋯そろそろ帰るとするか」


 その瞬間、彼女の纏う雰囲気がガラリと変わった。

 否、雰囲気だけでは無い。しわがれた声は若い男の瑞々しい声に、シワシワの小さい体躯は長身痩躯ちょうしんそうくだが筋肉質な身体に、そしてフードから覗く傷んだ白髪は艶やかで癖のない黒髪に。


 目深く被ったフードのせいで顔の全貌は窺えないが、恐らく相当な美丈夫に違いない。



(どういう事なの!?)


 状況を飲み込めずに固まっていると驚くべき変貌を遂げた老婆——もとい青年は小夜に向かってにっこりと笑みを投げる。


「ああ、そうだった。楽しませてくれたお礼に、僕からキミにちょっとしたプレゼントを贈ったよ。キミの持っている『魔法』の板を見てみると良い」

「は、はぁ!?」

「それじゃあまた何処かで逢えると良いね、クロミヤサヨちゃん?」

「なんで私の名前を!?」

「それはヒミツ。ねえ、サヨちゃん。特別な力なんて無くてもキミなら出来る。⋯⋯僕はそう信じているよ」


 蕩けるような甘い声音でそう言うと、謎の男は壁に立て掛けていた杖を手に取る。

 そして、ひらりと手を振ったかと思えばまるで元から存在しなかったかのように霧の如く空気に溶けて消えたのだった。










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