第4話
「太子殿下におかれましては、ますますご活躍のこととお喜び申し上げます。こうしてお目にかかることができましたこと、望外の喜び以外の何物でもございません」
“要警戒”としか感じられない笑みを浮かべ、ペラペラと大げさな世辞を並べて、執務室に入ってきたのが、かのドナウセル辺境伯だ。
勧められるままにソファに腰掛けた彼は、質と品のいい物で頭から足の先まで整えており、押し出しのいい顔つきと黒々とした髪と髭のせいで、ひどく精力的に見える。
実際野心家で、少しばかり度が過ぎている感があるけれど、尻尾を捕まれるようなヘマはしない。時勢を読むのにも長けているから、王子が太子に定められる前から、ちょくちょく接触を図ってきていた。
何が厄介かって、それが好意からの行為ではない点。そこがマロール公爵なんかとは決定的に違うのよね。
形式上の挨拶と、当たり障りのない世間話を一通りかわしたところで、ドナウセル辺境伯は本題を口にした。
「本日伺いましたのは、エーム教の新しい神殿建設についてのお願いです」
「であれば、私よりセイルトンに話を持っていくほうが早い」
「国王補佐官はお忙しくていらっしゃいますので、殿下からお口添えいただけないかと」
足を組んでソファに腰掛けている王子の斜め背後に立ってそれを聞きながら、アンリエッタは内心で溜息をついた。
したたかに王子を利用しようと近づいてくるだけでも十分鬱陶しいのに、彼の場合はそれに加えて……。
「アンリエッタ、エーム神殿」
動詞が抜けてますよ、王子。えらそうでむかつきます。
「ズードガルドの中央神殿の竣工が821年、設計者はユリモ・デイガ、総工費は現在の水準でざっと見積もって1億3千万ソルド。その他ゴザリナなど5か所に地方神殿があります」
「これは、アンリエッタ嬢。まだこのようなところに?」
――わざとらしく無視した挙句、これだもの。
いくら王子がむかつくと言ってもこいつより何千倍もまし、とアンリエッタはピクリと眉を動かす。
マーガレットがお茶を運んでくるのを見ながらしみじみ思うのよ。
マーガレットの言う通り毒――は後処理の問題でダメとして、蛇の姿焼きぐらいお茶に浮かべてやるべきだった。
「アンリエッタ嬢はもう18におなりでは」
「ドナウセル辺境伯は52におなりでしたか?」
質問には質問で。はいもいいえも答えない。定石で言えば、ここで笑顔もつけるべきだけど、こいつ相手にそんな労力を割く気にもなれない。どうせ結婚相手を見つけてここから出て行けとかいう話でしょ?
「……私はあなたの心配をしているのだよ。女性が若く美しくあるのは長くはない」
「7回ものご結婚はその価値観ゆえ――わざわざご説明いただく必要はございませんとも。ついでに理解し合える日も未来永劫参りません」
「それほど美しくなられたのだ、あなたも前向きに結婚について考えるべきだ」
案の定こちらの話を露骨に無視されて、アンリエッタは鼻を鳴らす。
ああ、面倒くさい。生理的に受けつけない。ついでに言うと、蹴り倒してしまいたい。
だってねえ……
第1に、他人を自分と同じ人間として見ていない。しかもその自覚がない。
第2に、自分の価値観だけが正しいと本気で思っている。
で、第3、それゆえ“善意”でその価値観を人に押し付けて憚らない。
てわけで、会話にならないのよね、こういう人。今だって、話し相手のはずの私の反応なんか、これっぽっちも見ちゃいないもの。
しかも、彼らの“善意”は、悪意よりよっぽど悪質なのよ。相手が怒ったりしてまずいことになったら、「私は良かれと思ってやったのに」って被害者ぶるんだもの。言い訳がきかない分だけ、悪意の方がよっぽど合理的でいさぎよいっての。
「それにあなただって、こんな仕事は責が重過ぎて負担だろう? 若く美しいお嬢さんが苦しむのは忍びないのだよ」
重いのは責任じゃないわよ。のしかかってくる扶養家族――ああ、いいのよ、ルーディは。姉さん、あんたのためなら何だって平気なの――と、人をいびることを生きがいにしている目の前の性悪王子よ。
(ああ、鬱陶しい――どう調理してくれようかしら)
アンリエッタは目をすがめ、自信を通り越して傲慢に満ちた顔で、人に向かってあれこれ語る男を見つめた。
こっちの話を聞く気がないのだから、理屈を持ち出しても意味はない。そもそもわざわざ労をかけて、阿呆を教育し直してやる親切心はアンリエッタにはない。
となると、精神的にずたずたに切り裂いてやって、二度と近寄りたくないって思わせるのが個人的に得策なんだけど、往々にしてこういう奴って粘着質なのよねえ。下手すれば王子に支障が出るし。
「……」
って、王子を心配しているわけじゃないのよ、いやほんとに。ただ、月給5,000ソルドに誓って、そういうことをしたくないだけ。お金をもらうってのはそういうことだと思うだけ。……なによ、本当に違うってばっ!!
(って、そうじゃなかった)
「例えば、司法庁のイジョリス事務官、外交庁の……」
考え事をしている間に、「婚約者候補」の名が次々挙がってきている。こいつ、最初からそのつもりだったわね。しかも今自分の名前挙げなかった?
「どうだろう、アンリエッタ、前向きに考えてみないか?」
以前、司法官のジョセフィーヌさまが「公職から女性を追い出したくて仕方がないらしいわ」とこいつのことを仰っていたけど、うわ、ほんと露骨……。
まあ、うちの父のうだつが上がらなくて、縁談のひとつの話もないだろうという指摘だけは正しいけど。
アンリエッタは嫌悪を交えて、小さく息を吐く。とりあえずしゃべらせておくのも鬱陶しいし、黙らせようと決めて口を開いた瞬間、斜め前から漂ってきた異様な気配に口を噤んだ。
「トーマス・ドナウセル――」
一言で空気がびりりと震えた。
「スタフォード執務補佐官、だ」
「……殿下」
「お前が“こんな”呼ばわりした仕事は、私がスタフォード執務補佐官に与えたものだ」
アンリエッタから見える横顔の口元は弧を描いている。が、目は全く笑ってない。声もどす黒くて、威圧感も最高。
「不満か」
「い、え、滅相もございません……」
ああ、悪魔降臨……万歳、あの傲慢ドナウセルが顔を引きつらせてる! ナイスだわ、カイ、今だけはあなたのどす黒い性根を褒めてあげる!
「雑談に興じる暇は私にはない。エーム教の神殿建設だったな、ドナウセル?」
3倍近い歳の辺境伯の全身の強張りを、鼻で笑って王子は続けた。
エーム教――男性優位を唱える古い宗教だ。何度ここの信者を返り討ちにしたか。そんな宗教の神殿を全国15ヶ所新設……うわあ、ほんと勘弁してほしいわ。
その後ろで、アンリエッタは嫌気を隠さず、小さく舌を出す。
「……はい。国民に心の安寧を与えることも、国策の1つとして重要なのではないかと」
「心の安寧、ね。建設費は? 国庫の持ち出しは当然許可できない」
「許可さえ下りれば、寄付金で賄うことが出来る見込みです。あとは宗教団体としての国の認可をいただければ」
王子が検討するとか言って、ドナウセルとの会話を打ち切るのを、アンリエッタは白けた目で見守った。
「殿下には次のご予定がございます」
さっさと歩いていって、執務室の扉を開けてやる。そして、王子から何らかの言質をとろうとなおも食い下がるドナウセルに帰れと促した。
「どう思う?」
「エーム神教とドナウセルの組み合わせに違和感はありませんが、あれは神様やら宗教やらに“安寧”を求めるような殊勝なタイプでも、自己研鑽の糧とするストイックなタイプでもないでしょう」
「つまり宗教に関わる最後の1タイプ――」
静けさの戻った室内で、王子はソファの背に深く身を沈めた。
「――そういう人々と組織を自分の利益のために搾取する人間」
アンリエッタはその彼と視線を交わしながら、互いの言葉を補い合う。
「だな。さて、仕事が増えるな、スタフォード“執務補佐官”」
銀糸の髪が散らばるソファで、王子が肩を竦め、くくっ、と低く笑った。
ち、さっき助け舟出したこと、恩に着せて、またこき使う気ね……?
まあ、ドナウセルもエーム神教もめっちゃくちゃ嫌いだからいいんだけど、せめて100ソルドぐらい給料上がらないかしら。ええ、ボーナスじゃなくて、ベースアップよ、当然。
でないと、王子の相手も狸どもの相手も、本気で割に合わないわ。
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