第7話 ヨシュア・イン・ワンダーランド

 瓦礫の隙間から漏れ出す光、一人の少女が薄汚れた赤い絨毯の上を歩く。

 薄氷うすらいの様な華奢な体とは対照的に、その顔を覆う白いマスクは金属質な光を放っている。そこから延びる一対の白い髪は蜻蛉の羽根のようにも兎の耳のようにも見える。

 全身を覆う白い防護スーツ。その腕には情報統括局の腕章が付いている。

 左腕を肘まで覆う銀色の籠手。両足を覆うサバトンも同じように銀色に煌いている。全体的に西洋鎧を思わせる出で立ちはその古民家のような場所には不釣り合いに見える。腰に下げられた金色の装飾がされたレイピア用の鞘もその印象を強めるのに一役買っている。

 少女の名はヨシュア。情報統括局の調査員の一人だ。

 彼女の仕事は調査後の異跡に訪れ、変化や調査漏れがないかを確認することである。

 聖異物を失った異跡は消滅するか、世界に定着するかの二択だ。

 わかっているのはその要因が顕現強度に起因するということだけだ。高ければ定着し、低ければ消失する。

 現状、異跡が変化した記録はない。

 しかし、異跡についてわかっていることが少ない以上、その調査を行って然るべき、というのが情報統括局の方針である。

 先日発生した遺跡の大量顕現。その多くが調査が完了していない状態であり、聖異物の回収が完了していない。

 聖異物。異跡の異常性を発露する存在であり、その破壊または回収することは異跡の無力化に等しい。経緯はどうであれ異跡は聖異物を失うと異常性が発露しなくなり、一度そうなった異跡は再度、聖異物を戻しても無力化状態になってしまう。

 逆に聖異物は、といえば回収後もその異常性は健在であり、研究班にて調査、研究が行われている。ゆくゆくは活用法まで模索する予定のようだが不安定な上、魔素を多く含むものが多い為、その道のりは険しいようだ。

 ヨシュアは開けた場所に出た。どうやら中庭のようだ。暗い室内を歩いていた所為か太陽の日差しがとても眩しく感じられた。

 円形の庭の中心には苔生し天井の欠けたガゼボが佇んでいる。

 テーブルには受け皿と一体化したティーカップが生えており、ぬいぐるみや人形でできた椅子同様、気味の悪い作りになっている。

 ここの聖遺物は小さなロケットだったらしい。その中には小さな少女の写真が入っており、それを剥がしたところ異常性が消えたようだ。

 ――視線。

 ヨシュアは勢いよく振り向き、二階を見る。今、確かに視線を感じたはずだ。冷たい氷を首当てたかのような刺さる視線を。

 しかし、ヨシュアの視線の先には何もいない。ここの異常性はすでに失われているのだから当然だ。

 ヨシュアは呆れ気味に視界を戻す。

 目の前のガゼボに違和感を感じた。このガゼボは果たしてこんなにも大きかっただろうか……?

 いや、そもそもこの異跡はこんなにも大きかっただろうか?

 危険を感じたヨシュアは踵を返し、来た道を引き返す。

 まるで自分が小人にでもなったかのように、全ての建物が大きくなっている。

 おかしい。既にこの場所の聖異物は失われたはずだ。それなのにこれほど世界に干渉する異常性を発露しているのはどういう理屈だろうか?

 庭を抜け、廊下を走る。

 床が踊り、ティーカップとマグカップが社交ダンスを踊っている。鹿の剥製は葉巻を吹かして絵画の中にいる男と談笑していた。シャンデリアが天井でバレエを踊り、箪笥たちが音楽を奏でている。

 ヨシュアはこの奇妙な舞踏会会場と化した廊下を走り抜け、大きな扉の中へと転がるように入っていく。

 扉の先は玄関ホールのはずだった。しかし、眼前に広がるのは玉座に鎮座した水色のゴシックロリータを身に纏った少女だった。

 鞄のように下げられた大きな懐中時計。血の滴る兎の耳を縫い付けた黒いシルクハットを被った少女は人の顔のついたゆで卵を手づかみで食べている。噛み千切られたゆで卵は悲鳴を上げる。少女はソレを聞くと気に食わないという顔をしてゆで卵に塩を振る。口だけになったゆで卵がくしゃみをすると少女はケラケラと笑っていた。

『楽しんでもらえたかしら?』

 少女は幼い声でそう言った。

 ヨシュアは腰に携えたレイピアを抜き、構える。

『まぁ、そんなに怖がらないで。アナタはちゃんとお家に帰してあげるから』

 少女が指を鳴らすとレイピアは風船の剣へと変貌していた。

 どうやらここは従った方が賢明なようだ。

「貴女は、何者なの?」

 ヨシュアは鈴のような声で言った。

 少女は手を合わせて楽しそうに笑っているばかりだ。

『さぁ? そんなこと考えたことなかったわ、毎日楽しくお茶会をしているだけですもの。次はアナタも一緒に楽しみましょう?』

 手のひらを天に向けて少女はヨシュアを出口の扉を向かうよう促した。

 ヨシュアは素直に出口へと向かう。

 彼女が外に出るのと同時に扉が自然と閉まり始めた。

『必ずまた来てね、絶対よ?』

 閉まりゆく扉の奥で少女は最後にそう言った。

 どうやら今回は多くのことを報告しなければならなそうだ。

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