第6話 五月雨の中で

 連休を明けて元通りに動き出す日常。学校始まりの時は家族と何処に行った、何をしたという話がよく聞こえてきた。私は特にそれに参戦することもなく授業を受けた。浮き足立っていた空気が落ち着き始めたのも束の間、暦の関係で週末が早くも巡ってくる。


 五月晴れが続いていた中、今日は季節外れの寒い日。朝から降っていた雨は止んだが気温は上がらない。カーディガンを羽織っても冷たい空気が染み込んできて、私は身を縮こまらせた。


「白谷さん」


 一日の授業も終わり、清掃を始める頃に快活な声で呼び止められる。

 そこにいるのは活発なクラスメイトの女の子。彼女は両手を合わせ、期待の眼差しで私を見ている。


「あのさ、今日の掃除ちょっとお願いしてもいい?」


 その子から以前も掃除の代わりを頼まれたことがあった。断る理由も特になく、私はごく当たり前のように返事をする。


「うん、いいよ」

「ありがと!」


 頭を深々と下げて鞄を持つと教室の外へ行く。そこには友達と思われる子がいて、彼女たちは楽しそうに笑いながら廊下へと溶け込んでいった。

 私は他の掃除当番の生徒と一緒に教室を掃除する。中にはふざけたりおしゃべりに夢中な人もいるけれど問題なく掃除は進んだ。

 ゴミを捨ててまとめればもう終わり、というところで目の前にしたゴミ袋が宙に浮いた。私は自然とその先を追う。


「水野君」


 視線の先にいたのはクラスメイトの水野君だ。全体的に丸いシルエットの黒髪に少し釣った目。アイロンのかかったシャツで綺麗な身嗜みだなと思う。水野君の姿が夢喫茶のマスターと重なった。

 基本的に男子と絡むことのない私は水野君の行動に戸惑ってしまう。そして、続いた彼の言葉は更に私を困惑させるものだった。


「やっとく」

「え?」

「白谷、いつも掃除やってるだろ。後はやっとくから」


 私の返事を待つこともなく水野君は手早くゴミを集めてまとめると、ゴミ袋を持って教室を出て行ってしまった。

 私は掃除用具を持ったままぽつんと取り残されてしまう。お礼を言いそびれてしまったのに気がついたのは教室を出る時だった。

 タイミングを逃してしまったと思いながらぼんやりと歩いていると、見慣れた教室が目の前に差し迫って私は足を止める。


 無意識の産物。前にも後ろにも足を動かせなくなった私は教室の近くにある掲示物に目を移した。

 そこにあるのは絵画コンクールのポスター。作品を募集するポスターには前年度の親友の作品が載っていた。注釈には特別賞の文字と高校名が並ぶ。

 目の前にある教室から顧問と親友の声が聞こえたような気がした。少しの間見つめた後、私はその場を後にしていつもと違う帰り道を行く。


 普段は休日に出掛ける夢喫茶に初めて学校帰りに立ち寄る。先日撮った写真の現像をあかりさんが見せてくれる約束だった。

 今日は母が夜勤で夜は一人だ。夕食の準備は自分だけなので少しだけ遅くなっても問題ない。家族の形が変わってから、母は昼間だけだった介護の仕事を夜も勤めるようになった。


「こんにちは」

「いらっしゃい、白谷さん」

「こんにちは!」


 私を出迎えてくれるのは食器を下げる日向大君とマスター。私は定席になったカウンターへ自然と足を運ぶ。


「日向大君、今日もお手伝い?」

「うん、でも今日はもうおしまい」


 家でお母さんが料理を教えてくれるんだと日向大君は言う。晴人さんのことを考えると慣れて欲しいものだなんて思ってしまった。


「そっか、頑張ってね」

「うん、ありがとう!」


 そう言って颯爽と帰っていく男の子の後ろ姿を見送る。お母さんと赤ちゃんのお手伝いをするんだと言ってお菓子を片手に帰る日向大君が大きく見えた。

 あかりさんを待つ間、私は勧めのハーブティーを頂いて教科書を開く。待っている間に出された課題を終わらせておきたかった。

 喫茶店で勉強するなんてなんだか贅沢だ。程なくして意識が勉強に傾きペンが順調に進む。もう少しで終わりそうかなと思った時だった。


「マスター!」


 快活な声が響き渡り、私はびくりと体を硬らせる。お店の入り口に視線を向けると、そこには制服姿の女の子が立っていた。

 シャツに深緑のタータンチェック柄のスカート。鳶色のショートヘアーとくりっとした目がより一層活発そうな印象を強める。彼女は入り口に立ったまま肩を落とす。


「あー、悔しい〜」

柚葉ゆずは君、いらっしゃい」

「マスター、今日ごはん食べていってもいいですか」

「もちろんだよ。そうだ、白石さんもどうだい?」


 そう言われて私は時間を確認する。スマートフォンの時計が示すのは十八時二十四分。あかりさんが来るまでもう少しある。


「そうですね。もしよければ……」

「はは、遠慮しなくていいんだよ。待っててくれるかい?」


 そう言ってマスターは準備を始め、私は不意にお店の入り口に視線を戻す。

 その時、女の子と丁度視線が合った。いや、偶然ではなくこっちをしっかりと見ていたのだ。

 彼女は少し目を見張った後、満面の笑みを浮かべて足早に歩み寄って来くる。側まで来ると足元から頭までを確認するように見渡した。


「セーラー服に水色のリボンって彩晟さいせい高校? あそこって美術系に力入れてる学校だよね!」

「え、うん」

「あそこに知り合いいるんだ~。私は柚葉ゆずは夏樹なつき、高校二年。よろしくね!」

「あ、うん。よろしくね」


 勢いのまま私は返事をする。

 友達ではないらしいけれど彩晟高校に知り合いがいるらしい。同級生ならもしかしたら知っているのかもしれないと頭の片隅で思う。挨拶をしそびれそうになり、慌てて口を開く。


「私は白谷友紀。えっと――」

「柚葉でいいよ。名前みたいな名字だからこっちで呼ばれることが多いしね!」


 屈託なく笑う柚葉さんは快活という言葉そのもの。彼女はそのまま私の隣の席に座った。


「柚葉さんはどこの高校?」

常和ときわ高校。体操が強くてちょっとした有名どころなんだよ。私はテニス部だけどね」


 へぇと私は感嘆の相槌を打つ。運動はあまり得意ではないし、今の学校が第一志望だったので他の学校のことはあまり詳しくなかった。後で調べてみようかなと思う。


「そういえばさっき練習試合って……」


 そう言いかけたところで柚葉さんの表情は固まり、私の言葉も自然と切れる。彼女はそのまま深いため息と共にカウンターに突っ伏した。


「……負けず嫌いなんです、すみませんー」

「え、え?」


 全くもって流れについていけない私に対してマスターが笑う。


「試合とかで負けるといつもこんな感じでね」


 柚葉さんは突っ伏せていた顔を上げると頬杖をついて眉根を寄せた。


「いやーまーさぁ。みんな頑張ってるのは分かってるんだけど。やっぱり持ってる人を見ると嫉妬しちゃうんだよねぇー」


 飾らない表情と言葉。素直な思いをそのまま乗せていると感じる。それは私にはないもので、自然とそれが出来る柚葉さんが羨ましいと思った。

 そしてあの美術室の前で抱いた感情。

 重なる《羨ましい》という思い。

 手を動かしながらマスターが問う。


「はい、そういう時は?」

「相手を徹底的に褒める、でしょ? 分かってるんだけどさぁ。簡単に出来たら苦労しないよ、マスター」


 不意に頭をよぎるのはキャンパスに向き合う親友の姿。

 中学から一緒に絵を描いてきた。時にはみんなでふざけた作品も作って楽しかったのを覚えている。高校になってからより本格的に絵を学び始めて切磋琢磨してきた。率先して休みも絵を描きに来ていたあの日。


 隣に並ぶ親友がどれだけ頑張ってきたか、私は知っている。だからこそ彼女の功績は喜ぶべきことなのに。

 奥底に渦巻いていたのは混沌とした感情。様々な要因で露わになった奥底の感情を目の当たりにして、私は鬱々としていた。


「少しずつ出来るようになればいいんだよ」


 足を踏み出せないでいる自分が嫌で。私は疑問を片手に二人の間に静かに入り込む。


「褒める、ですか?」

「そう。嫉妬というものは厄介でね。相手を認めている反面、闘争心から負かしたいとか蹴落としたいという思いが潜んでる」


 マスターは静かに笑った。それはとても穏やかで不思議と私の心も凪ぐ。


「嫉妬は相手のいい部分を潰すだけでなく、自分の成長の機会をも潰しているんだ。自分の努力を放棄して相手の不幸を望んでしまってるからね」


 ああそうかと、マスターの言葉で私はようやく気が付く。

 嫉妬から来るのは今の自分の肯定だ。妥協と甘んじる心。そこに成長はないんだと不意に理解する。

 ただ、納得しながらも思ってしまうのだ。

 《今の私》に出来ることはなんだろう。


「そういう時は褒めるといい。相手のいいと思ったところを自分も得られるようにね。初めは心が伴わなくても、言葉にすればだんだんと心もついてくるようになるもんだ」


 そう言ってマスターは柚葉さんと私に新しいハーブティーを注いでくれた。二人で言葉なく湯気の立つカップを眺める。


「……なかなか難しいよね」

「……うん」


 柚葉さんの言葉に私はそれしか返すことが出来なかった。

 静かなクラシック音楽を背景にカップを口に運ぶ。暖かなハーブティーが喉を通り胃に落ちる。気が付けば香ばしい香りが店内に広がっていた。


「どうぞご賞味あれ。特製緑黄色野菜たっぷり豆乳ソースドリアだ」


 置かれた一皿からふわりと湯気と香り立ち上がる。香ばしい焼け目に色付いたパン粉にチーズ。その存在を押し退けるぐらいのブロッコリーや人参、かぼちゃなどが彩りを添える。これでもかというぐらいの野菜のボリュームだ。


「柚葉君、ちゃんと野菜食べているかい?」

「えへへ、あんまり……」


 しっかり食べていくんだよ、とマスターは笑うと新たなお客さんの注文の準備を始めた。困った笑顔を浮かべる柚葉さんに私は自然と浮かんだ疑問を口にする。


「野菜が苦手?」

「ううん、好きだよ」


 私の問いに柚葉さんは即答し、苦笑いしながら頬を掻いた。


「うちってお父さんと二人でさ。夜も遅いし、私もこんなんだからいつも菓子パンとかで適当に済ませちゃうんだよね」


 もうちょっと真面目に家事しないとね、と柚葉さんは苦笑する。

 家族二人。少し違うけれど自分と重なる。だから何となく柚葉さんが苦笑する気持ちが分かる気がした。


「……そっか。私もお母さんと二人暮らしなんだ」


 柚葉さんはこちらを見て驚いたような表情する。それも束の間で柔らかな笑みを浮かべると手を合わせた。


「こういうときはあれだよ、うん」


 私達は声を揃えてただ感謝を言葉にする。


「いただきます」

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