第20話 瞬命に爆ぜる
先刻。
敗走したシロウを絶死の矢が追いかける。
まるで意思を持つかのようなそれは壁を迂回し、扉を破壊し、最短距離でどこまでも追ってくる。
上がる息。止まらぬ出血に意識すらも朦朧として考えることすらままならない。シロウの脳裏に浮かぶ死の文字は刻一刻と現実味を帯びてくる。
刹那、足の感覚が消えた。多量の出血で体の力が抜けたのだ。
迫りくる狩人の一撃が視界に映る。
―――嗚呼、無情なりや。
肉を抉る音。鮮血が舞い上がる。
ふと、彼女の前に影が落ちる。
気付けば、目の前にはイブラヒムが彼女に覆いかぶさるような体勢で、血を流しながらこちらを見て笑っていた。
いつ現れたのか、そもそも彼には持ち場へ向かうように指示をしていたはずだ。それなのに、彼は彼女の目の前にいる。
「……お前、なんで」
震える手でイブラヒムのヘルメットに触れる。その唇から零れる赤い雫が見える。
「嫌な予感がしたんです。貴女が死んでしまうんじゃないかという予感が……」
彼の胸元に目をやる。左胸を貫いた魔素の矢が淡い光となって消失を始める。
「馬鹿者、なんでお前はいつも言うことを聞かんのだ!」
叫ぶ。視界に映る部下の姿がぼやけ始めた。痛まぬはずの胸が痛みを訴え、彼女は嗚咽を上げる。
力が抜けたのかイブラヒムがシロウに身を預ける。
「おい……おい! イブラヒム、死ぬな!!」
何とか治療しようと彼の腰のホルダーから止血剤を取り出す。それを彼に打ち込もうとするがイブラヒムの手が彼女の手首をつかむ。
「駄目です、これは隊長が使ってください」
絶え絶えの声で、力のない言葉を放つ。
既に彼女の手首を握るその握力すらも弱り切っている。本気で抵抗すれば彼に止血剤を打てるはずなのに、シロウにはそうすることはできなかった。
「貴女は生きなくてはいけない。生きて、皆を導くのです。それが貴女の役目なのですから」
「ああ、わかっておる。だから、お前も生きろ」
叶わぬと知っていた。いや、気付いてしまったというべきだろう。
矢の毒性。
体のどこに当たろうとも必ず死に至らしめる。故に絶死の矢と呼ぶに相応しいのだろう。
「隊長、貴女にお仕え出来て、本当に良かった……」
イブラヒムの体が重くなる。
シロウのバイザーに映る隊員の情報欄に「LOST」の文字が刻まれる。
彼女はイブラヒムを抱きしめる。
いつも傍にいてくれた。自分の無茶な命令にも苦言を呈することもなく従い、実現性のない言葉には喝を入れてくれた。
声を押し殺し、小さな嗚咽を繰り返す。
そして、彼女の中に一つの感情が沸き上がった。
「……殺す。あの男は必ず殺す。イブラヒムの命を奪ったこと、後悔させてくれるぞ」
澄み切った水に墨汁を一滴落としたかのように、その憎しみは彼女の心を染めていく。
黒く、
恨みつらみは人の業。彼女はロアを滅ぼす禍となる。
ドロドロと溶けた豹の足、鱗が剥がれ落ち、肌も融解を始めている。ダノス隊の面々との戦闘にソテツは死に体を晒す羽目になっていた。
魔素浄化弾。対異跡生物用に開発された特殊弾頭だが、同じく体が魔素で出来ているロアにとっても脅威となる。
銃撃だけならば避けれることに集中すれば問題なく避けれる。しかし、ダノスやエレノアの攻撃を避けながらでは流石のソテツも避け切ることは困難だった。
傷口が塞がることはなく、そこから零れる魔素の所為で獣戯を使うこともままならない。
「数の前には無力だな、野党」
振り下ろされるバルタザールを避けるために地面を蹴る。その瞬間に撃ち込まれる五発目の浄化弾。
マヤとの距離を詰めようとすればダノスが立ち塞がり、彼の攻撃を避けようとすればマヤとエレノアの銃撃が彼を襲う。
普段のソテツであればエレノアのP50はそれほど脅威ではないが、羽根が展開できない状況では彼女の銃撃は喰らえば次の大技を受けることに繋がってしまう。
もしも、バルタザールの砲撃を喰らおうものなら、待っているのは敗北ではなく死だ。
圧倒的不利な状況。彼らの神の啓示にこの状況はなかった。
ソテツはいい加減な予言をしやがって、と舌打ちをする。
「数的有利で得意になってんじゃねえぞ、雑魚共が!」
腕先に羽根を少量展開し、散弾の様に放つ。
バルタザールを振るい、それを払い落とすダノスだが、次の瞬間、下に潜り込んだソテツが巨大な爪を構えアッパーを放つ。
が、ダノスの足の間を縫うように弾丸がソテツの右腕を貫き、その銃弾が彼の左目を抉り抜いた。
脳髄を焼く痛み。致命傷ではないにしても、痛みに呻き意識を奪うに値する。
ダノスのバルダザールがソテツを襲う。
吹き飛ばされた痛みで意識が戻る。一瞬の気絶から復帰した彼は空中で身を翻し、何とか着地する。
至る個所から血を流す姿は手負いの獣そのものだ。
「……あぁ、もう面倒だ」
炯炯とした眼光が三人を射抜く。
睨まれた三人は得も言われぬ恐怖に鳥肌が立ち、再び武器を構えた。
己の右の犬歯を引き抜くソテツ。それを掌の上に乗せ、両の腕を前に突き出し、獣の口の様な構えを取る。
「―――末那識、解放!!」
両の手を重ね、手のひらの犬歯を砕く。
彼の足元から広がる末那識の領域。
青々とした緑が広がり、天井には雲一つない青空が広がっていく。そして、その青が広がり切った瞬間、それらが激しい炎を上げ始めた。
揺れる炎の影が獣の姿を取り始める。
狼に獅子、豹に鷲、鷹に猪といったあらゆる動物たちが影となり、鋭い眼光で三人の獲物を睨み付けた。
”
獣が溢れる荒野と化した世界。
ソテツの体は傷が塞がり、犬のような毛が生え始める。
末那識による容姿の変化はフリティラリアにも見られたが、ロア共通のものなのだろう。
「数の前には無力だろ、野党?」
一斉に襲い掛かる獣の群れ。
銃撃や武器で応戦するもそれらはキリがなく襲い掛かる。
狼が牙を剥き、獅子が爪を立て、鷲と鷹の嘴が彼らを襲う。
追い詰められる三人。しかし、末那識の脅威がこの程度のはずがない。
「腹が減るだろ? 俺の末那識の中では常に飢餓に襲われる。体力を奪い、力尽きたところを獣たちに生きたまま食われる。それが俺の『獅子無畏不喜処観音』だ!」
喉が渇き、腹が空き、激しい睡魔が彼らを襲う。
それに加えてソテツが縦横無尽に駆けまわり、彼らの肉を抉り取る。
マヤが浄化弾を撃とうと、撃った先から獣たちが復活し再び襲いくる。浄化弾であろうとも末那識を壊すことはできない。
ダノスは無言でマヤにカーボン刀を投げ渡す。
圧倒的な物量。呼吸をするだけで削られる体力。さらには獣を従えるソテツの身体能力強化。
最早、勝敗は決している。
ダノスがソテツに応戦するが、まるで相手になっていなかった。
増える傷。振り下ろされるバルタザールを蹴りあげて内側に入り込んだソテツ。
「じゃあな、木偶の坊!」
ソテツの爪がダノスの腹部に突き刺さる。
更に内臓を掴むとそれをぐちゃぐちゃとかき混ぜ始めた。
高笑いをするソテツにマヤが切りかかった。
一瞬で距離を取るソテツが爪に着いた内臓を舌で舐めとった。
「なんで、そんな簡単に人を殺せるのよ……」
マヤは弱音を零す。
「はぁ? 俺らがしてるのは殺し合いだろうが、殺されたくないから殺す、邪魔だから殺す、それだけだろ?」
当たり前のように答えるソテツをマヤは睨み付ける。
殺し合い。そんなこととは無縁だった。
確かに異跡の怪物と戦うこともあったが、それでも命を賭す戦いというのは、ほとんどなかったと言ってもいい。
世界の壊れかけたピースを嵌めるような、そんな日常を繰り返してきた彼女たちにとって、この襲撃は予想もできない事態であったことに違いない。
仲間たちと笑い合うもの。今日の夕食に胸を躍らせるもの。
そんな当り前の日常を送るはずだったものたちが命を散らせた。
それが許せない。
「そう……じゃあ勝手に死ねッ!」
マヤはダノスの背中からカーボン刀の鞘を奪い取り、刀を収める。
試すのは初めてだ。
だが、見たことはある。”世界”を斬る、その刀を……。
「二人とも、頭下げて」
静かな声。
二人は全てを察して地面に倒れるように這い蹲る。
―――鬼神剣、スサノオ
高濃度に圧縮した魔素を刀に集中させ、刀身を抜く際に全てを放つ居合の一撃。
シロウのものとは比べ物にならない。圧縮率は低く、世界を斬るには至らない。
しかし、命に届くには値する。
零れ落ちる
切り払われた獣たち。何が起きたのかさえもわからぬままに失った左肩に触れる。
失くしたものを認識するかのように何度もその手を開閉するソテツ。
絶望したような、怒りに燃えるようなそんな顔。
晴れた空にヒビが入っていく。彼自身の消耗に世界が付いてこられなくなったのだろう。
「女ァアアアアアアアアア!!」
怒り狂うソテツ。残された右腕を獣の腕に変化させ、マヤに飛び掛かる。
マヤにはもう魔素が残されていない。獅子無畏不喜処観音の影響で指先を動かすことさえもできない状態だ。
ダノスが立ち上がり、娘を守らんとバルタザールを構えて立ち塞がる。
バルダザールを豆腐の様に切り裂いて、ソテツの爪がダノスの体を引き裂いた。
ダノスはそのままバルタザールと一緒にソテツに抱き着いた。
「父さん!」
叫ぶ声。振り返る父の顔はとても優しかった。
「マヤ、風邪ひくなよ」
ダノスが駆け出す。二人を巻き込まぬ場所へと向かう為に。
魔素の漏れ出すバルダザールはトリガーを引けば爆発を起こすだろう。不死身のような耐久力のロアであろうとも、その爆破に耐えれるはずがない。
ソテツは必死に抵抗する。
首に噛みつき、腹を蹴る。ジタバタと藻掻くもダノスが彼を放すことはない。
臨界に近づくバルタザールのトリガーを引く。
暴走する魔素が爆発がダノスとソテツを巻き込んだ。
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