第12話 どれも、1年と持たないまま・・・

「でもあの列車名、ここぞというときに出て、きちんと役割を果たし切りましたね」

 大宮氏が、意外な視点でかの列車を評価しようとしている。

「え? それはどういうことかな?」

 岡山氏の疑問に、大宮氏が回答するには、こうだ。


 最初は、戦後初の特別急行列車復活という役目を負って、わずか3か月ほど、「つばめ」復活の露払い。

 二度目は、「さちかぜ」の「あさかぜ」との誤乗防止の役目で約半年。それから「さくら」に譲って御役御免。

 今度の三度目は、山陽線内の特別急行列車網の露払いの役目を果たして、これも約1年弱。

 そのうちあの新幹線が開通したら、大阪発の広島行特急も設定されるでしょう。

 おおむね岡山と広島から大阪、東京方面への足として。その意味では、あの「へいわ」号は、登場がいささか早すぎたのかもしれません。


「ほう、そういうものかね」

「あ、これは、長崎さんから紹介された慶應鉄研出身の高沢薫さんの御意見です。それの受売りでしてね。ぼくには鉄道マニアと呼ばれる人らほど鉄道に対する知識はないですけど、高沢さんのその御意見には、随分納得させられましたよ」


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 この1962年6月のいわゆる「広島電化」を機に、「へいわ」号は東京発の151系電車特急「つばめ」の一往復に吸収される形で電車化され、廃止された。「へいわ」という愛称の特別急行列車は、大宮氏が先に述べた通り、このときも含め3度にわたって登場したが、そのどれもが1年も経たぬ間の短命に終っている。

 1949年9月、戦後初の東京‐大阪間の特別急行列車として復活した特別急行列車「へいわ」号は翌1950年年明け早々、「つばめ」に改称されて消滅した。

 二度目は、東京‐長崎間を結んだ「さちがぜ」号に先立って設定された博多行の夜行特急「あさかぜ」との誤乗が少なからず発生したことを受け、1958年10月のダイヤ改正で、「平和」と、今度は漢字名で復活した。

 それもつかの間、翌1959年夏を前の20系化と同時に「さくら」と改称され消滅。そしてこれが3度目の登場であったが、かくして1年と経たぬ間に、その愛称はまたも「つばめ」に改称されて消滅した。

 

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