第3話
「あら、僕、可愛いわねえ。どう、寄ってかない? お姉さんが色々教えてあげる」
あら、その前に、私が性別の見分け方を教えて差し上げてよ?
「あらあ、そんな貧相な胸の女なんか相手にしちゃだめよ。せっかくの機会がもったいないもの。どう、私なら楽しませてあげられるわ」
あらあ、奇遇ね、それ、私も持ってるのよ? ええ、そこの彼女よりずっと目立たないけどね、うふふふふふふふふ。
「……」
男装したアンリエッタは背後に変装した王子を伴い、こめかみに青筋を立てつつ、花街の大通りを足早に歩く。
気取らない娼館が軒を連ねるこの界隈には、異国風だったり、昔風だったり、現代的だったりで趣の異なる様々な建物が立ち並び、入り口の年若い客引きが行きかう人々に元気に声をかけてくる。
「可愛いわあ、声かけられて焦ってる。ねえ、お姉さんがいいこと教えてあげるからいらっしゃいな、僕ちゃん」
「あの細身、いかにも少年って感じで素敵よねえ。脂ぎった体ばっかり見飽きたもの、ねえ、サービスするから遊んでいきなさいってば」
「っ」
(だ、か、ら、“僕”じゃない……! あんたの言う細身は、体重じゃなくて、ぺらっぺらだってことでしょ! 通りすがりの可憐な乙女をそこまで傷つけるって、鬼かあんたら!)
窓やバルコニーには着飾った女性たちが並んでいて、しなを含んだ高い声と色を含んだ眼をアンリエッタに向けてくる。
開け放たれた窓からは白粉と香水の香りが漂い、日はとっくに暮れているというのに、立ち並ぶ娼館からの灯りは、夜の闇をものともしない。
「……」
アンリエッタは目深にかぶったフードの下、今は緑に見える目をふと夜空へ向けた。
煌びやかな街並み、街灯や店明かりで目も眩むような眩さ、美しく着飾ったキラキラした人々……それが何だと言うのかしら?
私の心は遥か彼方、あなたのいるお空と同じくらいに真っ暗よ、お母さん。
悲嘆にくれるアンリエッタの横で、同じように薄手の外套を着、フードを深く下ろした王子が笑っているのを感じて、アンリエッタは頬をピクつかせる。
直接顔を確認しなくてもそう分かってしまう付き合いの長さ、これを腹立たしいと言わずして何を腹立たしいと言おう。
「まあ、世の中にはそんなのがいいという物好きがちゃんといるから、気にするな」
「そんなのって言うなっ!……仰らないでくださいませんこと、殿下?」
「気にするところはそこか、アンリ?」
「アンリエッタ!です、殿下」
小声で囁き合いながら、顔を見合わせて、うふふふと微笑み合うタイミングはぴったり。そんなことが出来てしまうのも、付き合いの長さゆえと思えばなお腹立たしい。
「そうだな、事実の方が時として酷だからな、悪かった、傷付けて」
「うふ、ふふふ、ご存じないようで――喧嘩を売る行為を世間では謝罪とは申しませんのよ、殿下?」
「うふふふふ、聡明な僕に知らないことなどあろうはずがない、そうだろう、アンリ?」
「知っててやってるならなお悪い! てか、アンリエッタ!」
アンリエッタの悲嘆と不満は天井知らずに高騰中。なのに、給料は今月も上がらない。
「ここだ」
そう言って王子が立ち止まり、顎を動かして指した先は、真新しい娼館だった。
花街の中心、一等中の一等地なのに、木立に囲まれていて、一見して貴族の屋敷に見間違えるような外観をしている。訪れる客の様子や、出迎えに立っている者の物腰から判断しても、“高級”の部類であることは間違いない。
(でも、娼館は娼館でもここって確か……)
「以前「夢見の館」があった場所ですよね?」
小さい頃にこの辺に来た時、どんな夢を見せる気なんだか、という皮肉を覚えたので記憶している。
「9ヶ月前、今の娼館に代わった。顧客も全て引き取る方向で契約したらしい」
(……やけに詳しいじゃない)
アンリエッタは眉を跳ね上げる。
白い目線を向けているにもかかわらず、王子はそれを気にした様子もなく、そのまま門をくぐり、出迎えに立っている者と言葉を交わした。
すると、その者はアンリエッタを案内するためだろう、こちらへとわざわざやってきて慇懃に挨拶をよこした。
(やっぱり妙に慣れた感じ……)
アンリエッタは王子の様子に目を眇めつつも、正面入り口とは別の入り口への先導を受ける。詳細を話せ、その後はすべて私がやる、ちゃんと報告するから、と散々言ったのに、なんだかんだはぐらかされて結局一緒にこんな場所まで来ていることと言い、なんだか怪しい。
「なんて言ったんです?」
案内人について歩きながら、背後に続いた王子に小声をかけた。高級娼館は基本的に会員制だから、紹介がなければ入れない。しかも別扱いとなると、結構な人物の紹介でなくてはならないはずだ。
野趣がいいとかいう物好きな顧客に、その辺の雑草を売りつけに来ていたアンリエッタが花街に詳しいのはともかく、箱入りであるはず、というか、箱入りじゃなきゃだめでしょうっていう王子が、なぜすらすらとこんなところに入って行くのか――
(は!? ま、まさか、本人が常連ってことは……)
「セイルトンの紹介だと言った」
――なかった。
「セイルトン、国王補佐官……」
(って、もう70、子供5人いて、孫20人――)
狸爺と言って差し支えない性質ではあるが、それでも色々教えてくれて、困った時にはよく助けてくれるその人の名を聞いて、アンリエッタは顔を引きつらせる。
「どうかしたか?」
「……いえ」
それから、アンリエッタは悟りの笑みを顔に浮かべた。
ええ、分かってはいるのよ、そういう生理現象もあるだろうってことは。でも、身近に感じるとショックよね。
うふ、うふふふふ。でも、物は考えようよ、よかったじゃない、アンリエッタ。ショックを受けてるってことは、私にもまだ純情が残ってたってことじゃない? まあ、素敵。
あれね、自棄なの、今、私、うふふふふ……ええ、そうよ、悪い?
「いらっしゃいませ」
開いた扉の向こうから現れた、歳の分からない妖艶な美女に、舐めるように上から下まで見られれば、自棄にもなるっての!!
「当館、シャリエールへお越しいただいてありがとうございます」
まあ、こんな女性は声まで艶やかなのね。はともかく、うふふふ、だからそんな風に見つめないでってば。
「どうぞおかけくださいませ」
「……」
豪奢なガラス細工が明かりをキラキラと氾濫させる部屋の、質のいいソファ。何とか無表情を取り繕ったアンリエッタは、女主人に勧められるままそこに身を沈めた。フードは被ったままだ。
一方、その横に立った王子はフードを外す。そうして、現れたのはうぞろっと顔にかかる金髪のカツラ。
「申し上げるまでもないかと思いますが、念のため――ゆめゆめこの方の素性を探ろうなどと思われませぬよう」
アンリエッタのフードからは、髪をわざと零してある。銀色の髪に、薄明かりの下でちらちらと見えるはずの青みがかった瞳。セイルトン国王補佐官の紹介で娼館を訪れる銀髪の若者、しかも素性を探られたくない人物なんて、第1王子カイエンフォールしかいない。実際は身代わりなわけだが。
「もちろんですわ。どうぞご安心くださいませ」
女主人の瞳が弧を描き、ぞっとするような微笑をその顔に湛えた。打算に満ちた、危険な感じの表情に目が離せなくなる。
(蛇に睨まれたカエルってこんな気分……とか言ってる場合じゃなかった。そう、私は忠誠心溢れる、勤勉なアンリエッタ・スタフォード――)
アンリエッタは咳払いすると、現実逃避したがる意識を、何とか目の前の女性へと繋ぎとめた。なお、忠誠を誓っているのは王子ではなく、もちろん5,000ソルドだ。
「それでどのような娘をお望みでしょうか?」
「初々しい者を」
打ち合わせどおりに、低い声音でそう告げると、女主人の赤い唇がくっと歪んだ。正確には笑っただけなのだが、全体の印象が歪んでいるせいでそうとしか思えない。
「お喜びくださいな。ちょうど質のいい生娘たちが、あがるようになったところですの。ご案内しますので、それらからお選びください」
(“それら”ね、ここでも人をモノ扱い――とことん気に入らないわ)
嫌悪を吐き出さずにはいられなかったので、足を組み直す摩擦音にため息を紛れ込ませる。気分がひどく荒んできた。
気分が荒むと言えば……
「もちろん、おぼこいのにお飽きになったら、というあたりもご考慮くださいませ――殿方を喜ばせる術はやはり経験豊富なほうが……」
「……」
ふふふ、それはあれね、私の胸のことを仰っているのかしら、薄いイコール殿方としか考えられないとかいう? わああ、すっごい偏見、喧嘩売られてるとしか思えなーい。
「ふふ、その
っ、だから、やめてってば! そんな妙な色気のある視線送ってくるんじゃないっ!
――ねえ、私の健全なルーディ、あんたはきっと今日も明るいお日さまの下で、爽やかに菜園の世話をしてたんでしょうね。トマトの植え付け、うまく行きそう?
生憎と姉さんのほうは、こんな真っ黒な世界に今日も足を突っ込んで、“なぜか!”男と勘違いされて、得体のしれない美女に舐めまわすみたいに全身を見られているけれど、今もなんかペロッと舌で唇を舐めつつ意味深な目つきで見られちゃってるけど、心配しなくていいのよ。姉さんが悪いわけじゃないの。貧乏よ、貧乏が悪いの。
でもね、あんたももう10になったんだから、そろそろ真実を知っておいたほうがいいと思うの――貧乏だけが悪いわけじゃないのよね、実は。
「……くく」
そうなの――私の横で、顔を逸らして肩を震わせて笑ってる性悪、こいつが諸悪の根源なのっ!
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