第10話 それぞれの形
家族。それは色んな形があって、家族に対する重いも様々で。私は思わず聞こえてくる声に耳を寄せてしまう。
「うちの親、門限煩くてさー」
「美香の家は厳しいよね」
「ちょっとほっといてくれたらいいのに」
「分かる分かる。ちゃんと自分のペースでやるっての」
不満の声音で繰り広げられる家族論争。
時には兄弟間のゲームの取り合いや使ったものを片付けないなど、些細なことで喧嘩をしたという話も聞こえてくる。歳の近い兄弟ってこんな感じなのかなと私はぼんやりと思う。兄と歳の離れた私は喧嘩することがなかった。兄弟間で嫌と思うことも特になく、ありがたいような寂しいような不思議な気分だ。
そこから少し離れると、また違った家族の形がそこにはあって。
「昨日両親の結婚記念日でさ。今年は二人でデートしてきたんだよ」
「相変わらず仲良いよねー。ウチじゃ絶対ないわー」
「うちもない!」
あははと笑い合う声が昼休み終わり間際の教室内に溶け込む。
仲睦まじい家族。中には歳をとってからも一緒に旅行に出掛けたり、地域の福祉活動に参加している人もいるのだとか。私にはちょっと縁遠い世界の話だけれど、それに対する憧れがどこかにあって。
遠い日を思い出す。
授業参観だったのだろうか。覚えていないけれど、珍しく父が学校に来たことがあった。
授業の終わりに自然と集まって遊びあうクラスメイト。その中に混じる親友のお父さんがいて、皆と楽しそうにボールを投げ合う姿が格好良かった。私は自然とその姿を指差す。
「お父さん、一緒に行こうよ」
私のお父さんも格好いいからなんて、今じゃきっとないだろう高揚感と期待を込めて私は言った。
父は私の指差す方を見て視線を落とす。
「今日はちょっとな」
私は父の視線を追う。そこはきれいに磨かれた革靴があって、それを見た私は一人で皆の方に視線を向けた。
「……じゃあ、私行ってくる」
足早に皆の元に駆け寄る。親友のお父さんは満面に笑みで途中から入ってきた私を迎えてくれた。
――期待するのは止めよう。
初めて諦めを感じたのはその時だったように思う。私はそれからあまり父に頼み事をしなくなった。
行事に来て欲しい。遊んで欲しい。褒めて欲しい。きっとそれは我が儘で、私はその思いにそっと蓋をした。でもそれは消すことの出来ない燻りとなって私の中に残り続ける。
格好とかそういうのはどうでもよくて。
特別な何かをして欲しかったわけではなくて。
ただ一緒にその時を過ごしたかった。
今日の夕飯は何にしようかなと思いながら、色付き始めた西の空を仰ぐ。
お母さんの好きな肉じゃがにしよう。そんなことを思いながら私は学校を後にした。
* * *
翌週の土曜日、私は早めに夢喫茶へと向かう。営業前に展示していた写真を片付けに行くのだ。普通は最終日に搬出するのだけれど、閉店後では遅くなってしまうとのことでこのタイミングになったのだ。
「展示お疲れさま!」
そう労ってくれたのは晴人さん。あかりさんは急な仕事の案件が入ってしまい休日出勤なのだそうだ。あかりさんからは『行けそうにない、ごめんね』という連絡をもらった。
納期の延長を相談しつつも期限はぎりぎり。クライアントの無茶とも言える納期に合わせるのも仕事だからねという晴人さんの言葉に、私は大変だなと思ってしまう。
土曜日から金曜日にかけて一週間展示された写真達。一つ一つ外していくと少し物寂しさを覚える。晴人さんと共に写真を外すと喫茶店は元の姿に戻っていった。
私は小さなテーブルに置いてあった写真集と感想ノートを手に取る。ペラペラと捲っていくと感想が書かれていて、思わずどきりとする。
「あ、俺のは後で見てね。字も汚いしちょっとはずかしいかも」
私を見て晴人さんは苦笑し、慌ててノートを閉じる。自分も目の前で見られるのは少し苦手なので晴人さんの気持ちはよく分かった。
「すみません」
「いやいや、謝ることじゃないんだけどさ」
苦笑を濃くして晴人さんは頭を掻いた。それから気を取り直して鞄の中を探り始める。
「はい、これ」
そう言って晴人さんが差し出したのは薬瓶だ。中に入れられているのは透明な碧と半透明の白の結晶。その綺麗な色合いに思わずため息をつく。
「これは……?」
「琥珀糖っていうお菓子。ライチとソーダ味のね。初夏に合いそうでしょ?」
「お菓子なんですか?」
瓶を空に翳して中の結晶を眺める。まるで宝石みたいで食べられるというのがどこか不思議だ。食べるのがもったいないなんて思ってしまう。
「うん。個展の思い出っていうか記念に。俺なりに写真の感想を形にしたみたいな」
私が撮った写真。それは確実に誰かの元に届いて。
「『その先の向こう側』。君が見る向こう側の世界にはきっとこういった綺麗な欠片がたくさんあると思う」
別の形となって返ってくる。
労いの言葉だけでも嬉しいのに形になってくるなんて反則だと思う。心にじわりと胸温かかいものが染み込んできて、瓶を両手でそっと握りしめた。
「……ありがとうございます」
「よかった」
晴人さんは自分のことのように嬉しそうに笑った。片付けが終わった後はいつものようにカウンターに座ってお茶を頂く。
爽やかなオレンジピールの香りが辺りに漂う。ゆっくりと晴人さんと話をする機会が出来て、私はかねてから思っていた疑問を口にする。
「あかりさんとは長いんですか?」
「うん。俺もデザイナーなんだけど、初めて勤めた会社の先輩でさ。色々お世話になったよ。仕事終わんなくて会社に泊まった時とか、一緒に飯食い行ってまた仕事して」
懐かしいな、なんて晴人さんはカップの中を覗きながら呟く。その目と微笑みはとても穏やかで、それが思いの全てを語っているように思えた。
「今はちょっとフリーでふらふらしてるんだけど、まぁ業界は広いようで狭いもんでさ。ちょこちょこ仕事もらってる。それこそ上京して周りに知り合いもいなかったからさ。こっちでの家族みたいな感じ」
「家族ですか?」
私の疑問符に対して晴人さんはそうと返す。言葉を続ける晴人さんは少し困ったように微笑んだ。
「上手く言えないんだけどさ、ただの仕事仲間以上だけど友達とも違うっていうか。まあ、俺の感覚ってちょっとずれてるから変な感じだろうけど」
一言では言い表せない関係。きっとそれは家族でも友達でもそうなんじゃないかと思う。むしろ一言で言い表せる関係なんてないのではないだろうか。
ふと思い出すのは彩乃の姿。親友だけどライバルで、家族にも言えないことをまず相談するのは彼女で。もしかしたらそれと似ているのかもしれないなんて私は思う。
「そんなことないと思います」
私の言葉に晴人さんは意外そうな顔をして笑った。
「……ありがと」
それから撮影会の時に晴人さんが撮った写真を見せてもらった。
切り取られるのは生き生きとした人の姿。伸びゆく成長を映し出す植物の新芽。宙を舞う水飛沫の一瞬。同じ所なのに撮る風景はまるで違って、改めてそれぞれの世界があるのだと私は実感する。
「あ、そろそろ行かないとまずい」
晴人さんは腕時計を見て席を立つ。これから仕事の打ち合わせがあるのだそうだ。仕事前の時間を使って手伝ってくれたのだと知ると申し訳ない気分になる。当の晴人さんは全く気にする様子もなく、フリーランスは土日祝日関係ないんだと言って笑った。
「またね」
カウンターで支払いを済ませると、晴人さんは足早に喫茶店を後にした。
晴人さんを見送った後、私は出入り口にある本棚に足を向ける。屈み込み、初めて来た時のように並ぶ文庫本の背をなぞった。
何かを作るということは思いを形にすることだ。
その時にしか形に出来ないもの。きっとその時しか見られないものがある。私は藍川時雨という名前の入った背表紙を一冊取り出した。
席に戻る前に窓際のテーブル席に視線を向ける。その席に時雨さんがパソコンのキーボードを打っている姿が重なった。
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