第3話

「アンリ」

「アンリエッタ!……です、殿下」

 カイエンフォール王子の執務室に入るなり、部屋の主が意味深に笑いかけてきた。アンリエッタが口を開く隙もない。


「どうでもいい」

「……」

 私は良くない。だけど、ここは一つ打算、じゃなかった、大人気いっぱいに沈黙よ。報告前にダーバの件に手をつけてしまった負い目があるもの。

「それで? ダーバ『元』侯爵相手に、随分派手にやったそうだな」

 案の定、その負い目を抜かりなく突いてきた王子は、白磁の肌に映える紫の瞳と形のいい唇の端を緩ませて、ニコリと微笑んだ――ああ、悪魔の微笑み。

 そうなの、いくら綺麗でも天使とは間違っても思えないのが、長い付き合いの悲しいところなの。

 それにしても……誰よ、奴に余計な入れ知恵したのはっ!?


「罪状を突きつけて、地下牢へ連行させただけですが? ご報告が後手になったことはお詫び申し上げます」

 お茶を用意してくれている王子付き侍女のマーガレットが、同じ顔を見て嘆息するのを視界に入れつつ、アンリエッタも負けじと笑い返す。

「セクハラを、それを上回るセクハラで返したと評判だが? その上、今度はお前が西監獄で意に染まぬ相手になぶられてこいと告げたそうだな」

 ……そんなに直接的には言ってないわ。

「そのあまりの冷静さに、ある者はこう噂しているそうだ。カイエンフォール殿下付き執務補佐官はやはり男なのでは、と」

 やはり……? ってなに? 胸が小さいと婉曲に言ってるわけ……? 悪かったわねっ、執務補佐官の制服(男用)が18になった今でもぜんっぜん違和感無いわよっ。ええそうよ、胸のボタンが止まらないなんて苦労、一度だってしてないわよっ!

 小さくたっていい? 大きかったら大きかったで苦労がある? わかってるわよ、みんなそれぞれ悩みがあるって! 隣の芝は青く見えるって! でも、私は色っぽく大人っぽくなりたいのっ、使える騙し討ちの手だって増えるでしょ!

「まあ、あの胸の謙虚さではそう思われても仕方が無いかも、」

 きっ、気にしてること、わかって言ってるのねっ!? 分かるわよ、それぐらいっ、11年もの長い付き合いなんだからっ! てか、言葉を選ばれるほうがダメージ大!

「と答えておいたから」

 アンリエッタの怒りの戦慄わななきをまるっと無視し、王子は「ちゃんと女性だと訂正しておいてやったぞ」と殊更可愛くにっこり。

 訂正になって…………るけど! もっと他に言い方あるでしょうがっ、この性悪王子!!


 くっ、でも、怒鳴っちゃだめよ、ムキになればなるだけ奴の思う壺なんだから、学習してるでしょ――そう、笑え、笑うのよ、アンリエッタっ。

「……う、ふ、ふふ、ふ」

 必死の努力のかいあって、唇がなんとか弧を描く。グッジョブ、マイ・表情筋!

「臣下への温かいフォロー、感激です、殿下。ご恩返しのため、このアンリエッタ、一生殿下のお側におりますわ、」

 王子が白々とした流し目をくれる。

「――お亡くなりになりそうな瞬間の30秒前に、その首絞めて息の根止めて差し上げるために」

 ふふふふふふ、と王子へと笑い掛ける。

 人の努力も悲哀ももちろん省みない王子が、同じく、ふふふふふふと笑いながら返してくる。

「それに何か建設的な意味があるとは思えないのだが?」

「その後の私の人生の爽快さが違います」

 そのまま見つめあい、微笑をかわした。


「……よく飽きないこと」

 横にいたマーガレットは呆れたような視線とため息を残し、お茶のカートを押して部屋を出て行った。


 扉の閉じる音が室内に響いた瞬間、不意に目の前の紫の目がすっと細められた。下方の唇も柔らかく緩んでいる。

 最近珍しくなった含みのない笑顔――それにどきりとした。だって、性格はともかく、超のつく美形だもの、こんな風に笑われたら反射的にそうなるの。


「それ、熱烈なプロポーズに聞こえるんだけど」

「……は?」

プロ、ポー…………はあ!?

「一生を共にして、“死ぬ時は誰の手でもなく私の手で。あなたの全ては死までも私のもの”」

「……っ」

 有名な恋愛詩の一節を歌うように口ずさんだ王子を前に、顔に血が上ってくるのが分かった。怒りのせいか、それとも――。

「そんなに俺と一緒にいたいのか?」

 王子が優しく笑いながら、近寄ってくる。


 そ、そんなわけないでしょうっ、あまりの仕打ちと見返りの少なさに、毎夜毎夜、辞表に書く文言を熱心に考えているくらいよ! ちょっとは給料上げてよっ。でなきゃ、こんなに人をこき使うな!

 睨みながら、そう怒鳴ってやろうとして……

「アンリエッタ」

「……っ」

 柔らかく、昔のように呼ばれて、呼吸が止まった。


 手を伸ばせば届くところまでカイが近づいて来ているのに、まずいと思うのに動けない。目が逸らせない。

 奇麗な、奇麗な紫――なにか悪い魔力でもあるんじゃないかしら……?


「カイエンフォール殿下。お客様がお見えです」

 もう何年もなかった距離で、まじまじとお互いの目を見合っていたところに、マーガレットの声が響いた。

「っ」

 我に返ったアンリエッタは、ばっと王子から飛び退く。

 ……た、助かった。ナイス、マーガレット。後でお茶奢るわ。


「誰?」

 忌々しそうに、王子が尋ねた。

「失礼いたしました。ドナウセル辺境伯です」

 げ、全然ナイスじゃないわ、それ。

 同じように思ったのだろう、ち、という王子の舌打ちが聞こえた。


「「――ロココ茶を準備して」」

 うげ、ハモった。


「息もぴったり、お優しさもぴったり――毒ではなく下剤作用のあるお茶程度でいいだなんて」

 顔を引きつらせたアンリエッタと眉を跳ね上げたカイエンフォールへとにこやかに微笑みつつ、物騒なセリフを吐くと、マーガレットは再び部屋を出て行った。

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