第5話 円《まどか》な縁

 季節は新緑の候。潤い育つ皐月。

 五月の連休、私は旅に発つ。

 なんて格好つけてみたけれど、実際はいつもと違った電車に乗るだけだ。でも、そこには確かにあかりさんと晴人さんという、普段別の世界に住む人がいた。円形状の路線を電車が走る。


 あの日のことを振り返ってもどうしてこうなったかよく分からない。唐突な晴人さんの宣言に当然のように私は狼狽えた。だって何の脈絡もないのだから当然だ。

 そんな晴人さんは何でもやってみるもんだよ、なんて言って笑った。


 私が状況を飲み込めないうちに日取りや目的地が決まり、どんどん話は進んだ。そうして連休最終日、今日という日はやって来た。

 着いたのは上野公園。なるべくお金がかからない場所、年代ものの建物があり、自然も動物ありということで決まった。噴水広場では白い屋根のテントが立ち並んで賑やかだ。

 晴人さんが持っていた荷物をベンチに置く。そこから一つずつカメラが取り出された。


「カメラは特別高いやつじゃないから、どれでも気兼ねしないで使ってね」


 そう言われて私は二人が用意してくれたカメラを覗き込む。

 ミラーレス一眼カメラ、コンパクトデジタルカメラ、珍しいレトロな外観のチェキなどが並ぶ。高くない物と言われているが慣れていない私からすると壮観だ。その中から私が選んだのは。


「……これお借りします」

「おー、また珍しいのを選ぶねぇ」


 手に持つのは年期の入ったフィルムカメラ。レトロな外観に懐かしさを覚える。


「私も好きだなー。フィルムカメラじゃないと出ない色があるんだよね」


 それにしてもどうして、とあかりさんが問う。私は無骨なカメラを撫でながら記憶に残る場面を思い返す。


「父方の祖父が昔、フィルムカメラで写真を撮っていたんです。だからなんとなくですけど知ってるところもあって」

「そっか」


 あかりさんはそれ以上問うことなく笑う。


「ちょっと待っててね」


 そう言って取り出すのは三十五ミリフィルム。手慣れた様子であかりさんは裏蓋を開く。私に交換の仕方を説明しながら新しいフィルムを取り付けた。


「それじゃちょっと練習してから行こうか」


 噴水広場で始まる小さなカメラ講習会。

 まずはピントリングを回して焦点を合わせる。ファインダーを覗きながら回していくと徐々にぼやけていた被写体が鮮明になった。

 次は絞りの調節。シャッタースピードと合わせて、光を取り込む量を変えて明るさを調節する。背景をぼかしたい時に調節する場所なので、特に注意して練習してみた。

 一通り練習を終え、あかりさんが取り替え方を書いた紙とフィルムと共にカメラを差し出す。


「これ私の主戦力。よかったら色々撮ってあげて」


 その時のあかりさんの言葉をなんと表現したらいいのだろう。

 確かにそこには、言葉では伝えきれない思いがあって。


「思うがままに。あなただけの世界を切り取ってきて」

「はい」


 あかりさんの言葉に一押しされて、私は私の世界を探しにいく。空を見上げると雲ひとつない青空が広がっていた。

 五月晴れ。

 シャッターを切る音が一つ鳴る。新緑の葉をまとう木々と共にその姿がフィルムに収められた。そういえばこうして上を見て歩くのはいつぶりだろう。


 フィルムカメラは現像するまで撮影結果が分からない。楽しみな反面、上手く撮れているかという不安が同居する不思議な気分だ。

 思うままに足を運ぶ。


 博物館の大広間や年季の入った螺旋階段。水面に映る柳の姿と春霞みの東京スカイツリー。立ち並ぶ鳥居はどこか神秘的に映る。

 二本目のフィルムが終わったところで時計を確認する。集合時間が迫ってきていて、私は慌てて待ち合わせ場所である噴水広場に辿り着く。


「お疲れ様〜」


 辺りを見渡すと手を振っている晴人さんの姿が見えた。それに堪えるように私は足早に駆け寄る。周りには家族や遊びまわる子供たちで賑わっていた。


「さ、休憩にしよ」


 あかりさんとも合流し、三人で噴水の階段で昼食を準備する。なんといっても今日の昼食は楽しみの一つだった。

 並べられるのは彩り豊かなサンドイッチ。野菜がふんだんに使われたそれはいうまでもなく夢喫茶のマスターお手製だ。一つ一つは小さめでいろいろな種類が用意されている。それに加えてデザートのアップルパイまで付いている。これを贅沢と言わずなんというのだろうか。

 あかりさんが入れてくれた紅茶を晴人さんに渡し、準備が整ったところで三人声を揃える。


「いただきます」


 彩り豊かな中からレタスに包まれた卵と人参のサンドイッチを選ぶ。一口頬張ると、シャキッとレタスが音を立てた。続けて甘く酢漬けされた千切りの人参としっとりとした卵が口に広がる。全粒粉のパンは風味が豊かでしっかりとした歯応えだ。


「んー、おいし」


 満足そうにあかりさんが言い、晴人さんが力強く頷く。


「色々カフェに行ってるけど、やっぱり夢喫茶のご飯が一番落ち着くなぁ〜」


 そう言えばまだ晴人さんについてよく話を聞いたことがなかったと思う。そんな私に気が付いたあかりさんが補足してくれた。


「晴人、料理全然ダメで外食かコンビニ頼りなのよね」


 料理を作ることがあまりなかったのだろうか。そんなふうに思っていると更にあかりさんが続ける。


「どうしたらそうなるのかって言うぐらいの自己流アレンジをして、それが壊滅的でさ……」

「あかりさん、それは言わないで」


 どうやら料理が出来ないのは技術的な面以外にも理由があるらしい、ということが分かった。その状況に出会いたくないなと密かに心の中で思う。

 あかりさんは紅茶を一口飲み、息をついた。


「でも本当、マスターのご飯は格別」

「美味しいですよね。何が違うんでしょう」


 美味しいのはもちろんなのだが、マスターの作る料理はどこか軽いのだ。心の重ささえも軽くしてしまい、すっとお腹に入ってしまう。私の疑問に答えたのは晴人さんだった。


「それは愛がこもってるからだと思うよ」


 晴人さんはそう言ってレタスとアボガド、チーズが挟まったサンドイッチを頬張った。あかりさんはなんとも言えないような表情でその様子を見つめる。


「うん。時々思うんだけどさ、本当に晴人って感覚で生きてるよね」

「結構真面目な話なんだけどなぁ」


 珍しく不服そうな声音で晴人さんは言った。紅茶で一度口を休めてから言葉を続ける。


「なんて言うかさ、みんなに幸せになって欲しいっていう、そういう想いがこもってる気がするんだよねぇ」


 幸せになって欲しい。

 喫茶店でのマスターの細やかな気配りが頭を過ぎる。

 お茶を出すタイミングや一人ひとりの嗜好によって少し違う食事。その人に合わせたマスターお任せのハーブティー。

 それらを思い出して言葉がすんなりと心に落ちてくる。あかりさんの返事はいつもよりしっとりとしていた。


「……うん。そうね」


 その後に訪れるのは静かな沈黙。

 鳩の羽音、賑やかな子供の声。誰かを呼ぶ声が辺りに響く。


「はい」


 そこで私の視界に入ったのは林檎の半身が載せられたアップルパイ。晴人さんが微笑みながら、あかりさんと私に差し出していた。


「ありがと」


 あかりさんはアップルパイを受け取り一口齧る。


「うん、やっぱり美味しい。やっぱりこれが一番」


 確認するようにあかりさんは言う。しっとりとした声音はいつもより落ち着いて聞こえた。

 食べてみて、と言われて私はアップルパイを頂く。

 半身の林檎のシャキッとした歯応えがする。賽の目切りの林檎では感じられないしっかりとした食感。焼いた林檎とカスタードクリームの程よい甘味が優しく広がる。もちろんパイのサクサクとした食感もいい。半身を使っているということもあって食べ応えも十分だ。自然と感想が口から溢れる。


「本当に美味しい」

「ね。私の一推しなの」


 私を見て、あかりさんは嬉しそうに笑う。アップルパイを食べ進めながら、私は前から感じていた疑問を口にしてみることにした。


「夢喫茶ってとても流行りそうなのに、それほど混んでいないですよね」


 おかわり自由でお客様に値段を決めてもらう。学生は無料。気になればお手伝いで気持ちを返すことが出来る。マスターこだわりの料理は美味しくて、ハーブティーだけでも十分満足のいく落ち着いた空間。これほど揃っているにもかかわらず、混み合うような風景を見たことがない。


「不思議なんだけどね。一回きりの人もいるし、よく来ていたと思っていた人もぱっといなくなっちゃうんだよね」


 俺は入り浸ってるけど、と言って晴人さんは笑う。


「全ては縁」


 そう続けたのはあかりさんだ。私はその中の一つの言葉を反復する。


「縁」

「そう。寄り添うも離れるも縁なんだって。起こる出来事は必然――起こるべくして起こったことってマスターが前にそう言ってた」


 必然がもたらす縁。こうしてマスターやあかりさん達と巡り合ったのは私にとって必然だったのだろうか。

 それなら、私の今の環境も起こるべくして起きたということになる。丸い形を失った林檎を見ながら私はぼんやりと遠くを眺めた。

 トントンと肩を叩かれて私は我に返る。そこには微笑むあかりさんがいて、沈みそうになっていた私の意識を引き上げてくれた。


「さ、一休みしたらもうちょっと頑張ろう。マスターとの約束果たさないとね」

「はい」


 写真撮影をすることが決まった時にマスターとしたささやかな約束。それを果たすため、私はアップルパイを残さず頂く。

 透き通る青空の天の下。日の通った独特の林檎の歯触りと共に、サクサクとしたパイ生地が音を立てる。

 林檎のまあるい縁は私のお腹の中に静かに収められた。

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