第26話 偽示録

 ―――同刻

 強い衝撃音が鳴り響く。

 怒りに満ちた表情のソテツはアヤの部屋の扉を蹴破り、彼女の首を猿の手で乱暴に掴んだのだ。

「やめなさい、ソテツ。あんた何してるのよ!!」

 ロベリアはソテツの肩を掴んで離させようとするが振り払われて尻もちを着く。

 鬼気迫るソテツに対し、アヤは随分と落ち着いていた。

「言いたいことはわかってるけど、とりあえず聞こうじゃないか?」

 穏やかで諭すような口ぶりにソテツは益々怒りの感情を露わにした。

「テメェ、なんで仲間が死ぬこと言わなかった?」

 吠えるような叫びに空気が震える。答えによっては首をへし折るつもりだというのはこの場にいる誰もがわかっているはずなのに、アヤは怯えもしなければ、その笑みを崩すこともしなかった。

「知ってどうするんだい? 死なせないために温存しておけというならそれは愚かな行為だよ」

 アヤの回答が気に入らなかったのか、ソテツはそんほ1斤にも値する手に力を籠める。少女の柔肌に食い込む指はへし折るなどと言わず、そのまま千切らんとする勢いだ。

「ふざけんな! 俺らはアンタの駒か、アァ!?」

 アヤの表情から笑みが消える。しかし、それは恐れからくるものでは断じてない。

 むしろ彼女の表情に広がっているのは呆れに近しい感情だ。

「そうだよ、君たちは私の子供で私の駒だ、駒の使い方は私が決める、ポーンを犠牲にしてキングが取れるなら誰だってそうするだろ?」

 あまりにも冷たい言葉にソテツは手に力を籠めるが、その指はそれ以上食い込むことはない。その感触はまるで絹の様に柔らかいというのに、まるで千切れる気配がない。

「それに未来を教えるのは必ずしもいいことじゃない。もしも君たちに彼らの死を教えていたら君だって死んでいたんだよ、ソテツ?」

 未来とは取った選択肢によって切り開かれる道だ。彼女にはその枝分かれした道の全てが観測できる。ありとあらゆる出来事を記載した書物『偽示録アカシア』がそれを可能にしているのだ。

 ソテツの憎しみから熱が引いていく。

 自らの首から手が離れると、アヤは首をさすり痛みを気にするような仕草をした。

 ソテツが落ち着きを取り戻したことにロベリアも安堵の表情を見せる。

 アヤは立ち上がると、ソテツの頭を優しく抱きしめる。

「君たちの心は君たちのものだ。私はそれに対する敬意を忘れたことはない」

 ソテツの耳に暖かい鼓動が響く。

 彼のイタむ心に感じていた憤りは、春の残雪の様に溶けていった。


 ソテツとロベリアが去った部屋で、アヤは一人片づけをしていた。

「……ホント悪趣味だね」

 誰もいないはずの部屋で彼女は虚空に向かって話しかける。

 しかし、いるはずの無い誰かは応えることはない。返ってこない返事に彼女は苛立ちを覚え始める。

「さっさと出てきたら? どうせ見てるだろう、ココペリ?」

 声を荒げるアヤ。

 暫くすると小さな笑い声が彼女の部屋に木霊した。その声は徐々に大きくなっていく。

 するとどうだろうか、黒い霧のようなものがどこからともなく集まり始めり、それが人型を作り始める。

 その人物は何とも整った顔立ちをしていた。女性とも男性とも思える井出立ち。青年のようにも老人のようにも思える見た目。

 ボロ切れのような黒いローブを身に纏うその人物は長い髪を揺らしながら人を子馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべている。

 アヤはその人物が現れると、まるで毒虫を見るかのような目で彼(?)を一瞥した。

「随分と神が板についてきたようだな、ツトゥラよ」

 その声もまた青年か老人か判断がつかぬ声をしている。しかし、声だけを聞けば男性と思えるような、そんな声をしていた。

 なんとも印象があやふやな人物だが、見たものは皆こう思うだろう。

 ”胡散臭い”

 この人物を表すのにこれ以上最適な表現もない。

「お世辞はいらない。用を言ってさっさと帰ってくれ」

 冷たく突き放すように言うアヤにココペリはわざとらしく肩を竦める。

「えらく嫌われたものだ。うまくやれているか心配してきてやったというのに」

 おいおいと泣くふりをするココペリ。

 しかし、アヤに一瞥されると咳払いをして、すっと表情を戻した。

「まあよい、それで予定通り進んでおるか?」

「心配しなくても予定通り進んでいる。だいたい、そのために私をわざわざ観測者から神に堕としたんだろう?」

「恨み言か、まあ感謝の言葉を求めているほど強欲ではないが、邪険にされるのは些か気分が悪いな。観測者など死体と大差ない存在から命ある存在になれたことを喜んで見せた方が可愛げがあるぞ?」

「それは君の都合だろう。手助けはする、だが君の駒になるつもりはない。私も、あの子たちも、ね」

「よい。世界の目覚めを迎えたならば、あとは好きにしろ」

 薄気味の悪い笑みを浮かべるココペリに対し、アヤは短い溜息を吐く。

 この男の企み事に巻き込まれるのは二度目だが、それがロクでもないことであることを彼女は知っている。

「後は君に渡した『偽示録』を見ればいい。精々、『観測者の目』には気を付けるたまえ、アレは私の力でも動きが読めない代物だ」

「―――『観測者の目』、世界の修正力か。あれならばすでに掌握している。あれが動いているならば異跡も聖異物もありはしない。せめてのも抵抗として産み落とされた情報統括局さえ堕ちれば、後は真なる父の目覚めを待つのみでよい。抑止の申し子たるアラヤも既に観測者に身を落とした時点で、アレにできることなどありはしない」

 ココペリは部屋をぐるぐると歩き回りながら、愉快気に語り続ける。

 明るく語りかける彼の姿は悪戯を思いついた少年じみた無邪気さを感じる。

「もういいかい、いい加減君の話に付き合うのも飽きが来た」

 突如現れて無駄話に興じる男に遠回しに帰れと告げる。

 意図が伝わったのだろう。ココペリはつまらなそうな顔をすると、小さく溜息を吐いた。

「付き合いの悪い女だ。では、ご希望通りにしよう。次は紅茶でも飲みながら腰を据えて話したいものだ」

 渋々という顔でそう言うと、ココペリは霧のように霧散し姿を消した。

 完全にココペリの姿が消えた後、アヤは本日何度目かの溜息を吐くと、両の手で顔を覆い項垂れる。

 偉く疲れた顔の彼女は、自分の頬を叩くと表情をいつものものへと戻す。

 情報統括局を滅ぼす。それが彼女の使命だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る