第8話 その先の向こう側
学校での昼食はいつも彩乃と一緒だ。教室で食べるのがほとんどだけれど、今日は天気もいいこともあって私達は中庭でお昼ご飯を食べることにした。ベンチに腰を掛けて持ってきたお弁当を開ける。
一段目は真っ白なご飯。二段目に卵焼きと焼き鮭、ほうれん草とベーコンの炒め物。そして、好きなグラタンカップ。開けたお弁当を見て隣から感嘆の吐息が聞こえた。
「友紀、よくお弁当作ってくるね」
そんな彼女が足に上に置いているのも彩り豊かなお弁当だ。高校になってからいつもお母さんが作ってくれていると言っていた。
「んー、作るっていっても大体あまり物の詰め合わせだけどね。グラタンとか冷凍食品使ってるし」
「それでもその彩りは流石というか」
そう言われてみればバランスは整っているかなと思う。手伝いは以前からしていたが、二人暮らしになってから料理は交代でやるようになった。それに伴って自然とお弁当作りもするようになったのだ。
彼女とお弁当を見て私はぽつりと呟く。
「彩乃ももうちょっと料理してみたら?」
「私が変なところで不器用なところ、知ってるでしょ?」
彩乃はため息をつき、ご飯を一口食べる。
手先が不器用なわけではないし何が問題なのかと思っていたが、段取りがあまりよろしくないのだとか。一度に平行して料理をしていると片方を残念な仕上がりにしてしまうと前に話してくれた。
「慣れだと思うけどな」
「そういうもんかなぁ……」
似合わないため息を再びついて彩乃は唐揚げを口に運んだ。それを見て私もお弁当に箸をつける。卵焼きを食べると出汁の味がほんのり広がった。まだ卵焼きは母の味には遠いなと思う。お弁当の中身は何がいいかという談義をしながら、半分ほど食べ進めたところで彩乃が一枚の紙を差し出してきた。
「あのさ。これなんだけど」
そこに書かれているのは西洋絵画の展示会の案内だ。
「良かったら久し振りに週末に行かない?」
以前から興味のある展示会を見つけては一緒に行こうと誘い合っていた。去年に秋口から家のことでそれどころではなかったので、久し振りのお誘いだ。ただ、この週末は予定がある。
「ごめん、その日は予定があって……」
「そっか、うん。じゃあまたいいのがあったら誘うね」
そう言って彩乃は展示会のフライヤーを脇に置いた。予定があるのは本当だけれど、彼女の寂しそうな苦笑いを見てちくりと心が痛む。
その後は最近好きな漫画のことなど他愛もない話をした。昼食を済ませて私達は教室に戻る。別れ際に彩乃は手を振って笑った。
「じゃあね」
その後ろ姿を追う。すぐに他のクラスメイトが彼女の元に歩み寄ってきた。私はそれを見届けて自分の教室に戻った。
席で授業に準備をしていると開始のチャイムが鳴る。世界史担当の先生が教室にやって来て午後の授業が緩やかに始まった。午後の授業は食後とあって皆うつらうつらと夢見心地だ。加えて、淡々と説明が続く授業というのも一因かもしれない。
私はぼんやりと窓に外を眺める。窓の外に広がるのは恨めしいほどの透き通った青空。そんなわけで午後の授業は頭に入ってこなかった。
四月のクラス替えで彩乃と別れてしまったのは寂しかったけれど、今はそれで良かったと心から思う。少し距離を取っていないと自分の嫌な感情をぶつけてしまいそうだった。何も悪くない彩乃にそんなことをしてしまったら、目も当てられない。
どこにも置きようのない感情と共にゆるゆると平日は過ぎていった。そして巡る土曜の朝。写真の展示の準備のために私はいつもより早く夢喫茶へと向かう。本当は行くのは気が重かった。
あそこは綺麗すぎる――なんて当て付けのように思う。展示の打ち合わせをしたあの日、親友に対する嫉妬が晒し出されてから自分に対する嫌悪感が増した。
それと同時に日向大君や柚葉さんの笑顔が脳裏に映る。それはキラキラと輝いて見えて、こんな自分が喫茶店に行っていいのかなんて思ってしまう。そうこうしているうちに夢喫茶に着き、私はしばらくの間その前で立ち尽くした。
開店前の喫茶店は何も語ることなくただ静かに佇む。気持ちが整理しきれないまま、私はお店の扉を開けた。
「いらっしゃい」
乗り切らない気持ち。それでもマスターは笑顔で迎えてくれる。
「こんにちは。マスター、準備させてもらっていいですか?」
「もちろん」
写真を飾っていく。
一つ。
また一つ。
丁寧に飾り付けられる写真達。
私の目の代わりに写し出された世界。
他の人から見たらこの世界はどう映るのだろう。
その先に何が見えるだろう?
『その先の向こう側』
それが私の写真展の題名。
そのまま壁に貼られた写真。大きな窓の写真はクリップで止められ、連なるように展示されている。ネガフィルムも同じように窓辺に吊るすように展示した。陽に透かされたフィルムは不思議な色の影を落とす。
写真に写るのは五月晴れの空。地面に散ってしまった花弁。近代建築の螺旋階段。窓越しに見た建物の中の風景。地面に書かれた案内標識と一緒に映る私の足。
「いいね」
あかりさんのしっとりと落ち着いた声音が店内に響く。私以上に納得したような声音。それがしずみがちな私の心を持ち上げてくれる。
「あとこれも出来上がりました」
そう言ってあかりさんに差し出すのは一冊の冊子。あかりさんに教わりながら作った小さな写真集だ。
あの日の打ち合わせの最中、良ければ作ってみたらと勧められたのだ。打ち合わせの日とその翌週の土曜日、教えてもらいながら作った。
印刷したのは三冊。展示用と自分用。そして、今は所在のない一冊。
「出来たんだね」
あかりさんは写真集を受け取ると丁寧にページを捲っていく。まるで自分の作品のように愛おしそうに眺めていた。私を見て満面の笑みを浮かべる。
「うん。これもすごく素敵だね。後は仕上げにあれ置こう」
出入り口の側に小さなテーブルを設置し、そこにクレマチス――テッセンを生けた花瓶、写真集と感想用のノートを置く。
「完成だね」
その声に私は振り返る。微笑みを浮かべたマスターがカウンターにカップを置くところだった。
「少し休憩してはどうかな?」
「ありがとうございます」
私とあかりさんはカウンターに着き、入れたてのルイボスティーを頂く。
あかりさんはたっぷりのミルクを入れて。私はメープルシロップをいつもより多めに入れて。ほっと息をつくと肩から力が抜け、緊張していたんだと今になって知る。
改めて見渡す店内はいつもと違った雰囲気を醸し出していた。きっとこれが私の色なのだと、自然とそう思った。
展示は今日から一週間。この期間だけ、夢喫茶は私の色を含む不思議な空間へと様変わりする。
「なんだか不思議な感じです」
「そうね。私もそんな感じだった。後はどうなるかお楽しみだね」
そう言ってあかりさんは出入り口のテーブルに視線を向ける。勧められるままに感想ノートを置いてみたけれど、感想なんて書いてもらえるのだろうか。
突発的に企画された学生の写真の展示。ここまでしてもらって感想をもらうなど贅沢な気もする。ただ、やったことに対して何かしら反応を期待してしまうというもの人の性。
「ま、感想あったらラッキーって思って気楽にしておきなよ」
私の気持ちを汲んだかのようにあかりさんは言う。
「今日が始まりだけど、とりあえずお疲れ様。ここまで出来て私も嬉しい」
「私もです。あかりさん、色々とありがとございました」
お茶で一息ついた後はあかりさんと共に町へ出掛けた。展示の様子を見ていることも出来たが、なんとなく気恥ずかしくて一度外に出ることにしたのだ。用意したプレゼントを目の前で開けられるような、そんな落ち着かない気分だったのだ。
あかりさんが町の中を案内してくれる。以前話していた雑貨屋や公園、広めの本屋などを回っていくと普段は見ない町の姿がそこにあった。
いや、きっとそれは違う。いつもそこにあって私が視界を巡らせていなかっただけなのだ。一人だとこんなにも視界が狭かったのかなんて人ごとのように思う。あかりさんと巡る一時はいつもと違って新鮮だった。
お昼を大幅に過ぎて私達は夢喫茶に戻る。戻ってきた店内では一人男性が写真を眺めていた。
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