第17話 ロア、進撃(5)

 喧しく鳴り響く警報。赤い警告灯がぐるぐると回転し、司令室をその色で染め上げる。

 非戦闘員のいなくなったその部屋は閑散としている。

 部屋に通じる唯一の扉がスライドする。

 その扉の向こうから入ってきたのは枯れ柳のような男だった。

 長く垂れた黒い髪、骨ばった猫背が余計にその印象を強くする。包帯のような布を辛うじて身に纏い、ゆらゆらと揺れる姿は正に枝を揺らす枯れ柳に似ている。その枝のような髪の毛の間から見せる瞳は溝のような色をしていて、まるで精気を感じさせない。

 フリティラリアと呼ばれたそのロアは体を左右に揺らしながら司令室へと入ってきた。

 司令室。情報統括局の中枢にして『セフィロト』と呼ばれる情報集積装置が設置され、その最重要機関である『ダアト』の保管場所でもある。

 この場所は人類再興を掲げる情報統括局において、もっとも重要な部屋と言って差し支えない。

 フリティラリアはおもむろに立ち止まると、ゆっくりと口を開く。

「あなた一人ですか?」

 消え入りそうなしゃがれた声で話しかけた先にいたのは"白"だった。

 彼とは対照的な髪も服もそして瞳の色さえも白い女性。その女性は身長よりも長い杖を片手に立っていた。

「そういう君は随分と大勢だな」

 情報統括局総司令官、イヴ・シュヴァルツ。

 彼女の言葉にフリティラリアはその裂けたような口の端を吊り上げる。

 

 "水音"


 重いものが沈むような音の後、フリティラリアの影から人の口のようなものを持つ黒い粘性の怪物が姿を現す。

 フリティラリアの周りに揺らぐ怪物は計五体。

 歯で音を立て、楽しげな笑みを浮かべるそれは、目の前の肉に食らいつくのを今か今かと待っている。

「先に君たちの用件を聞いておこう、殺してしまってからでは遅いからね」

 蠢く怪物を目にしても、イヴはその眉根すらも動かすことはない。

 彼女の顔に張り付いた笑みの仮面の下で彼女は何を考えているのか……。

「必要ですか、これから死に逝く貴方に?」

 与えられた応えに答えはない。

「おしゃべりな癖に秘密主義なんだな、君は」

 鼻で笑う彼女に黒い怪物が襲い掛かる。

 潜るように床を這うその影が蛇のように蛇行する。影から飛び上がる怪物はイヴに向かって飛び掛かる。

 しかし、その歯はイヴに届くことなく消滅していく。

「驚かないでよ、格が知れるよ?」

 

 

 息が切れる。口の中に広がる血の味に不快感を覚える。

「いちち、本気でやりやがって、せっかくの二枚目が台無しだぜ……」

「ジギタリスはどちらかというと三枚目でしょう」

 振り向くと追いついたエーデルワイスが少しばかり嬉しそうにこちらを見ている。本物の二枚目の登場にジギタリスは苦い顔をした。

「お前が言うと本当にそうなるだろうが」

 向き直るジギタリスは溜息を吐く。そも、なぜエーデルワイスはこんなにも笑顔なのかと心の中で毒づいた。

「気に障ったのであれば謝りますよ」

 その気があるのかないのか、ワイスはそう言ってジギタリスの横を歩く。

「坊主はどうした?」

「彼なら気絶させてきました。アナタが心配でしたから」

 通りで早いわけだと納得するジギタリス。

 あの少年にトドメを刺さなかったことが少し気がかりではあったが、気絶しているのならすぐさま追ってくることもあるまい。

「そうか、アイツは仕留められるときに仕留めておきたかったんだがな」

 なんてことのない胸騒ぎ。そんな思い違いであればいいが、ツァラトゥストラという少年はいつしか自分たちに牙を剥く存在になるような予感をジギタリスは感じていた。

「心配なら今から殺しに戻りましょうか?」

 ジギタリスの言葉にワイスは剣を抜く。

「いや、いい。今はフリティルスの方が先だ。アイツを確保すれば俺たちの任務は終わりだ。後はフリティラリアの『末那識ブルーム』を解放すればいい」

 居住エリアの看板を見つけ、二人は手分けして居住エリアの部屋を調べていく。

 ティファは非戦闘員扱いとなっていると推測すれば既に避難区域への移動を済ませていると思われるが、逃げ遅れていた時の保険に彼らが探すよう言いつけられていた。

「それにしても神様でもわからないことはあるんですね?」

 彼らを産み出した神と呼ばれる存在。そのものによって今回の作戦も立てられている。いや、作戦と呼ぶにはあまりにも正確すぎる。もはやあれは予言と言ってもいい。

「神様ねぇ、俺にゃそんな大層なもんには見えなかったがな」

 ボヤくように言うジギタリス。

 エーデルワイスと彼の態度には温度差がある。忠誠心が薄いのは彼の気質故なのだろうか?

 不意にエーデルワイスが立ち上がり、どこか遠くを見る。

「何があった?」

「僕の『英傑の招来オーダーズ』が消えました……」

 


 赤に濡れた白い髪の毛をかき上げる。

 煤汚れた服。先ほど殺した戦闘員の首を放り投げる。

「迷路かよ、ここはよぉ」

 行きがけに食糧庫に取ってきたリンゴに齧り付き、ソテツはだらだらと歩く。

 彼の目標は非戦闘員がいるであろう避難区域だが、同じ風景ばかりな上、スロープや階段の所為で今自分がどこにいるのかもわからない状態になっている。

 出てくる雑兵はワイスの『英傑の招来』が掃討している為、ソテツ自身が戦ったのはつい先ほど首を跳ねた兵士一名のみだ。

 退屈凌ぎにと思ったが予想以上の手ごたえの無さに完全にやる気を失ってしまった為、道探しに尽力しているという訳だ。

 こんなことならば神様の命令をきちんと聞いておけばよかったと少しばかりの後悔を感じつつもあまりの退屈さに欠伸をする。

 ―――衝撃音。

 自分の横を通り過ぎ、壁に衝突した『英傑の招来』が塵となって消えていく。

 振り向くソテツ。そこにいるのは黒い大きな巨躯を持つ大男だった。

 甲冑を思わせるソレは合金でできた鎧だ。その背には複数の武器が搭載されており、その中でひときわ目立つのは金棒のような武器だ。

 さながら鎧を纏った鬼と呼ぶに相応しい。

「丁度良かったぜ、道案内してくれよ?」

 牙を剥きだしにして構えるソテツ。

「ああ、冥府までなら案内しよう」

 重く低い声。ダノスは蹂躙された仲間たちの亡骸を一瞥すると、その背に背負うケーブルのついた巨大な筒状の武器を手に取った。

 彼の武器、『バルタザール』その神髄は……。

 ノータイムで引き金を引くダノス。超圧縮された魔素の塊を放つそれは破壊に重きを置いた攻城兵器。変位した異跡を破壊することも可能な破壊兵器である。

 不意を突いた一撃。光と同等の速さのそれはソテツの方へと向かっていく。

 放射を終えたバルタザールの一撃。地面を焼いた煙が晴れた先に白い獣は立っていた。

「助かったぜ、ワイス」

 ワイスの『英傑の招来』が盾となり、光の一撃からソテツを守った。

 ソテツはすぐさま距離を詰める。こんな高出力な攻撃が何度もできるはずもない。時間を与えれば相手が有利になる。

獣戯じゅうぎ豹足ひょうそく』」

 ソテツの両手足が豹の足へと変化する。そのまま四つん這いになり、目にも止まらぬ速さで突進する。

 対するダノスは『バルタザール』を下段に構えて迎え討つ。

「獣戯『鹿角かづのし』!!」

 ソテツの頭から二本の大きな鹿の角が生える。彼の顔よりも大きなそれはエゾシカの角だ。

 二人の間合いが交差する。先に動いたのはダノスの方だった。

 大きな角めがけて振るわれる『バルタザール』はくうを引き裂く。

 しかし、ソテツは角を使ってそれをいなす。

「獣戯『鷹爪ようそう』」

 豹の前足が猛禽類のそれになる。鋭い爪がダノスの体を掴まんと延びる。

 ダノスは『バルタザール』を握り直して地面に向かって突き落とし、武器を立てに爪を防ごうとした。

 ソテツは爪を砕かれんと後ろに下がる。

「貴様らは何者だ、何が目的なんだ?」

 ダノスはソテツに問う。

「俺たちか? 俺らはロアだ。人間様の作った物語の具現化だ!」

 再びソテツが地面を抉る。

 飛び掛かるソテツに、ダノスは横払いで叩き落そうとする。

 『バルタザール』の間合いの長さと彼の『獣戯』は相性が悪い。だが、あの巨躯と『バルタザール』の重量では素早い動きはできない。

 ならばと、ソテツは空中の魔素を蹴ってダノスの脇の下を潜り抜けた。

 ソテツの爪がダノスを襲う。分厚い鉄塊の鎧を豆腐の様に引き裂いていく。

 間一髪、後ろに下がることで致命傷は防いだが、防護スーツに穴が開き、ダノスのヘッドセットからは危険を知らせるアラームが鳴り響く。

「俺は『獣性のロア』。あらゆる獣の具現化。そして、その真意は……」

 ソテツの体が徐々に変化していく。

 牙は狼、背には鷲の翼、その爪は鷹で、額からは鹿の角を、そして体にはラーテルの体毛を生やしている。

「人類種にとっての脅威だッ!」

 ソテツの爪がダノスを襲う。ダノスは脇に刺していた刀を引き抜き、切り返そうとするが、その爪が触れた瞬間に刀はガラスの様に砕け散った。

 三次元的な動きに翻弄され、その爪でダノスの鎧を引き裂いていく。

 ダノスは何とか対応しようとするが、立体的な動きについていくことが出来ず致命傷を避けることに徹さざる負えない状態だ。

 そして、ついにソテツの爪がダノスの両肩を掴んだ。

「俺らの目的? んなもんテメェらの殲滅に決まってるだろうが!」

 ダノスの兜に向かっていく鋭い爪。

 鮮やかな鮮血が壁を濡らした。

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