第4話

 アンリエッタは王子と別れて、指名した少女と言っていい年の子を伴い、個室に向かっている。

「四季折々の花を愛でていただけるよう、お部屋から見える庭園はルーベン・バーン氏に設計を依頼し」

 緊張と興奮を混ぜて話す案内の男性に適当に相槌を打ちながら、アンリエッタはこっそり溜息をついた。上機嫌な彼の横で、少女は気丈に顔をあげているけれど、顔色は真っ青で口元も小刻みに震えている。

(かわいそうに……)

 切ない気持ちになりながらも粛々と仕事に向き合うアンリエッタは対し、雇用主すなわち王子はというと、“別室”で“お楽しみ”中――アンリエッタをただ待っているつもりはないそうだ。


 なにが「俺が従者に遊びの機会もくれてやらんケチだと評判が立ってもいいのか」よ。そんな噂、これっぽっちも欠片も蟻の涙ほども痛くもかゆくもないって、正直に言ってやればよかった!

 大体、事実でしょ! 月給5,498ソルドにしてって言ってるのにしてくれない、正真正銘のケチ! そりゃあ、月給5,000ソルドって相場よりいいらしいけど、あんたの相手よ、大変なのよっ、その自覚はないのっ!?


「……」

 王子が指名した、エーム教やドナウセルとは縁もゆかりもない年上美人の姿を脳裏に浮かべ、アンリエッタは目を剣呑に眇める。

(そうね、お金だけじゃない、“母性の象徴”もある人のところにはある――……ふ、ふふふ、あの性悪のことだもの、私へのあてつけだわ、絶対……!)

 絶対に男とは間違われない艶めかしい姿態の彼女と消えていった王子のいい笑顔を思い出すと、右頬がぴくぴくと痙攣し始めた。

 やはりあれこそがストレスの元凶、近々抹殺、違った、正式に態度の是正を要求すべきではないのか――アンリエッタの迷いは尽きない。


(はっ、そうじゃなかった)

 どうぞ、と促されて、アンリエッタは現実に戻ると、豪華な部屋に足を踏み入れた。さすが高級娼館というべきだろう、調度品も広さも王宮の部屋とあまり遜色がない。

「では、私はこちらにて――ごゆるりと」

「ああ。呼ぶまで下がっているように」

 尊大さを声に出して案内人を追っ払いつつ、周囲の気配に神経を尖らせる。

(……よし、誰もいない。のはいいとして、あの絵! 今人気が上がってってる作者の! こんなとこじゃどうせ見てもらえないってのに、うわあ、もったいない)

「……」

 アンリエッタはそんなことを考えながら、半身になりつつ1歩右へと身をそらし、頭上に落ちてきた花瓶を避けた。次の瞬間、右足を出し、衝撃を殺して花瓶を柔らかく受け止めると、床へと落とす。

「あー、高そうな絨毯なのにびしょびしょ……」

「……」

 振り返った少女の顔はいまや蒼白、全身はガタガタと目に見えて震え出していた。


 最後まで抵抗しようという気概がいい、とアンリエッタは彼女を選んだ自分の目に満足する。

 だが、ここで叫ばれでもしたら堪らない。計画のこともあるけれど、あの女主人に接する時間は1秒でも少ないほうが、絶対に夢見がいい――そう、夢まで5,000ソルド、正確にはあの根性悪に明け渡しはしない!


 アンリエッタは内心で断固たる決意を固めながら、彼女に向き直って微笑む。そして、開いた彼女の唇へと人差し指を押し当てた。その場所がひどく冷たいことと、指先に伝わってくる震えに、胸がツキンとした。

「――静かに。ここで声を出せば、何が起きたかは一目瞭然。おそらくあなたは殺されることになる」

 出来るだけ穏やかにそう伝えると、彼女は息を飲んで目を見開いた。その場所に見る見る水が盛り上がり、それが滴となって頬を滴り落ちていく。

「こ、殺したらいいじゃない、だ、誰があんな父親なんかのためにこんな思いしてやるもんですかっ。働かないくせにえらそうで、う、嘘ばっかりついて」

 嗚咽を混ぜて、吐き出すように呟いた彼女は、水のこぼれた絨毯の上へと座り込み、そのまま泣き始めた。


 その様子をじっと見ていたアンリエッタは、ハンカチを取り出すと身を屈め、彼女に差し出した。

 ドナウセル憎しというのももちろんあるが、それを上回って同情してしまう。正直、他人事だと思えない。

(ヘタしたら私もここに足を踏み入れるのかなあって、昔思ったもの)

 アンリエッタの父は、偉そうでは全くないし、嘘もつかないけど、働かない……わけじゃないけど、本人は働いているつもりでも、それがまったくお金にならない。

(このご時世、哲学で喰える訳ないってのにわかんないのよねえ。どっかずれてるんだもの)

 そう思いながら、苦笑を零した。


「とりあえず座って」

 彼女の小さな手を取って部屋にある革張りソファへと誘い、安心させるように笑いかける。

「……」

 あれね、彼女の顔が少し赤くなったのは気付かなかったことにしよう、それがお互いのためってものだわ。

「君の出身は? 名前を訊いてもいいかい?」

「……テロル。名前、は、エミリア」

 ――的中。ドナウセルが新規の神殿を立てることを希望し、かつ急速に信者数が増えている地域の1つだ。

「さっきお父さんが嘘をついたって」

 アンリエッタはニヤリとしてしまいそうになるのを抑え、代わりに、同情を浮かべつつ、「驚いた、信じられない」というような顔を作った。

 彼女は正確には嘘つきと父の性質を言っただけ。そこを敢えて、「彼女の父が彼女を騙して」ここに連れて来たのだという風に作り変えた。もしこれに彼女が引っかかってくれば……。

「っ、エ、エームの神殿に働きに出るだけだって言ってたのにっ、半年前に首都なんかにまで連れてこられて、そこから着飾らされて勉強だの作法だの……! そりゃあ食べるには困らないけど、外には全く出られないし、母さんに手紙を送ることすらできないっ。他の子もそう! 何のためかってことぐらい、みんな言っているもの、すぐわかったわ!」

 真っ赤になって、再び涙を零しながら彼女は叫んだ。

(――決まり。これでもう繕う必要はなくなったわ)

 アンリエッタは泣き崩れる彼女の背を撫でながら、口の両端を吊り上げる。


 ふふ、ふふふふふ、これであの毒蛇を追い詰めてやれる。さあて、何をしてやろうかしら?

 いやあねえ、楽しそうだなんて、人聞きの悪い。私怨を晴らそうってわけじゃないもの。世のため、人のため、被害に遭ってる子たちのため、社会正義のためなの。

 あの尊大な面が情けなく歪むところを見たいとか、王子に色々されてる八つ当たりを気の済むまで出来る相手が見つかったとか考えてないってば。

 人でなしにならないで済むよう、姉さん、あいつでストレス解消するわ、ルーディ、とかも考えてないの。

 ふふふ、いやだわ、いくら王子みたいなのといるからって、そんな理不尽なことしないわよ、多分。


「エミリア嬢、私はアンリエッタ・スタフォードと申します。あなたに伺いたいことがあってここに参りました」

 優しく誠実に見えるよう、計算して微笑みながら、目の前の美しい少女へと声をかければ、彼女は茶色の目に涙を宿したまま、驚きを露にアンリエッタを振り仰いだ。


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