第13話 早すぎた「へいわ(平和)」の顛末

 その後、国鉄の特別急行列車として、「へいわ(平和)」という列車名は、一度も復活していない。「へいわ」としても、「平和」としても。


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注:国鉄時代の1983(昭和58)年夏、東京‐大阪間で14系客車とEF58型電気機関車によるリバイバルトレインとして復活しています。

 ただしこの列車は定期列車ではないため、一般に言う「復活」とはみなしません。

 なお、このとき機関車に掲示されたヘッドマークは、1949年当時のハトの絵が描かれて展望車にテールマークとして掲示されたときの「へいわ」ではなく、1958年10月から翌年夏まで東京‐長崎間で運転されたときにやはりEF58型電気機関車と、その先けん引する蒸気機関車らに掲示された夜行特急「平和」のヘッドマークと同じものでした。


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 広島電化を機に、広島・岡山県内から関西方面の特急列車による日帰りは、「つばめ」号では都合が悪い時間帯になった。

 この列車、下り広島着は20時10分、上り広島発は9時45分。

 広島から大阪よりも東京を視野に入れた列車であるから、それはやむを得ない設定であった。


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 もっとも大阪以西の「つばめ」については、東海道区間ほど混雑していなかった。

 関西方面に出張の多い有賀幸作社長とっては、以前の「へいわ」号と同じようにはいかないにしても、時間が合えば関西圏の出張先に向かい、あるいは岡山駅前の本社に戻るにあたって、大いに重宝する列車であった。

 そんな彼、この「つばめ」号や宇野からの「富士」号や大阪までの「うずしお」号のパーラーカーを、仕事しながら移動する上で重宝していた。


 山陽区間のこの車両にはほとんど客がおらず、彼の仕事は大いにはかどった。

 休憩がてらにボーイと呼ばれる列車給仕から珈琲を勧められた折、彼は必ずと言っていいほど、多めの角砂糖とミルクを所望し、コーヒーカップに一気に投入してかき混ぜて飲んでいた。

 パーラーカーの客に出される珈琲などのいわゆる「お茶うけ」には、東京または神戸の名店のクッキーが添えられていたという。

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