第13話 消えた太陽
期末テストを無事に終えた週末。初夏も過ぎ、照りつける夏がやってくる。
私は母と近くにある花屋に来ていた。小さなお店は柔らかなライトグリーンに塗装された木製の店舗で、親しみやすく落ち着いた雰囲気だ。まだ馴染みのない街の中で、そこは私と母の数少ない楽しみの場所になっていた。
今日はベランダに置いている鉢植えの入れ替えをするために花を買いに来たのだ。蒸し暑い夏は春と比べると花の種類は少ないが、色鮮やかな物が特に揃っているように思う。
「やっぱりペチュニアかな。後はナスタチュームか……」
母がそう言いながら眺めるのは朝顔の形に似たラッパ型の花だ。色は多様で花形も八重咲きやフリルと変わっているものも多い。
そして、足元には鮮やかなオレンジ色の花と薄紫色の星形の花が並ぶ。花を見るのは好きだし金魚草や千日草などは分かる。けれど、年々増えていく外来品種の名前全て覚えることは難しいなと思う。名前をぱっと言える母には遠く及ばない。
母は納得いくまで眺めて花の苗を買った。選んだのは鮮やかな赤と白のペチュニアと星形のペンタス。夏に負けない活力の色と相反する穏やかな静の色だ。
家に帰り、暑さが落ち着く夕方になってからベランダで花を植え替える。今回は品種ごとにポットに植えた。そこから水が溢れるほどしっかりと水やりをして、植え替えを終える。
ちなみに私の希望で今回はミニトマトも買った。お弁当の足しになればいいという、花より団子としか言いようがない理由から。母が悩んでいたナスタチュームもエディブルフラワーと言って、実は食べられる種類の花というのは後から聞いた話だ。
ベランダの先で空を仰ぎながら夕涼みをする。まだ湿気た暑さが残っていた。
「体調のほうは大丈夫?」
「ん、大丈夫」
「夏休み明けたら文化祭もあっという間にきちゃうわね」
美術に力を入れている私の高校の文化祭は華やかだ。初めて参加した一年前、その熱量に一年生の私は圧倒された。
代表格と言えるのは吹奏楽部と演劇部。吹奏楽部はコンクール出場に名を連ねる強豪だ。文化祭で行われる演劇部の劇は年三年行われる中で一番の大舞台。劇も細かいところにこだわりがあって、地区大会の奨励賞も取っている。どちらも好評で一般公開日は人で賑わう。
私が所属する美術部もまたテーマを決めて、大型のキャンパスや立体物などを展示している。彩乃と中学の時に学校見学を兼ねてきた時、作品が並ぶ姿に圧倒されたのを思い出す。美術部ではそれぞれが文化祭に向けて自分の作品を制作しているところだろう。
「……うん、そうだね」
部活に行っていないことを母に告げていない私は曖昧にしか答えを返せない。お兄ちゃんも誘おうかなと、笑顔で言う母を見て胸に刺さった。
いつかは話さなければならないこと。私はそれをまだ消化しきれていない。もやもやとした気持ちのまま、時間だけが消化されていく。
夏休み前の少し緩んだ空気の中、クラスでは実行委員中心に文化祭に向けて準備が進められていた。ちなみに文化部に入っている人はそちらの活動を重視されるので、実行委員からは基本的に免除される。
今年のクラスの出し物はカレー屋さんだ。やる気に満ちた運動部の多数決という推しで決まり、率先して準備に動いていてくれた。私は美術部ということで主にお店のデザイン面で参加している。調理用具の調達や仕入れ先の確保。調理手順のマニュアル化や会計など、それぞれが得意な分野で協力し合っている。
「水野ー。ちょっと相談乗ってくれねぇ?」
不意に聞こえてきた名字に私は顔を上げる。実行委員の一人、高梨君の元に水野くんが向かっているところだった。
「なに?」
「これなんだけどさ」
高梨くんが紙を広げ、二人で覗き込む。
「やっぱちょっと動線が悪いような気がするんだけど」
「あー……。じゃあこっちに調理道具置くとか?」
夢喫茶に行ってから、ようやく私はクラスの中での水野君という人を知った。
水野君は素っ気なさそうに見えるけど、意外と面倒見が良くて頼まれごとを引き受けていた。決して目立つわけじゃないけど誰とも不思議と馴染む。そんな風に私には見えた。また、その雰囲気のためか女子からは好意的見られているのがほんのり分かる。そんな彼に言われた一言が頭の中に反芻する。
白谷はどうしたい?
その問いでもたらされた私の回答。
絵を描きたいという純粋な思い。奥底で燻り続けていたそれを抱えて、私は久し振りに美術室へと足を運ぶ。
ゆっくりとした歩みでも近く教室。前まで通い詰めた私の足は当然といったように迷いなく進む。気がつけば目の前に差し迫っていた。
そこにいる親友の姿が頭に蘇って、私は足を止める。
彩乃に言わなければならないことがある。話すなら誰よりも先に彼女に話したかった。家族に言いにくいことでも彼女になら相談できた。
けれど。
私はその日、足をそれ以上先に進められなくてその場を後にした。みっともないなと思いながら、縋るような思いで流れる電車の風景を眺める。
夏は日が長い。少しぐらい遅くなっても明るいから大丈夫だと、私はそのまま夢喫茶へと向かった。揺れる電車に身を任せて、最寄りの駅名が聞こえるまで目を閉じる。真夏の太陽の光がまぶたに映り、その強さを主張していた。
最寄りの駅を降りて慣れた道を一人歩く。一人塞いでしゃがみ込んでいた公園を通り過ぎた。
冬と春の境目のあの日、マスターと出会って流れるままやってきた夢喫茶。それがこんなにも通い詰める場所になるなんて思ってもいなかった。 いつの間にか私にとって夢喫茶は導になっていた。いいことが映し出されれば黒い影もまた濃く映る。それは全てを照らし出す太陽のようで。
夢喫茶に行ってマスターに会って、明日こそ彩乃に話そう。私は一人そう決意する。もし他にも誰かに会えたら嬉しいなと頭の片隅で思った。
夕焼け色に染まる前の刻限、私は夢喫茶に到着する。しかし、そこで目にしたのはカーテンの閉まった暗いお店だった。私は違和感を覚えながら喫茶店の扉に手を掛けた。がちゃんと響く不穏な音に私は身を硬らせる。
お店が開いていない。
言い知れぬ不安が胸の中に疼く。けれど、それ以上はどうすることも出来なくて、私は仕方なく家路についた。その途中、そういえばと今更ながらに私はショップカードを見て定休日を確認した。夢喫茶の定休日は火曜日。今日が定休日でないことを確認して私は柚葉ちゃんにメッセージを送る。
『夢喫茶開いてないみたいだけど、何か知ってる?』
メッセージを送って私はスマートフォンを鞄にしまう。それ以上は寄り道せずそのまま帰宅した。洗濯物の取り込みや夕食の準備をしていると送ったメッセージの返事が来ていた。
『え、そうなんだ? 私は何も聞いてないな〜』
半ば予想していた返事に私は少し肩を落とす。
『そっか、ありがそう』
お礼の返事を送信して私は一人息をつく。
お店の事情から定休日以外に休みであっても何ら不思議ではない。ただ、夢喫茶に行きたい時に行けていたことが当たり前ではないことだと、今になって痛感する。
それから美術室に足を運んでは入れず、その後に夢喫茶に向かうという日々を繰り返す。
そうして一週間。
夢喫茶は開くことなく沈黙を続けた。
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