第19話 色彩
水野君の姿を見届けて私達は美術室へと足を運ぶ。午後になって訪れる人も多くなる時間帯。美術室もまた多くの人で賑わっていた。
美術部の今年の題。
《色彩》
それぞれが持つその人の色。その彩りが美術部の部屋に余すことなく展示される。例年以上に華やかな世界だった。
私がその題から生み出した彩り。色と植物、そして少女を題材に織り成した七つの彩りがそこにある。
《連作・
朝に開く朝顔と横顔の少女。朝焼けの東雲色と儚い一瞬を捉えた姿。
振り返る麦わら帽子の少女。それを彩るのは寛大な橙の実と樹。
満面の笑顔を浮かべる少女と山吹の花。それは気品のある笑み。
雪の中に佇む柚子の樹と着物姿の少女。それは純粋で汚れなき人。
露草を持った白い服の少女。真夏の海辺は小夜曲のような静かなひと時。
星空の下で本を編む少女と
枝垂れる藤と正面を真っ直ぐ見据える少女。そこにあるのは純粋な優しさ。
虹の色。それが私に与えた一雫。
万華鏡のように織りなす色彩。無数の可能性をそこに込めた。
「わぁー綺麗。七色って虹の色だよね。すっごい素敵」
柚葉ちゃんの飾らない言葉。食い入るように見つめるその姿が何よりも嬉しい。
「ほんと、私より後から制作始めたのに、こんなにいい作品作っちゃって困るよ……」
ため息混じりで彩乃はそう言うけれど、彼女の作品も素敵だと私は思う。互いに想いを乗せて作った作品。そこに比べる意味などないと思うのだ。
少し興奮した様子で柚葉ちゃんが彩乃に視線を向ける。
「彩乃の作品は?」
こっちと言って、彩乃は柚葉ちゃんを案内する。
そこにあるのは大きなキャンバス。そこに描かれるのは薄紫色の黄昏の世界。独特の世界がそこに広がっていた。
《
「ハシタイロ……?」
「うん。昔は濃い紫色は高貴な身分にしか使用を許されなかったんだけど、浅紫とかは使うことを認められていたの。もともと半色はどんな色とも呼べない中途半端な色の意味だったんだけど、使っても問題ない紫色として人気が出て名前が定着したんだって」
改めて説明を受けながら私は目の前のキャンパスに目を向ける。
薄紫色の黄昏の世界。バス停や学校、公園や家の中などが組み合わされ、抽象的に描かれている。一画面に広がる多種多様の世界――居場所で佇む少年少女達。その姿はまだ何処に行くか見定めきれていないようで。
「どんな色とも呼べない色。それってまさに私達かなぁって」
居場所を探しながら歩き続ける少年少女。
それは未だ道半ばの私達。
「……うん、そっか。そうだね」
そう呟く柚葉ちゃんの声はいつもよりしっとりとしていて穏やかだった。私達はしばらく彩乃の作品を眺めていた。
「こんにちは」
不意に声を掛けられて私達は慌てて振り返る。そこにいたのは花菜さん――山吹一家だ。日向大君がこそりと呟く。
「見に来たよ」
「ん、ありがと」
「それにしてもすごいわ。立派な作品ばかりで。湊真君の書道もとても良かったし」
どうやら山吹一家もあの書道パフォーマンスを見ていたらしい。その様子を思い出したのか、興奮した様子で日向大君が口を開く。
「うん、湊真兄ちゃんも格好よかった!」
すかさず花菜さんが人差し指を口に当てる。それを見てやってしまったと言わんばかりに日向大君は苦笑いした。
「他にもたくさん見どころありますから、ぜひ見ていってください」
「ええ、ありがとう」
そう挨拶を交わすと、山吹家は吹奏楽部の発表会場に向かって行った。その後ろ姿を見送って私は時間を確認する。
母と兄が来るまではまだ時間がある。その間はどうしようか。
「次、何処行こうか」
「うーん、自由気ままに?」
「うん、いいんじゃないかな」
柚葉ちゃんと彩乃の言葉にそんなものかな、と思って口を噤む。そんな私の腕を取り、二人は行先を決めることなく歩き出した。
廊下に並ぶそれぞれのクラスもまた独自の色を持っている。定番のお化け屋敷や謎解きゲーム、ちょっと怪しい占いの館やハンドメイドのアクセサリー作りなど様々だ。謎解きゲームは意外と本格的で参加者を悩ませていた。食べ物系だとたこ焼きやアイス、タピオカまである。
「あ、あれ面白そう」
「行ってみよっか」
そんな自由気ままな二人に導かれながら歩く文化祭。今までとはまた違った景色だ。その合間に橙山さんと話をする水野君の姿があったりして、私の心は自然と浮き立つ。
様々な催し物を巡る中、私はスマートフォンの通知に気がついてメッセージを確認する。
『いや、いいね。みんな楽しそう!』
そのメッセージの後に続くのは文化祭を切り取った写真だ。
吹奏楽部の準備の様子や演劇部の会場。真剣な部員達の表情。合間に入り込むのは美味しそうなカレーとチュロス。楽しそうに催しに参加する誰とも知らない家族の姿まで。
更に続くのは書道部の展示。先ほど行われていた書道パフォーマンスの一瞬が切り取られている。その中で一際目立つのは水野君の写真。そして、美術部の私達の作品と笑い会う私達の姿。言うまでもなく送り主はあかりさんだ。
「いつの間に……」
笑い合う私たちの写真なんていつの間に撮ったのだろう。夢中になって気付かなかったわけだが、その身のこなしの軽さに思わず感嘆と呆れの混じった声音が出てしまった。こんな姿を見られていたと思うとなんとなく気恥ずかしい。
固まる私の手元を柚葉ちゃんが覗き込む。
「わ、すごい。こんな写真いつの間に。ってか、これ絶対湊真が嫌がるやつだー! 見せてみたい!」
言葉の最後の方は本当に楽しそうで生き生きとしていた。
確かに自分の写真とか嫌がりそうだ。険しい表情をした水野君の姿が自然と浮かぶ。気付けばいつの間にか彩乃も私のスマートフォンを覗き込んでいた。
「もしかして、これ送ってきた人って」
「うん、写真撮った時にお世話になった人なんだ」
彩乃の問いに答えて私はしばらくスマートフォンを見つめる。それから校舎の外に一旦出て電話をかけることにした。数回のコールの後に電話が繋がり、湿り気のない声が耳に届く。
『お疲れ様。作品見に行ったけどすごくよかったよ』
「ありがとうございます。あと写真も。……それにしてもいつの間にあんなの撮ったんですか?」
『企業秘密! 今日は私も晴人もたくさん撮ったよ』
ここはやはりと言うベきなのだろうか。あかりさんと一緒に晴人さんも文化祭に来てくれたらしい。写真を撮られた気恥ずかしさがある反面、時間を割いて来てくれたことが嬉しかった。
『マスターにも見てもらいたいからね』
その一言でああそうかと思い直す。
きっと届けたいんだ。今のこの一瞬の世界を。
もう二度と訪れない世界を。
そして、止まることのない時を私たちは生きている。生きているということは、それと同時に終わりに向かって歩いているのと同義語で。
きっとするのなら後回しではなくて、すぐがいい。
「あかりさんに紹介したい友達がいるんです。また今度会えませんか?」
『うん、いいよ。日程はまた連絡するのでいいかな』
快活なあかりさんの返事。今度会った時には今日撮った写真を見せてもらおう。出来たら水野君も一緒だと面白いんだけどな、なんて意地の悪い思いが浮かんでしまうのは柚葉ちゃんに感化されたのだろうか。
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
『ん、それじゃ』
きっと新たな出会いがあり、別れるものもある。
それを受け入れて。認めて囚われずに今を生きる。ただ出来ることを積み重ねていく。
時には
私達の
残暑の晴天を仰ぐ。雲一つない空だった。
「夢喫茶でまた会いましょう」
−完−
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