第4話

 着飾った婦人と令嬢、その彼女たちのために日傘をさす付き添いの人々。 自然美の中でやたらと目に付く、ゴテゴテキラキラ煌びやかなドレスに宝飾品、森の端っこにいる狐も逃げ出すわというほど強烈に立ち込めた香水のにおい。

 男性陣のほうは、本当に狩りがしたいの?と聞きたくなるような派手な狩猟服に、本当に狩りが出来るの?と聞かざるを得ないような丸っこい体を包んでいる。彼らを乗せなくてはいけない馬に心から同情する。

 なんのことはない、夜会が昼間に、屋外に移っただけの話――であれば、どれだけいいことか。

 

 黄と赤に美しく色づいた森を背後に、騎馬服に身を包んだアンリエッタは表情を崩すことなく、内心で歯がみする。いつも垂らしてある銀の髪は、今日は頭上で結わえてあって、外気にさらされたうなじを撫でていく秋風がひどく冷たい。

(見事に王弟にべったりな奴ばかりだわ。そうでないのは有力に分類されるけれど、未だ誰を支持するとも決めていない狸たち……)

 誰に付くべきか、現時点で見極められていないあたり、こっちについてもあっちについてもどの道使えないというのは確かだから、個人個人を気にする道理はさほどない。だが、こういう状況下で、集団でいられるのは正直厄介だ。

(季節の移ろいを愛でることすら出来ないなんて、私って本当に不憫……)

 彼らと、彼らが手にしているワインを眺め、『痺れ薬でも入れてやろうかしら?』と半ば本気で考えてしまっている身の上には、美しい紅葉の風景もむなしいだけだ。

 

「まあ、あれはアンリエッタさま。ひょっとして今日も殿方と一緒にお出かけ遊ばすのかしら?」

 ――その上、面倒くさいことに、権力大好きな陰謀狸だけでなく、白粉を塗ったくった狐付き。

「わたくしどもとはさすがに違いますわねえ。あれでは縁談のお話もねえ」

「ご実家も大変なご様子ですし」

「ご結婚は中々難しそうですわね、お気の毒に」

 ほほほほ、存じておりましてよ。ついでに言うなら、実家のことがなくったって、貰い手がないってことぐらい百も承知でしてよ?


 で? それが何だって言うの? 食べてく算段はちゃんとつけてるわよ? 月給5,000ソルドの現金収入もあれば、トマトの育て方だって、毒キノコの見分け方だって、鱒の捕まえ方だってばっちりよっ。小麦の品種改良だって、乳牛の搾乳だって、何度も頭の中でシミュレーションしたわ!

 性悪王子に叩きつけてやる辞表の文言だって、もう82回はそらんじてるもの。 見られたらごちゃごちゃ言われるから、紙に落としてないだけ。紙とペンがあれば、30秒で書き終える自信があるわ!

 そう、後は土地だけ、それを買うお金だけなの!!

 使いまわせない、売り飛ばせない、土いじりも出来ない、三拍子揃い踏みのウェディングドレスも、他人への気遣いがめんどくさい結婚式も、農作業の邪魔にしかならない指輪も不要! 世の中の誰もが花嫁に憧れるなんて思うんじゃないわよ!?

「……」

 ……お母さん、あなたの娘はもう本当に終わってるのかもしれません。

 

 

「君も狩りに参加するの?」

「あ、はい、リエン殿下」

(出たわね、第2王子)

 目下、敵の1人と睨んでいる彼に唐突に話しかけられて、慌てて気を引きしめたものの、その彼になぜかじぃっと見つめられた。アンリエッタは顔が引きつりそうになるのを必死で堪える。

 さらさらと風に揺れる金色の髪の合間から覗くのは、いつものことながら何を考えているか見当のつかない、澄んだガラス玉みたいな青い瞳。

(この人が王位を奪うために、王弟と祖父の現マーリナ公を繋いで、カイを消そうとしている? この人形みたいな人が……?)

 話しかけてきたくせに、その後何を言ってくるわけでなく、彼は感情の篭らないその瞳をアンリエッタにただ向けている。

「あの、何か……?」

 不躾と承知の上で、言葉を発してしまったのは、服の下まで見られているような感じがして落ち着かなくなったからだ。

(妙な人だわ、本当に……)

 計算も策略も含まない視線。腹の探り合いのための仮面を被る訳でも、虚飾に満ちた言葉遊びを仕掛けてくる訳でもない。善意なんかさらっさら期待してないから、はっきり悪意を用意してくれれば、ざっくりやり返してやれるのに、それすらも感じられない。

 

「ふーん、狩りまで習ったのか?」

「さすが、“王太子”の側役。性別無視な訳だ」

 横からしゃしゃり出てきた、いつものことながら空気を解さない馬鹿たちは双子の第4、5王子。

 彼らの母親の第2夫人は、最初の子である第3王子にしか興味がないから、ひねたのね、きっと。頭悪い上に性格悪いのよ。

 ちなみに、その第3王子はここに来てはいるものの、狩りには出ないんですって。危ないからだめって、『ママンのお願い』なんですって。

「まあ、俺達やベイズの脚、引っ張んないでよ」

 双子の傍らで、やたらとデカイ少年――と言っても双子と同じ歳だ――が見下すように笑いながら、こっちを見ている。

(家柄がいいだけで、ゴマすりしか能のないうどの大木くせにえらそうに。同じ王子付き護衛でもキーンとは大違い)

「努力します」

 アンリエッタはにっこり笑って、足に力を入れて大地を踏みしめる。そうでもしないと、足が勝手にこいつらを蹴り飛ばしてしまうという確信がある。

(ああ、そうだ、狩りの最中は目を合わせないようにしなきゃ)

 目が合ったが最後、“ちょっと手が滑って”矢を奴らに放ってしまう自信も山盛りある。

 不思議なことに、アンリエッタの手も足も時々勝手に動くのだ。もちろんアンリエッタが悪いわけじゃない、環境が悪い。

 

「アンリエッタ」

 悪環境の根源、性悪王子に呼ばれた。いつも憎たらしい声が、とっても美しく聞こえることこそがこの世で1番ひどい環境にいることの証明だと思うと、微妙に泣けてくる。

「失礼します」

 内心を押し殺して、王子の元に行くために3人の王子へといったん頭を下げ、その位置を戻した時。

 じぃっとこちらを見ている第2王子と再び目が合った。

(……違う、のかしら? ひょっとして、ずっと見られて、た……?)

「行くの?」

「っ」

 無表情に発せられた、訳の分からない言葉に、胃の裏側を撫でられたような気がして、全身に震えが走る。

「え、えええ、そりゃあもう、全速力で馳せ参じなくては、5,000ソル、じゃなくて、主命ですのでっ」

 もちろん5,000ソルドは大きな理由だけど、それだけじゃない。

 間違いない、この人も絶対に何かがおかしい――そう判断して、いつもならありえない程に急いで王子へと足を向けた。

(ベクトルは違おうと、母が違おうと、変態の弟は変態と言うことかも……しゃ、洒落になんないわ。でもまだこっちの方がまし、まだまし)

 焦点が合っているようで合っていない、あの目つき――あっちは何かがプツリといってしまっている。

 

「殿下……」

 そうして王子の目の前へとやってきて、改めて思う。含みだらけとすぐに分かるこの紫の瞳を前にしてほっとできる私って、多分この世で1番可哀相な子だ、と。

「随分と楽しげだったな、スタフォード執務補佐官?」

「はあ? 目、腐ってんじゃ……いえ、今日は少しご慧眼が曇っていらっしゃるようですね、カイエンフォール殿下?」

「生憎と今日だけじゃないらしくてな。かなり前から見えなくなってるんだが、その原因に心当たりはないか?」

「さあ、捻じ曲がった殿下の思考、失礼いたしました、ご英明な殿下がお考えになることなど、私には到底見当もつきません」

「……本当に慮に欠けた臣だな」

「……情に欠けた主に合わせた結果かもしれませんわね。大体、狙われておいでなんですよ、もう少し緊張感をお持ちになったらいかがです?」

「人の緊張感を台無しにしてくれる、頭が回らない身代わりがいるから、その辺は気楽でな」

「……」

 引きつった顔でにっこり無理やり微笑み合いつつ、内心で断固として訂正――“間違いなく”この世で1番可哀相な子だわ、私。ああ、ほんとにこめかみの血管が切れそう。

 

「スタフォード補佐官は、本当に殿下のご信任がお厚いようで」

「羨ましい限りですわ」

「……」

(しんにん、うらやましい……)

 止めを刺すかのようにわらわらと寄って来る連中に、ついに反応する気力すら失って、思わず現実から逃避してしまう。


 うふふふ、ルーディ、あれね、おかしな世界は、単語の意味まで姉さんの辞書とは違うようよ? 信任ですって、羨ましいんですって、うふふふふふ。

「……」

 ……あれね、帰ったら絶対休暇取ろう。それで実家の庭に篭って、健全に朝から晩まで、黙々黙々とカブの畝を作って過ごすの。それしか私の精神を維持する方法はもうないわ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る