第7話 沈む世界

 チーズがかかった野菜の山の一角にスプーンを立てて、一匙掬うと豊かな湯気が上る。

 火を通した玉葱の甘味がこってりとしたチーズと濃厚に絡む。程よい固さを残したブロッコリーは甘くてチーズの塩気とよく合う。蓮根のシャキシャキした食間が楽しくて、ほくほくしたかぼちゃはソースとの相性が抜群だ。食べ進めていくうちに発見する野菜たちが食べるのを飽きさせない。


「あふ、あーでもうまぁ……」


 柚葉さんの飾り立てない言葉が思いのすべてを表していて。そして、それは私の思いそのもので思わず吹き出してしまう。


「あはは」

「あ、笑った~」

「ご、ごめん」


 慌てて私は謝る。柚葉さんは気にした様子もなく、むしろ笑って言った。


「ううん、逆。笑ってくれて嬉しいよ」


 その時、扉が開いて私は自然をその方向を見る。そこには傘を手に持つあかりさんの姿。


「こんばんは」


 マスターに挨拶してあかりさんは足早にカウンターに歩み寄る。


「ごめんね、待たせちゃって」

「いえ、大丈夫です」


 私と柚葉さんが食べているものを見るとあかりさんは目を輝かせる。


「あー、それ美味しそ! マスター、今日の一品お願いしま……」


 そこで差し出されたのは緑黄色野菜たっぷりのグラタン。それに目を瞬かせてあかりさんは感嘆の息を漏らす。


「さすがマスター」

「ここに打ち合わせに来て食べないなんてことはないだろう?」


 それもそうでした、とあかりさんが笑う。


「では、しっかり頂いて頑張りますか」


 あかりさんも加わって、私達は一緒に今日の夕飯を頂く。

 誰かと一緒にする食事と言うのはやはり楽しい。自然と会話が弾み、食べ終わる頃には体が芯から温まっていた。


「そうそう、写真出来たよ」


 食事を終えた後、あかりさんはバックから紙の封筒を取り出す。

 この間撮った写真だ。私はそれを言葉なく受け取り、静かに取り出した。


「わぁ」


 覗き込む柚葉さんが感嘆の声を上げる。


「なんか普通の写真と違う?」


 ざらりとした独特の粒状の質感、少し褪せた雰囲気を醸し出す色味。独特の色合いで切り取った世界がそこに在った。


「フィルムカメラで撮ったからかな。……フィルムの写真の色って不思議ですね」

「うん、しっとりしてるよね。それが好きでさ、裏路地とか撮るとよく馴染む」


 私は一枚一枚と写真を捲っていく。

 慣れないフィルムカメラでの撮影だ。光度が足りず暗い所で撮ったものが潰れ気味だったり、逆に飛びすぎていたりと散々なものもあった。


「やっぱりそう簡単にはいかないですね」

「うーん、それが面白いけどね、まあ悔しいのも分かるよ。綺麗に撮れてるのもあるし全体的にいいと思う」


 これなんか好きと言ってあかりさんが捲る写真の一つを差した。

 それは上から撮影した螺旋階段。近代建物のレトロな雰囲気と写真の色合いがノスタルジックな雰囲気を強めている。


「うん、そうですね。確かにいいかも……」

「これが今のあなたの世界。失敗してしまったのも含めて私は好きだな」


 そう言ってあかりさんは微笑む。失敗したのも含めて好きだという、その言葉が心の中に暖かく残る。

 一通り写真を確認して私は次の作業に向かう。約束のため、撮影の中で自分なりに決めた題で私は世界を切り取ってきた。


「あかりさん、よろしくお願いします」

「ん、任された!」


 マスターとした約束は――撮ってきた写真をこのお店で展示すること。

 展示の順番が変われば印象も変わるという。だからどう展示したいのか、この写真に込めたものは何か。言葉にならない思いを口にして自分の中で形にしていく。あかりさんは拙い私の言葉を丁寧に汲み取ってくれた。徐々に展示したい形に近づいてくるのを見るとやはりわくわくする。


 そして、ノートパソコンを借りてもう一つ私は作品を作る。パソコンでの作業は慣れないけれど、時に話の道を逸れながら進められたので楽しかった。

 その間に柚葉さんは食器洗いなど店の手伝いをしていた。既に手伝いを終え、今は帰りの準備中。明日も部活の練習のあるのだそうだ。


「友紀、頑張ってね。あ、いや。頑張らなくていいや、楽しみにしてる!」


 またね、と言って柚葉さんは元気よく手を振り、一足先に夢喫茶を後にした。

 その言葉は必ずまたここで会うという宣言のようで、自然と私もまた会いたいと思った。

 それからあかりさんと二人で作業に没頭する。それは周りのことなど一つも気にならないくらいだった。


「白谷さん、時間は大丈夫かい?」


 そうマスターに声を掛けられて、私は帰る時間を大幅に越えていることに気が付く。当然のように窓の外はとっぷりと日がくれていた。それを見て少し息を呑む。


「ごめん、時間大丈夫?」


 覗き込むようにして私を見るあかりさん。私は我に返って慌てて返事をした。


「え、は、はい」

「少し遅くなってしまったね。あかりさん、良ければ白谷さんと一緒に駅まで行ってあげてくれないかな?」

「大丈夫ですよ」


 私は笑顔で答えたつもりだったが少し上手く笑えなかった。私の言葉にあかりさんが続ける。


「そう言っても電車には乗るんでしょ? 私も電車だし駅までは一緒でもいいんじゃない?」


 あかりさんの提案は至極当然で私に断る理由もない。


「そうですね。じゃあ一緒に……」

「ん、じゃあ今日はおしまい!」


 あかりさんはそう言って手を組むと腕を高く上げて体を伸ばす。確かにずっと集中していたので体が強張ってしまっていた。

 私も体を伸ばして体を解し、手早く荷物を片付ける。そういえば夢喫茶の営業時間終了間際だ。マスターに視線を向けると軽く手を上げて笑った。


「気を付けて」

「はい、ありがとうございます」


 会釈して私は夢喫茶を後にする。外の湿気た空気が胸に染みた。

 喫茶店の通りの道は小さく街頭も少なめだ。この町の昼間しか知らない私には心許なく映る。


「駅に近いところはいいけど、ここの通りはちょっと暗いからね。私としても一人で帰らせるのは申し訳ないっていうか」


 私の心中を図ったようにあかりさんは言う。その言葉でマスターが気を使ってくれた意味が分かった。


「そうなんですね、わざわざありがとうございます」


 あとでマスターにもお礼を言わなくちゃな、と思う。

 帰り道はあかりさんが町にあるお店を紹介してくれた。古本屋さんや変わったデザインの文房具を揃える文房具店。ハンドメイド作品を扱う小さなギャラリー。たまに浮気をして食べに行くカレーのお店はちょっと小洒落た内装だそう。どれもあかりさんの好きそうなデザインに関連したお店だ。

 話をしていたらあっという間に駅に辿り着いた。あかりさんとは別の路線で私達は駅で別れる。


「今日は楽しかったよ。大体構想が出来上がったけどあともうちょっと詰めようかな?」

「お願いします」

「じゃあ、また連絡するね!」


 あかりさんは手を振って目的のホームに向かっていった。その後ろ姿を見送って私もホームへと足を運ぶ。乗った電車は会社帰りと思われるスーツ姿の人が多く、少し混んでいた。

 降車口の脇に立ち、ドアに頭を寄せながら私は外を眺める。先ほどまでの賑やかさが名残惜しくて少し寂しい。


 ゆらり揺られて自宅の最寄り駅に着く。自宅までの道は大きめの通りなのでお店もあり比較的明るい。

 私はそろそろと一人家路を辿る。ようやく見慣れ始めたアパートが姿を現したところで私は軽く息をついた。二階に上がり家の鍵を開けて電気を灯す。


「……ただいま」


 返事はないと分かりつつもする習慣。手洗いと着替えを済ませてスマートフォンを確認すると着信履歴があった。

 兄さんだ。

 どうやら電車に乗っていた時にあったらしい。私は部屋に戻って履歴から電話をかけ直す。数回呼び出し音が響いてから電話が繋がった。


『友紀』

「ごめん、すぐに出られなくて」

『いや、いいよ。ただ珍しいなと思って』

「えっと、今日は友達とごはん食べていて……」


 友達。変じゃないかな。

 今日会ったばかりなのでそう言っていいのだろうかという思いが頭を掠める。ただそれ以上の言葉が思い付かなくて私はこれでいいのだと一人納得した。


『そうか、なら良かった』


 兄の返事には少し意外といったような雰囲気が滲む。その後に続いたのは笑みを含んだ声音だ。


『部活頑張るのもいいけど、たまには友達と遊んでこいよ。学生の特権だぞ』

「うん」


 八つ年の離れた兄は一人暮らしで会社に勤めている。あまり口数の多い方ではないけれど、こうして気にかけては電話をしてくれていた。母が無理をしていないか私からそれとなく聞くなどしっかりしてるなと思う。昔からそうだったけれど、色々面倒を見てくれてどちらかと言うと父親のような存在、と言ったら嫌な顔をされるだろうか。ささやかな日常の話をしながら私はそんなことを思う。

 近況報告も終わってもう電話を切るというところだった。


『友紀』

「うん?」

『進学のことも心配しなくていいからな? そこは俺も母さんもちゃんと考えてるから』


 じゃあまた連絡するよ、と言って兄は電話を切った。

 手の中に残るのは通話の切れたスマートフォン。私はそのままベッドに倒れ込み、スマートフォンを見つめる。


 兄も母も私の進学について心配ないと言ってくれていた。その気遣いが分かるだけにかえって苦しい。ベッドの上で仰向けになって天井を見上げる。味気ない天板を見ながら私は空に手を翳した。

 そうして自然と蘇るのは親友と絵を描いてきた日々。それを少しだけ反芻して私は目を瞑る。

 母と兄の気持ちに応えたい。

 けれど、二人の思いに応えることが出来ないことは明らかで、両手を目元に当てて私は深いため息をつく。

 私は。



「もう絵は描けない」



 その言葉は誰にも届くことなく。

 くうに消えていった。

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